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紫外線と酸素による絹の変色と汗の複合作用
—18世紀フランスの絹製ベストを例に—

工藤紗綾香
[美術史・文化財保存修復学科]

第1章 緒言
 絹製衣装において、脇や襟部分に汗が原因と考えられる変色が確認されることがある。杉野学園衣裳博物館所蔵の18世紀フランスのベストでは、そのような変色が確認できた(図1)。汗による変色は使用痕として保存するため洗浄は行われないのが一般的である。しかし、劣化が欠損に繋がることもあるため、繊維に与える影響を検討する必要があると考えた。絹の紫外線と酸素、熱による変色(本研究では紫外線と酸素によるものに限定した)に、汗の付着の条件が加わった場合の変色の差と、繊維の変化を明確化することを目的とした。本研究を通して染織文化財の保存に目を向けてもらいたい。

1-1 紫外線と酸素による絹の変色
 絹は時間の経過と共に黄変する性質がある。140℃以上の熱や、光と酸素による酸化反応(光酸化反応)が原因とされている。特に酸化されやすいチロシンとトリプトファンというアミノ酸が酸化され、着色物質(メラニン色素)に変化することで変色する。さらに、水分が加わると黄変が早まることが分かっている。

第2章 汗による変色の再現実験
 作製した絹サンプル(図2)を汗の代用である人工汗液(じんこうかんえき)に、含浸(1日、5日間)させUV照射した(以下:UV+人工汗液)。未処理、UV照射のみのサンプルと比較し、変色の差の明確化と、酸性人工汗液とアルカリ性人工汗液で差があるのか検討した。サンプルに用いた材料は、3×3cmにカットした朱子織の絹である。人工汗液はJIS(L0848:2004 汗に対する染色堅ろう度試験方法)に記載されている成分を用いた。酸性とアルカリ性でそれぞれ成分とが異なるため両方を使用し1度使用したものは再利用せず毎回作り直した。実験終了後、可視紫外分光光度計(日立分光光度計U-4000)を用いて分光反射率と色彩測定を行い、UV照射のみとUV+人工汗液を比較した。

2-1 結果と考察
 UV+人工汗液のほうがUV照射のみより変色した。分光反射率、色彩測定どちらにおいても人工汗液に長く含浸させたサンプルのほうがより変色するのではと予測していた。しかし、1日間含浸サンプルが5日間含浸サンプルよりも紫外線照射時間と比例して色差が大きくなる傾向が見られた。このことから、含浸時間の長さに関係なく、UV照射のみより変色する可能性がある。しかし、酸性アルカリ性どちらがより絹を変色させるのかという点は明確にならなかった。

第3章 人工汗液中の各成分による影響
 本物の汗と人工汗液に共通して含まれている塩化ナトリウムと蒸留水(水分)に焦点を絞って述べる。人工汗液で使用した試薬を用い、全体で約50mLの水溶液を作り、サンプルを含浸(1日、5日間)させUV照射した(以下:UV+塩化ナトリウム、UV+蒸留水)。そしてUV+人工汗液と比較した。

3-1 結果と考察
 塩化ナトリウムと蒸留水は、人工汗液と同等もしくはそれ以上絹に影響を与えることが分かった。塩化ナトリウムと蒸留水の分光反射率を比較した結果、可視光領域では差はないが、240~380nmで蒸留水のほうが分光反射率の低下が見られた。このことから、人工汗液中の成分では水分による影響が特に大きいことが分かった。

第4章 繊維観察比較
 走査型電子顕微鏡(JEOL JSM-6390A)で、未処理(暗所で保管していたもの)、UV照射のみ、UV+人工汗液の繊維観察を行った(蒸着なし)。

4-1 結果と考察
 UV照射のみとUV+人工汗液において、繊維表面の亀裂(図3)や潰れや歪み、繊維のフィブリル化(繊維がほぐれてしまうこと)、表面の剥離(図4)を確認することができた。これらは人工汗液含浸サンプルのほうが多く見られた。このことから、人工汗液は繊維に影響を与えることが分かった。繊維の亀裂や潰れや歪み、フィブリル化などは繊維の強度の低下に繋がる可能性がある。

第5章 総括
 絹は紫外線照射のみでも変色するが、人工汗液に含浸させたものはさらに変色し、繊維に影響を与えることが分かった。変色と繊維の変化両方の観点から見ると人工汗液の成分の中でも水分の影響が大きいことが明らかになった。このことから、本物の汗においても水分の影響が大きい可能性がある。
 本物の汗には皮脂なども含まれているため、さらに著しい変色や繊維の変化が生じる可能性がある。本研究はまだまだ不完全であり、汗による絹の変色のメカニズムなど科学的な観点において不十分な点が多い。しかし、衣装の劣化現象を保存科学の視点から研究できたことは大変有意義であったと思う。本研究をきっかけに、染織文化財の保存について目を向けてもらえれば幸いである。