過去の作品

東北地方における伝統的木造和船の記録研究

角田美里 Misato Kakuta
[歴史遺産学科]

 「船」というものは古来より、人間が食糧を得る為、荷物や人を運ぶ為等に使用されてきた。諸説あるが、船は一本の丸太を刳りぬいた丸木舟に発し、木材を重ね合わせて繋ぎ合わせた筏船、板を貼り合わせた板船、竜骨船など、様々な発展を遂げた。
 日本における丸木舟の歴史は、縄文以前まで遡る事が出来る。現在まで、太平洋側を中心とし、北海道や近畿地方に多くの埋蔵丸木舟が発見されている。おそらく、土地改良による発掘調査が少なかった日本海側にも相当数の丸木舟が埋蔵されていると考えられる。日本の丸木舟は次第に、単材で造られた舟から展開し、幅を広げるため底面に補助材を入れたり、高さをつけるため棚を付けた舟へと変化していった。
 そして今、材の枯渇・高騰や船大工の後継者不足および技術の衰退など、様々な理由によって木造船は姿を消しつつある。代わりにFRP 樹脂や鋼で造られたものが主流となり、日本独自の発展を遂げた伝統的な木造の舟の多くは、その姿を消そうとしている。

1.研究動機
 急速な勢いで日本の木造船が消えていく。今ではもう残存する木造船舶は少なく、現在でも使用されているものとなれば更に減衰する。
 一方、木造和船は、戦後急速に減少していったため、他の民具に比べ記録が少ないのが現状だ。詳細な記録も無しに、既に消滅した木造和船も存在する。文化伝承という分野に於いて、その文化が復元可能なレベルまで精巧な記録が出来れば、それが最も良い研究の方法なのではないだろうか。そこで私は、詳細なイメージを記録することで、木造和船の文化を後世に残す一助となることができるのではないかと考え、本研究とした。

2.研究方法とその目的
 東北地方日本海側を中心とした伝統的木造和船および推進具の構造を記録する。実測図面により伝統的木造和船の地域性を明らかにする。現地調査や観察、考察を行う事により、後世に復元可能な木造和船の形態を残す。
 本研究は、実測した図面を主とした資料とする。方法としては、調査地に行き、対象となる木造和船の実測調査を行い、図面を取る。図面や撮影した写真を元に、船の観察と考察を行う。その上で聞き書き調査や文献購読を行い、東日本に存在する木造和船の構造や用途をまとめる。調査地の基礎資料は、先行研究の資料と、調査地ごとに発行されている郷土史誌や漁業の調査報告書を参考とする。

3.木造和船の観察・考察
 今回調査の対象としたのは青森県下北郡風間浦村下風呂・同郡東通村尻屋のイソブネ、秋田県山本郡八峰町八森のマルキ、男鹿市戸賀のマルキブネ、八郎潟のカタブネ、山形県酒田市飛島のシマブネの6 艘だ。
 以下、対象船舶の概要を説明する。
・イソブネ
 イソブネは、北海道の南部、青森県、秋田・岩手県の北部で使用されてきた木造船だ。イソブネの多くは「ムダマハギ」という刳り底構造を持っている。この構造は秋田県米代川以北にのみ見られる造船方法だ。イソブネは使用範囲が広く、地域や船大工毎に多様な装飾を持つ。
・マルキ
 マルキはイソブネと同様、ムダマハギの構造を持つ。現在は主にハタハタ漁に使用される為、ハタハタ船と呼ばれる事も多い。マルキはイソブネと比べて2、3m程船体が大きく、遠洋にも適した構造だ。現在でも八森、岩舘で4 艘程の舟が現役で使用されている。
・マルキブネ
 この舟はその名の通り1本の丸太を刳りだして造った単材丸木舟である。丸木舟などの小型の船舶は主に磯での漁撈に使用された。男鹿半島の丸木舟は四角く、厚みがあるフォルムに特徴がある。本研究で調査したマルキブネは現役のもので、おそらく日本で最後の単材丸木舟だろう。
・カタブネ
 カタブネは八郎潟で使用されていた舟である。「オモキ造り」という秋田県米代川以南に見られる刳り底の構造を持つ。海の舟とは形が異なる、細長く直線的な棚と「オガミアワセ」と言う舳先部分が特徴的である。
・シマブネ
 シマブネは飛島のみで使用されていた木造船だ。この船は明治時代の船大工鈴木栄助氏が設計したものだとされる。オモキ造りである。
以上の木造和船の観察・考察を行い、詳細な記録を取る。

4.おわりに
 「生業活動の記録・保存」という活動に於いて、その主体を担うのはやはり生業活動を行う生活者本人である。
 木造船の文化を研究して、私は実際に漁業を生業に生活している方々と、私達が考える生業保護では、大きな隔たりがある事に気づかされた。その問題はこれからの生業研究の課題となってくるだろう。私たちはあくまで部外者であり、生活者ではない。木造和船文化のみならず、私たちは文化の取捨選択を慎重に行うべきだ。しかしその隔たりをどう解決していくのか、私にはまだ答える事が出来ない。今回の研究では、木造船研究を通して、記録研究の重要さを伝える事が出来たのではないかと思う。