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原子力災害における住民の移動と拡散について

鈴木達彦
[工芸コース]

1.研究概要
 私の地元は、福島県双葉郡大熊町である。福島第一原子力発電所から約5kmの所に実家がある。福島第一原子力発電所の水素爆発した1〜4号機は全て大熊町にある。震災当日、私は地元に帰省していた為に、震度6強の地震と原子力災害を体験した。
 本研究では、原子力災害に対するリアルな理解はまだされていないことから、主に原子力災害から見えてくることをまとめていく。軸として、1つ目に原子力災害により各地域に避難した人々は、どのような伝手で現在の場所にたどりついたのかということを明らかにしていく。2つ目として、避難した人々に共通する事柄を探っていく。避難経路や避難方法、避難先での問題点、避難時における情報入手方法、など、福島第一原子力発電所の事故から学ぶべき事柄をまとめていく。そして、3つ目には、民俗知生成へのアプローチとして、次の災害に対して私たちはどのように対応していけばよいのかを検証していく。調査の方法として、地元の同級生(同世代)や母親の友達を中心に聞き書き調査を行った。また、行政の文章や原発関連の文献から必要な情報を読み取った。

2.避難の伝手について
 聞き書きを行い、避難行動の伝手を検証していくと、大きく2つに分けることができる。1つは、祖父母の家(実家)や兄弟の家、親戚の家などに避難している人が多いことから血縁関係が主な伝手というが分かってきた。もう1つは、町役場の指示(行政)を頼りに避難している人がいることから、行政の指示で避難している人がいるということが分かった。

3.避難民増加による問題
 原発事故で双葉郡の町民約15万人は、全国各地に避難した。調査をしていくうちに、受け入れ先の自治体によって住民と避難者とのわだかまりがある地域があることが分かった。ある地域では、「ゴミ捨て場に、ゴミを捨てるな!」「病院が混むのは避難者のせいだ!」などと避難者に対して、そのようなことを言う人も一部にはいるらしい。避難者は地元の住民と会わないように、ひっそりと生活しているという。しかし、私が避難した米沢市では、このようなことは一切起きていない。避難者をとても心配し、優しい言葉をかける地元の人と、米沢市独自の支援を行い、福島県民を思いやる気持ちに本当に頭が下がる。同じ原発事故で避難した人でも、避難先の環境やその人の置かれた立場によって気持ちの持ちようや心境なども違ってくるのだろう。

4.民俗知生成へのアプローチ
 誰もが、自分が被災者になるということを思いもしないだろう。2011年の巨大地震と原発事故は私たち日本人に警告を出してくれたのではないだろうか。災害列島と呼ばれる日本は、これからも数々の災害を経験することだろう。
 そこで、必要となってくるのは被災者を受け入れる民俗知だと考えられる(田口2014ab)。 災害で避難している人や被災した人を受け入れる民俗知が形成されれば、避難を受け入れた地域と避難者との間のわだかまりも無くなっていくだろう。また、大げさに言えば、今回の東日本大震災の被害で仮設住宅に住んでいる人も、受け入れる民俗知が整っていれば、先が見えない仮設住宅の暮らしも解放できるのではないだろうか。しかし、現段階の日本には受け入れる民俗知は整っていない。まだ形成の段階である。被災者を受け入れる民俗知はこれから形成していくことが大事になっていくが、いつ災害が起きるかわからない日本列島にとっては、速急に形成されなければならない民俗知でもある。

5.まとめ
 本研究を調査するにあたり、原子力災害を改めて深く知るきっかけになった。私自身体験したことだが聞き書き、行政の資料、文献などを渉猟することで、福島第一原子力発電所の事故は、人々を苦悩に追い込み、地域の輪、財産、友人、知人…とあらゆるものを崩壊させた事故であった。
 私たちはこの福島第一原発の事故を無駄にしてはならない。ここから学ぶべきことは多くある。
 原子力災害で避難した人々の伝手として、一つひとつの出来事に地縁、血縁関係が出てくることが分かった。地縁よりも血縁の方が強く結ばれているのだと感じた。
 一人ひとりの避難行動を分析していくと、大熊町民は田村市を通り、富岡町民は川内村を通って避難していることが分かってきた。また、被災者を理解しないことからくる嫌がらせで、避難先の土地でも苦労しながら生活している人もいるということを知った。一般の人々は原子力災害に対して、どのように対応していくのかを検証したが、どのような対策を考えても、アクシデントに阻まれたりと、想定外の事が起きる確率が高いので、思い通りにならないということは福島原発の事故の教訓といえるだろう。
 災害に遭い避難する人々は、とにかく必死で避難するしかない。必要になってくることは、避難した人々を受け入れることなのだ。災害時に必要な民俗知とは、避難する側の民俗知よりも、被災者を受け入れる民俗知の方が必要になってくるのではないだろうか(田口2014ab)。そして、被災者を受け入れる民俗知は、予測不可能な災害に対応するためにも、速急に形成しなければならない民俗知でもある。
 1つ、全てに共通して言えることは、私たちのような思いは絶対にさせてはいけないということだ。原子力災害で被災する人は、私たちだけで終わりにしなければならない。
 震災列島と言われる日本で、誰もが被災者になる可能性がある。これから起こりうるであろう災害に備えるためには、誰もが被災者になりうるかもしれないという「危機感」と被災者を受け入れる「気持ち」が大切になっていくと言えるのではないだろうか。

6.参考文献
田口洋美 2014b(編集中)「民俗知形成のプロセス」『ATOMOΣ』日本原子力学会
田口洋美2014a(印刷中)「災害の民俗知とは何か」『東北学03』:78-89.東北芸術工科大学東北文化研究センター