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“できるわけがない” を超える高校生|新山浩 教諭


デザセンは2018年度で25周年を迎えます。「社会をデザイン」する視点に着眼した大会として開催してきた四半世紀の成果を、指導教員や当時出場した高校生へのインタビューを通して発信していきます。

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インタビュー[3]でご紹介するのは、神戸市立科学技術高等学校の新山浩先生です。同校は、本大会の創設期からデザセンに取り組んで下さっている常連高校の一つです。上記写真中央が新山先生。その両脇のお二人(写真左:水野里奈先生/写真右:久間美里先生)は、高校時代に新山先生からデザセンの指導をうけて決勝大会に出場。そして現在、母校でデザセンを指導する教員となりました。ここでは、新山先生のインタビューをご紹介し、別ページにて、水野里奈先生、久間美里先生インタビューをそれぞれご紹介します。

感じたのは、デザインのイメージから解き放たれる感覚

私がデザセンに参加したのは、第2回大会(1995年度)から。第1回のプレ大会からご案内はいただいていたのですが、授業にカリキュラムとして組み込むことができず初年度は参加できませんでした。第2回大会が開催されたのは阪神淡路大震災があった年。神戸市にとって、生徒や我々教師たちにとっても大きな影響がある出来事でした。震災を通して支援や情報のやり取りが活発化したボランティア元年とも言われた年。もしこの大会で防災に関連した提案をしたらデザインと認めてもらえるのだろうか?途方もない夢物語のようなことを発表していいのだろうか?と、躊躇しながら準備していたのを覚えています。

運よく決勝大会まで進みプレゼンまでさせてもらった経験を経て、「デザインとはこういうものでもいいんだ」と、当時デザインの概念から解き放たれたような感覚を得ました。デザインは、色や形、綺麗さやスマートさのイメージが強いですが、そればかりに捉われなくていい。それならもっと面白いことを、と第3回大会からは加速度がついたように取り組みが続いていきました。実際、生徒と課題に取り組む時には、思い描く夢や未来について話題にすると面白いし会話が弾むんですよね。当校では大学のゼミのように生徒と向かい合って話しをしながら課題研究をしているので、そういうテーマがマッチしていたのだと思います。

 

出会いと成長の3日間。決勝大会で目覚めるチカラ

デザセンで経験できる様々なことがぐっと密度を深めるのは決勝大会の3日間。それまでは学校の勉強の延長線上にある実習のように感じていた生徒も、現地(決勝大会の発表の場となる東北芸術工科大学)では、同じく出場者として来ているの他校の生徒さんたちのプレゼンの練習風景を見聞し、「今からでもできることをやりたい!」とやる気に拍車がかかります。急遽予定していなかった大道具を作り出したり、ホテルで徹夜してシナリオを修正したこともありました。もっとやりたい、という生徒の気持ちにストップをかけずにやらせていると、思ってもみないリーダーシップや主体性が発揮され、学校や課題の枠の中では把握できない力が目覚めるようようです。それについていく教師は大変ですが、それこそが面白くデザセンでなければ得られない体験をどの先生も感じていらっしゃるのではないでしょうか。

また教員という立場は、他校の先生方と係わる機会があまりないので、工業科以外の様々な教科からデザインがアップされてくるのがとても楽しく刺激的です。初期の大会でご一緒した先生方とはSNSでつながりができ、デザセンに関われなくなった方もそれぞれのジャンルで活躍されているのを見ると嬉しくなりますね。高校教師がここまでできるのかという驚きや、こんな方々とやってきたんだという嬉しさと自負があります。デザセンの初期は、その提唱者の長澤忠徳先生(1999年まで東北芸術工科大学教授/2015年より武蔵野美術大学学長)が、出場チームの教員に対し、デザイン教育についてのレクチャーをして下さる機会があり、今は当たり前のように謳われる主体性の重要性や総合学習、アクティブラーニングなどの言葉が浸透する前から、デザインや教育について可能性を示してくれました。決勝大会といっても出場者とサポーターしかいなかったような初期大会からここまで続けてこられたのは、長澤先生や東北芸術工科大学が「教育現場でこんなことができるんだ」という面白さを、我々教師に味あわせてくれたからだと思っています。

 

カテゴライズされない学びの場で、指導するということ

東北芸術工科大学で毎年、第14回大会で優勝した『Made in ….』(デザゼン2007 優勝)のプレゼンテーションを上映していただいている授業があるとのこと、光栄に思います。シンプルに考えた「戦争は良くないから、兵器をリサイクルできないかな」という提案でした。生徒が資料を読んで色々な話を聞き調べを進める過程で、物事には表と裏があり、一方からの情報を自然と刷り込まれているような社会であるということを感じる機会になりました。「これが善、これが悪」と教えることはできませんが、大人でなければ気づかない部分は指導を通してどんどん提示していきましたね。例えば視点が抜け落ちている部分や、どういう人の話を聞かなければならないか、などです。もちろん生徒が自分たちでたどり着くのが理想といえば理想ですが、一方では教師が視野や考え方を見せつけていくことも必要だと思うんです。生徒たちがその経験を利用するか反発するかは彼らの自由。日本の小中学校は、高校も含めて、国語、算数、理科、とカテゴライズされた枠の中で勉強を積み重ねていきます。一方、私がデザセンを通して学び、考え、生徒に伝えていくことにはカテゴリーがありません。自分が学んできた枠から放れて、これまでと違う視点、アプローチ、価値基準を知り伝達する方法を探っていくことが、高校生がデザインを学ぶ意義の1つでありデザセンに参加する理由です。

 

「できるわけない」を超える高校生

デザセンも2018年度で25周年を迎え、高校生の提案内容も変化してきましたね。初期のデザセンは、割と夢や哲学、倫理などの提案が多く、最近は高校生にとって身近な所から課題を見つけアプリやカードゲーム等、実際に商品化できる提案が評価されているようです。私は、社会に出れば身近な課題には必ず直面するので、高校生だからこそ壮大なテーマにアプローチしたいなぁと考えているんです。いつだったか、月が真空状態で光を発する機械の提案がなされた時、デザセンの審査員が「空気がなければ発光はしない」と言ったんですね。それに対し、ステージ上でプレゼンした高校生が「そんな現実的なこと言ってたら何もできないじゃないですか」とバッサリ言ったんです。数十年前は誰も予想していないかった科学技術が今は当たり前に利用されていることを考えると、今の大人の規範で大人の望む落とし所に結着させてばかりでは勿体ない。もちろん落とし所は大事でそれもしっかり考えた上でのことですが、「そんなことできるわけがない」「でも、こんなのあったらいいなぁ」という提案にはワクワク感があるでしょう。どんな重々しい問題も一件落着させるポジティブさがあるのが高校生。彼らがこれから生きていく世の中ですから「じゃあそれを目指して君ら頑張ってよ」という私たち大人からのメッセージを発信することもできます。「こういうことを考えてもいいんだよ」と、言ってあげるべきなのかなと思いますね。

 

これからのデザセンに期待すること

教師が無難で模範的な結論を想定していると生徒もその中に収まってしまいます。その点で教師がデザインをしながら力をつけるということが必要であり、私がデザセンに長く参加させていただいた中で得た財産とはまさしくその部分なんです。同じように高校で指導している先生方の存在や審査員の方々の考えや言葉は、高校の中だけでは得られない刺激になりました。デザセンの審査員には歴代、外部からも素晴らしい方を呼んでいらっしゃいますよね。大学に所属している先生だけでない、バラエティに富んだ視点はデザセンの持ち味なのではないでしょうか。生徒が審査員に対して予備知識がないまま近い距離で話を聞けたり、アドバイスをもらえたりすることで感じる「こんな人もいるんだ!」という新鮮な驚き。それは大人になってからでは値打ちがない、高校生である今だけ心に刻まれる価値観の揺らぎで、5年後、10年後に響いてくる経験になるでしょう。教師としてそれは大きな喜びであり、デザセンがこれからもそんな出会いの機会となることを期待しています。

新山先生のデザセン指導法は、こちらからご覧いただけます。

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取材日:2018年3月6日
ライター:上林晃子
写真:志鎌康平

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