石川直樹+宮本武典『得体のしれないものを受け入れる ― 震災と異人』

PHOTOS © Naoki Ishikawa

やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る

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公開採録=2012年6月29日[金]14時〜15時30分/東北復興支援機構

宮本
  東日本大震災の発生から、1年と3ヶ月が過ぎました。僕は自分の日常に向き合う余裕をやっともてるようになったところですが、石川さんの写真をじっくりと拝見して、改めて「あのときの感覚」に引き戻されたような感じです。今日はトークがはじまる1時間くらい前からたくさんの方が来場くださり、静かに写真をご覧になっていました。僕と同じような感覚を抱いた人も、きっと多いのではないかと思います。
 ここに展示されている『やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る』の写真群についてお話を伺う前に、まず石川さんの2011年3月11日を振り返っていただくところからはじめたいのですが。

石川  2011年2月から3月の上旬にかけて南極に滞在していました。南極半島を船でまわりながら旅をして、帰国したのが地震前日の3月10日です。長く船に乗っていたから、数日間は船の揺れの感覚がとれなくて、陸地にいても丘酔いが続いているような状態でした。
 そうしたら11日の午後、ちょうど出版社の人と打合せしているときに本当の地震がきて、東京もかなり揺れました。電信柱がグネグネするような感じで、僕らがいた中目黒の喫茶店も棚からものが落ちてきたりしました。すぐに打合せを中断して自宅に帰ろうとしたのですが電車は動いていなかったのでバスに乗りました。
 バスの車内ではみんな携帯で映像を見ていて、「ものすごい津波がきた」とか「東京でも火災が起きている」とか口々に騒いでいました。自宅に帰るとすぐテレビをつけてニュースを見たのですが、状況がすごいスピードで流れていて、東北でいったい何が起きているのかよく分からなかったですね。いろいろな人がいろいろなことをいっている。
 僕は自分の身体をそこに置いて理解して、ようやく言葉を発することができるという世界の理解の仕方をしてきたので、このときも二次的、三次的な情報で状況を判断するのではなくて、自分でそこに行ってみないと分からないと思って、担げるだけの支援物資をリュックサックに詰めて、地震の翌々日に北に向かいました。「道路は寸断されているし、飛行機も乗れない」とか、「沿岸部はどこもアクセス不可能な状態だから行くのはとても無理だ」とか、いろいろな人に止められたけれど、僕の経験上、向こう側に人がいるなら行ける。
 空港に電話したら「予約が一杯で乗ることはできません」と断られたのですが、とりあえず行ってみて、チケットカウンターでキャンセル待ちをしていたらすぐに乗ることができて、青森県の三沢に飛びました。三沢空港から八戸に着いてレンタカー屋に連絡したら、ここでも「ほとんど借りられてありません」といわれるのですが、実際に行ってみると1台借りることができました。
 それから八戸から通行止めの箇所を避け、避難所に立ち寄って物資を渡したりしながら、最終的には岩手県宮古市まで南下しました。当時のことはブログ『ForEverest』に書いているので、詳細はそこに譲りますけれども、道中はガソリンの補給があまりできなかったので、宮古までの移動が限界でした。だからここに展示している写真は、八戸から宮古までの間で撮影したものです。

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宮本
  『やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る』という展覧会タイトルの他、1点ずつの写真にキャプションが付けられていませんが、主にどの地域で撮影されたものか、ざっと教えていただけますか。

石川  ほとんどの写真が、岩手県で撮影したものです。大きな2点組の写真は宮古市の田老地区で、ここは昔から繰り返し三陸津波に襲われていたので、田老堤防という日本有数の巨大堤防をつくったのですが、その安心感で逃げ遅れた人がたくさんいました。地震発生から5日後に、堤防に登って撮影しました。雪が降っていました。  あと、青森県の三沢と八戸の写真を3点だけ加えています。ここは死傷者数がほとんどゼロにちかいのであまり報道されなかったのですが、港の周辺は建物の被害が酷くて、大きな船がいくつも転がっていました。これも実際に行ってみないと分からないことでしたね。

宮本  車で南下した限界が田老地区だったのですね。

石川  そうです。ガソリンもなかったし、南下するための道路が寸断されていて、そこからずっと山のなかを徒歩で移動して海にちかづいて、山肌をクイッと曲がったらこの光景が目の前に広がっていました。記憶に強烈に焼き付いた風景です。

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宮本
  いま僕たちは、そのときの石川さんのまなざしを写真によって追体験しているのですが、すべてが瓦礫と化した田老地区の俯瞰の形容しがたい静けさ…「言葉を失う」とは、まさにこのような光景を前に立ちすくんでいる状態ではないかと思います。
 本展に寄せた文章で、石川さんは、「言葉が追いつけない涯ての風景を留められるのは、写真しかないと思っている」と書いておられます。石川さんは写真家であると同時に、優れたノンフィクションの書き手でもあるわけですが、この田老堤防からの写真も含め、震災を記録にするにあたっての写真と言葉の役割の違いをどう整理していますか。

石川  僕は文章も書きますが、やはり写真家としての活動がメインで、旅をすれば必ず撮ります。言葉より写真のほうが、記録に優れたメディアだと思っているからです。僕は写真とは、世界の端的な模写だと考えていて、基本的に写す行為に失敗も成功もないと思っています。よい写真とか悪い写真もない。それらは世界の断片としてそこにあるので。
 一方、言葉や文章はとても便利で、いろいろと伝えやすい反面、実はこぼれ落ちてしまうものも多いと思っています。僕自身が写真と文章の両方でアウトプットしているので余計にそう感じるのですが、主観的に世界を紡ぐものが言葉・文章ですから、自分の俯瞰で捉えた風景の表現では、やはり大事なディティールが抜け落ちてしまうのですね。
 それがよい場合もあって、言葉で表現すべき事柄もあるけれども、このような風景に関していえば、やはり何ひとつこぼれ落ちてはいけないような気がしました。

宮本  「何ひとつ(記録として)こぼれ落ちてはいけない」と被災地でカメラを構えているとき、石川さんのなかに〈写真家としての役割〉という意識はあったのでしょうか。

石川  そうですね。これだけ大きな自然災害は自分の主観でねじ曲げてはいけないことだし、個人の表現として提出するできごとでもないわけで、記録として撮っています。やはり写真というのは〈記録すること〉が第一にあると僕は思うので、役割というより、その特性を最大限にしていくと、ありのままに撮るしかない。美術であるかないかとかは、こういう状況下では全く意味を成さないというか、目の前にあるものをとにかくきっちり撮ったという感じですね。

宮本  この展覧会には『やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る』という、風化を連想させるタイトルが付いています。記録する行為とは別に、これらの写真を展示する際に、石川さんはどのようなことに留意されたのでしょうか。同じ地域を定点観測的に撮ったような組写真もありますね。

石川  3ヶ月おきに田老地区に通って撮影しています。3月、6月、9月、12月、1年後にも行きました。そのなかから時間の経過が見てとれる3点を組み合わせて展示したのです。定点観測的な撮影によって写真の記録性を際立たせたかった。田老堤防の件もあって、震災を記録するには直後の惨状だけでなくて時間や風化の経過も含めて撮影し、こうした機会に見せていくことが大切だと考えたわけです。
 これまでも、「まだ見つかっていない家族がいるので写真を見せてほしい」とか「このあたりに家があったのだが何か見なかったか」とか、被災した方々から問い合わせのメールや連絡をいくつかいただきました。そのときはこうやって写真を大きく引き延ばして、隅々まで細かく見ていくわけです。
 今回は震災から1年後のタイミングで展示していますが、アーカイブってものすごく重要ですから、おそらく10年から30年後に、これらの写真はいまとは違う役割を担っていくでしょうね。

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宮本
  〈記録〉という言葉が何度も出ているのですけれども、石川さんはヒマラヤでの長い登山から戻ってこられたばかりです。山で撮影するときと、今回のような写真とでは、記録の考え方は変わってくるのでしょうか。

石川  僕は写真を撮ったり見たりするとき、10年、あるいは100年経って、それが〈見るに値するか〉、後世の人々にとって〈価値ある記録として成り立っているかどうか〉を重要視しています。

 さきほど「よい写真も悪い写真もない」というふうにいったけれど、自分なりの写真の価値を改めて考えると、エベレストでも被災地でも、南極でも都市の路地裏でも、記録として役割を担えるかということだけなので、写真家としてのスタンスは変わらないですね。

宮本  僕は石川さんのようにエベレストの頂から世界を見たことはないのですが、昨年9月の個展『8848』を拝見したとき、この山は人間が経験できる時間の感覚から切り離されていて、何100年、あるいは1000年もほとんど変わらない姿でそこにあると感じました。
 しかし、『やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る』の風景は津波によって一瞬でつくられ、その後も1ヶ月単位でどんどん変わっていきました。エベレストと被災地の写真を比べるというのは、ちょっと乱暴かもしれませんが、石川さんがこれまで体験してこられた旅と、今回の展覧会との接点や差異を、もう少し探っていきたいと思うのですけれども。
 というのも、冒頭に石川さんがおっしゃった「自分の身体で理解していくということの大切さ」を、僕も震災以降、さまざまな場面で痛感させられているのです。震災を身体で経験してしまった故に、記録する際のものの見方というか、フォーカスの仕方が決定的に変わってしまったと感じるのです。
 東北はまだしばらく、震災以前/以降という区分を意識せざるを得ない時間のなかにあるのかもしれません。石川さんは、田老地区に通われる過程で、ご自身が何か変わったということはありますか。

石川  記録する行為のアプローチはそんなに変わらないですけれども、震災は〈巨大な自然に対して対抗したり抵抗したりしても無駄である〉ことを再認識させられるできごとでした。でもこれは、昔からずっと感じていることでもあって、アラスカの川を下ったり、ヒマラヤの山に登ったり、あるいは太平洋の海をカヌーで航海していると、人間というのはとても弱い脆い存在であって、自然には屈せざるを得ないと考えさせられます。
 人智を結集してつくられた堤防や原発も、大津波には無力でした。津波から守ってくれるはずの堤防が一気に決壊して、村が全滅してしまったわけです。自然のなかで人間は弱い。技術で自然に対抗するのは難しいという、昔から旅のなかで感じていたことを、今回の震災でまざまざと現実の風景として見せつけられたわけですね。
 命をつないでいくには、自然への畏怖の念を忘れないで、地震や津波や疫病といった人智を越えた事象、何処からかやってくる〈得体のしれないもの〉を柔らかく受け止める必要があるのですが、実はそのような生き方や知恵は、昔はどこの世界にもありました。
 日本にももちろんあったのですが、いつしか自然に対抗するというか、自分たちにとって住みやすい環境につくり変えていくほうに向いてしまったのですね。僕たちは暑かったら冷房をつけ、寒かったら暖房をつけるのですが、厳しい自然のなかで生きている人たちは環境を変えるのではなく自分の身体を適応させていきます。とても暑いところなら、そこで暮らすための知恵を生み出していくのです。
 自分を変えることを放棄して、まわりの自然環境を変えることに執心してしまうと、それはやがて大きなひずみを生む。通常は起こりえないような大きな自然災害が起こったとき、そうして蓄積されてきたひずみが一気にぶち壊れてしまうというか、逆に人間に襲いかかってくるのです。

宮本  いまの石川さんのお話は、別会場で開催しているもうひとつの石川直樹写真展『異人 the stranger』につながってきます。ふたつの写真展をつなぐ存在として、石川さんが今年1月に大船渡で撮影したスネカの儀礼が挿入されていますが、震災の記録として全体を眺めると、来場者にはいささか唐突に映るかもしれません。震災からの気付きとしての〈得体のしれないものを柔らかく受けとめる〉ということと、『異人 the stranger』展の関連について伺いたいのですが。

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石川
  異人の儀礼では、秋田のナマハゲが有名で、あれを鬼と同じような存在として勘違いしている人もすごく多いのですが、鬼とは違います。鬼は、「鬼は外、福は内」って追い払いますよね。来訪神として現れる仮面の人々は文字通り〈異人〉で、外からやってくる、自分たちとは異なる存在です。何をもたらすか分からない不気味な存在でありながら、人々は追い払わず家にあげるのですね。異人の儀礼は、東北、九州南部、沖縄の島々に残っています。
 スネカは吉浜地区に伝わる異人です。この写真のように玄関からヌッと入って、家の人は酒や料理を出したりして歓待します。海は津波のような災害だけでなく、稲作の技術や植物の種をもたらしてきました。それによって村が繁栄したという伝承が、日本列島にはいくつもあります。外の世界からやってくる異人を招き入れることで、新しい知恵や力が村や家にもたらされると昔の人々は考えたわけです。

宮本  中華思想をはじめとする世界の主たる文明のメインストリームでは、中心に皇帝がいて、そこから王化の光が同心円状に広がって辺境を照らしていくという考え方をとるのですが、いまの石川さんのお話ではその逆で、外界から異形の神や種や技術が流れ着き、それを上手に受け入れることで繁栄していこうとする態度ですね。 石川さんは写真集『ARCHIPELAGO』や『CORONA』で、日本を島々が連なる群島として捉え直す視座を提示されてきたわけですが、この異人も、そうした海との古いつながりを示すものとして撮影されているのでしょうか。

石川  そうです。僕たちは日本列島を〈日本〉という国家の概念でひとくくりしてしまいがちですが、実はさまざまな島の連なりですよね。南は本州島があって四国島があって九州島があって、そして奄美群島があって琉球諸島があって、その先の台湾、フィリピン、さらにその先のスンダランドの島々につながっていく。そして北は北海道島からサハリンからカムチャッカ、そしてアラスカからクイーンシャーロット島へと連なっていくわけです。
 現在の日本は東京という中心があって、そこから遠い場所ほど辺境化していくのですが、昔はそうではなくて、確たる中心がないまま各部分が独立しながら全体としての統制を失わないという、有機的なネットワークがあった。もちろん、それはいまもあるわけですが、どうしても中国やアメリカなど、東西の大陸にある超大国との関係に目が注がれ、群島としての日本は見えにくくなっています。
 しかし、無数の中心があるという群島的な世界の在り方こそが、異人や津波のような〈得体のしれないもの〉に抵抗せず、柔らかく受け止めてきた、僕たちの本来の生き方であり文化なのではないかと、震災後、改めて思うわけです。

宮本  今日はこれから会場を移して、その『異人the stranger』についてさらに掘り下げてお話を伺っていくのですが、田老地区をはじめ被災地の記録撮影は今後も続けられるのですか。

石川  9ヶ月くらい経って、瓦礫が片付いてからは、家々の基礎がむき出しになってひろがって、ただ草が生えているだけというか、風景にあまり変化が見えなくなってしまいました。田老地区は地面を底あげする大規模な工事がはじまっています。造成が終わったら建物がどんどん建っていくでしょう。 『やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る』はまだ全然区切りはついていなくて、これからも定期的に通って、風景の変化をずっと撮り続けていきます。そうして見続けた果てに何が見えるのかが知りたいわけなので、震災の記録はまだはじまったばかりです。

宮本  その続きをまた展覧会として見せていただけたらと思います。



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続:公開採録=2012年6月29日[金]16時30分〜18時/東北芸術工科大学 本館7階ギャラリー


異人 the stranger

宮本  この展示では、東北から沖縄まで、さまざまな地域で石川さんが立ち会ってこられた異人の儀礼を、島々が連なるように展示してみました。そのことで、南北に長い日本列島のなかに、本当に多様な文化があるということが分かりました。特に沖縄や九州の異人は、それが現代の日本でおこなわれているとはにわかに信じがたいくらい、ポリネシアなど南洋の島々の呪術的な民俗世界と連なっていますね。
 ところで、2010年に石川さんが発表された写真集『ARCHIPELAGO』に、すでに異人は登場しています。群島(=アーキペラゴ)として日本を捉え直す旅のなかで、異人と石川さんはどのように出会っていったのでしょうか。

石川  島って、一見するとウェルカムなところがありながら、実はその根っこではすごく排他的な部分もあるのです。島の儀礼や神事のなかには、決して入ってはいけない、撮ってはいけない、語ってはいけないという、タブーがたくさんある。
 僕はもともと、そういう秘密結社の祭祀にとても強い関心があったのですが、『ARCHIPELAGO』では自分自身が異邦人になって、小さな島々に入っていったので、異人を迎え入れる儀礼というものに興味をもったのです。

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宮本
  いまタブーや秘密結社という言葉が出てきたのですが、現代を生きている僕たちにとって、そのような島のコミュニティのあり方はとても特殊に聞こえてしまいます。そうした強力な秘密やタブーが、なぜこの現代日本の島々に生き続けているのでしょうか。

石川  さまざまな要因があると思うのですけれども、僕なりにシンプルに理解しているのは、秘密を共有した仲というのは本当の友だちというか、結束ができますよね。秘密を共有することで集落の絆をつなぎとめる、それが異人の儀礼の役割であったりするのです。
 もちろん、こうした奇妙な意匠が施された仮面ですから、異人のなかには観光化されてしまったものもあるし、半ば形骸化しつつも、民俗指定文化財として国に守られているものもあります。でもそれは基本的に他者へのパフォーマンスではなくて、共同体のためにおこなわれているのです。

宮本  石川さんはエベレストに登ったり、スターナビゲーションを身に付けて航海したりと、10代の頃から地球規模の旅を続けてこられたのですが、この『異人 the stranger』は歴史や記憶を遡る旅ですよね。

石川  そうですね。昔の世界ってどうなっていたのかという単純な興味があって、以前から世界中の先史時代の壁画を巡って写真を撮ってきました。でも、壁画は目に見える形としてそこに残っているものだけれど、そのせいで目に見えないものもあるというか…。文字や絵ではなく口承で受け継がれている儀礼や祭祀に自然と興味の対象が移っていったのですね。
 僕は未知のものに触れたい、新しい世界に出会いたいという気持ちを常にもっていますが、小さな島には、〈島を島としてつなぎとめる〉ための大きな秘密がある。そこに触れていくのは距離的な旅というよりも、記憶や内面に入っていく旅になっていくのですね。
 それと、僕はトランスに興味があって、サッカーのワールドカップで熱狂している群衆もそうですが、人間の無意識がバッと表出している瞬間に興味があります。人の素の、もっと奥がむき出しになっているような、野生がむき出しになっているような状態を追っていくと、やはり祭りとか儀礼に辿り着くのですね。
 異人の仮面を被った人は変身しています。例えばこのミルクの仮面を被った島の青年は、青年じゃなくなっているのですよね。まさに異人になっているのです。

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ミルク

石川  これから展示している順番で僕が撮ってきた異人についてお話しします。最初に出てくるのは西表島のミルクです。これは「弥勒」がなまって「ミルク」になっていて、波照間、西表、鳩間、小浜など、八重山諸島の豊年祭にはこの白い顔の異人が必ず登場します。
 ミルクはニライカナイからやってくる神です。来訪神は海の彼方からやってきて、恵みをもたらす存在でもあるので、畏怖の念をもって接するのです。このミルクもそうだし、他の異人の儀礼も同じで、人々は決して追い払ったりしないで歓待するわけですね。
 ミルクは人々を伴って浜をずっと歩いていくのですが、豊年祭には死者を迎える意味合いもあるので、黒いベールを被った人たちもいたりして、ちょっと葬列のような感じもあります。最後に獅子舞が現れて終わります。
 このミルクで面白いのは、千鳥足なのです。島の公民館などで、ミルクの仮面を付ける村の青年はしこたま酒を飲んで、酩酊状態で出てくるのですね。仮面を被っているので、目もほとんど見えていないような状態です。ふらふらと千鳥足で現れ、子どもたちが両脇を抱えるようにぴったりと寄り添って歩いていくのです。
 これは日本だけでなくて、世界各地の神話や伝承によく出てくるのですが、境界や境目を超えやすいのは、このように普通の大人とは別の、身体に不自由がある人や、子どもであったりするのです。ミルクはまさにそうですよね、千鳥足の酩酊状態であっちの世界からこっちの世界をふらふらと往復する存在として登場する。


フサマラー

石川  これは波照間島で撮影したフサマラーです。波照間島の豊年祭はムシャーマといって、西表島と同じように、ミルクが最初に出てきて、その後ろにいろいろな人たちが仮装行列のようについていきます。そのいちばん最後尾についてくるのがこのフサマラーなのです。
 カボチャみたいな仮面も異様ですが、雰囲気も他と違います。千鳥足のミルクからはじまって、歌ったり踊ったりして賑々しく行列が続いていくのに、フサマラーだけは何のリアクションもしないで、いちばん後ろで少しうつむき加減でゆっくりついてくるだけなのです。
 これは僕の推測ですが、こうした島々には名前を語ることすら禁じられた祭祀がたくさんあったはずで、フサマラーもその類の神で、それがいつの間にか豊年祭にとりこまれて、行列のいちばん最後に加わるようになったのではないかと。

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パーントゥ

石川  次の写真は宮古島の狩俣集落でおこなわれたパーントゥですね。神聖な井戸の底にあるものすごく臭い泥を汲みあげ、それを全身に塗ってパーントゥに変身します。泥だけでなくて蔦も身体にまとっています。人の形をしているけれど、地元の人は「1匹、2匹」と呼んでいるから、動物と人の間みたいな、まさに得体のしれない存在なのですね。
 パーントゥに泥を付けられると1年間は無病息災でいられるといわれているので、このように抱っこされている小さな子どもは泥をつけられます。パーントゥのなかに入っているのは島の若者たちですから、本気で走るとものすごく速くて、逃げたところで結局は捕まって、泥だらけにされてしまいます。  宮古にはお酒をまわし飲みする「お通り」という風習があって、軒先でオジイたちが集まって飲んでいるところにも、パーントゥが現れてぜんぶ泥だらけにしていくのですが、オジイたちは平然としている。そんな風景が島のあちこちで起こっていくわけです。
 パーントゥの儀礼は全国的に知られるようになって、たくさんの観光客が泥をつけられないように雨合羽を着て見物するのだけれど、そうすると逆にめちゃくちゃにやられてしまう。僕もマキナという中判のカメラを泥だらけにされて、壊れてしまいました。だから地元の人たちは黒いTシャツでくるのですね。どんなに防御しても泥を付けられると分かっていますからね。白いTシャツとかだと洗濯しても落ちないような強烈な泥を付けられてしまいます。
 パーントゥは他の集落でもおこなわれていますが、儀礼が観光化していくことに疑問の声もあがっていて、パーントゥをおこなう日を事前に知らせないようすることも検討されています。

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マユンガナシ

石川  続いて石垣島のマユンガナシです。川平集落でおこなわれている秘祭で、いまはもう撮影禁止になっているだけでなく、集落の入り口に見張りまで立てて、外の人間は入れないようになっています。僕の場合はたまたま川平の人と知り合うことができて、特別に許可をいただいて、その家にやってきたマユンガナシを撮らせてもらいました。
 マユンガナシがやってくる日は、家々の門前に神社の鳥居のような形が白い粉で描かれます。これは魔除けの一種ですが、すると蓑を後ろ前に着たマユンガナシがやってきて、棒を突いて呪文みたいなものを唱えて家のなかにあがってきます。島の外からやってくる異邦人を家にあげてもてなすと礼をして去っていくという、まさに異人を体現する存在ですね。


ボゼ

石川  これは悪石島のボゼです。ここにも鳥居が写っています。もともと島には神社なんてなかったはずだけれど、よく見ると三角形の模様がついている。三角形の模様のある鳥居なんて、おそらく全国どこにもなくて、タイの少数山岳民族などが同じような文様を家に刻み付けるので、そうした東南アジアの文化が島に漂着して伝わったのかもしれません。これについては研究者たちも調べているけれど、なかなか答えが出ないですね。  ボゼが出てくる前に、集落では盆踊りがおこなわれます。円になって2時間くらい踊るのですが、僕はこれ、旅の原型の一種だと考えています。旅というのは巡礼からはじまっています。ヨーロッパならサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼者が、旅行の原型をつくっていくのですが、日本にはそこまで長い巡礼はないものの、山岳信仰やお伊勢参り、お遍路なんかがありますよね。

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 でも、このような小さな島々では長く歩く巡礼は叶わないわけですから、この盆踊りのように同じところをぐるぐるまわっていく身ぶりに巡礼の意味合いを込めたのではないかと。みんなで延々とおなじ身ぶりで踊ることによってトランスのような状態になり、別の世界への扉が開き、そこからボゼが登場するというわけです。
 集落の中心に漢字の「寺」ではなくて、カタカナの「テラ」と呼ばれている場所があって、ボゼはそこから出てきます。手には赤土を塗ったマラボウという男性器を模した棒をもっていて、それで女性とか泣いて逃げる子どもを追いかけて突くわけです。宮古島のパーントゥと同じで、この赤い泥がつくとその1年は無病息災で暮らせるといわれています。
 ボゼの仮面は1年に1回、この儀礼のために必ず新しくつくらなくてはならないのです。使い終わった仮面はテラの裏に捨てられて、よく見ると、朽ち果てた昔のボゼの面が草むらのなかに転がっている。テラはまるでボゼの墓場のようでもあります。


悪石島

石川  ところで僕とこの悪石島には不思議な縁があるのです。2004年に、僕は冒険家の神田道夫さんと熱気球で日本からアメリカまで太平洋を横断しようとして、途中で海に落ちてしまったことがありました。とても幸運なことに、たまたまちかくを航行していたアメリカ船籍のタンカーに助けられたのですが、そのときに乗っていた気球のゴンドラが、4年後に悪石島の浜辺に打ちあげられたのです。
 救助されたとき、ゴンドラのなかにはパスポート、財布、パソコン、カメラ、フィルムなど、大切な荷物がすべて残っていたのですが、着のみ着のまま助けられたので見捨てるしかなかった。ゴンドラはとっくに海に沈んだと思っていたのですけれど。
 島から連絡をもらって駆け付けてみると、断崖絶壁に囲まれた猫の額ほどの浜辺に、僕が乗っていたゴンドラが確かに漂着していました。まわりには野生化した山羊がいて、ゴンドラの内部には魚がピチピチ跳ねていたけれど、自分のカメラとかフィルムは、錆び付いたりしてぐちゃぐちゃな状態でしたが残っていました。
 当時すでにボゼを撮るために通っていたのですが、まさかトカラ列島の島にゴンドラが打ちあげられるなんて、思いもよらないことでした。ボゼとゴンドラはどちらも海からやってきたのですね。熱気球の顛末については『最後の冒険家』に詳しく書いています。

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トシドン

石川  続いては鹿児島県下甑島のトシドンですね。これは今年に入って撮ったので最新作です。下甑島と上甑島という連なるふたつの島があるのですが、トシドンを迎える儀礼は、下甑のいくつかの集落でしかおこなわれていません。トシダマという、お年玉の原型と思われるお餅があって、それをトシドンから貰うと、子どもがひとつ年をとるという儀礼ですね。
 トシドンを撮影するために去年の大晦日から甑島に渡って、島でお正月を迎えました。フェリーで下甑島に近づいていくと断崖絶壁の切り立った岩がたくさんあって、それがどことなくトシドンの仮面に似ているのですよ。もちろん人為的に割れたものではないけれど、特に薄暮のころに浜に出ると、島が巨大なトシドンにぐるりと囲まれているような、奇妙な風景がひろがっているのですね。
 トシドンも家々に迎えられるのですが、最初は1体だけ入ってきて、続いて2体、3体と増えていきます。3体が居間に揃うと、その家の子どもが起立して歌を1曲歌わされるのですね。曲は何でもよいみたいで、ちゃんと気をつけをして、「ブンブンブン蜂が飛ぶ…」とか、お正月なのにクリスマスソングを歌い出す子どももいて、すごく面白い。
 でも歌い終わった後、子どもたちは餅をもらって背中にのっけられて、四つん這いになって餅を運ぶのですね。餅を落とすとトシドンにものすごく怒られて、最初からやりなおしなのです。それが子どもには恐ろしくて、しくしく泣きながら動いて、そうやってひとつずつ年をとっていくという祭りなのです。
 このときは、「トシドンを絶対に後ろから撮ったら駄目だ」といわれました。明らかに人が仮面を付けているのですけれども、後ろから撮ると子どもたちが「仮面を付けた人だ」と分かってしまうと。他の異人の儀礼でも、仮面を付けているところは決して撮らせてもらえません。異人への変身は外の人間が見ても話してもいけない、もっとも厳しいタブーなのだと思います。

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アマメハギとナマハゲ

石川  ここから北の異人に移っていきます。まず新潟のアマメハギです。これは村上市大栗田集落のアマメハギですが、過疎化によって途絶えかけたので、いまは無形民俗文化財として保存会が守っています。かつては村の青年たちがアマメハギになったのですが、現在は保存会の指導を受けた別の地域の子どもたちが受け継いでいます。
 そのせいで、「ここの囲炉裏を一周まわって、こう動いて、こう歌って」と、異人の儀礼としては少し形式的になっていますね。トシドンやパーントゥのような恐ろしさはないです。八重山諸島などはまだ外部の情報が入りにくい状態ですから、昔のしきたりが残っていますが、本州ではやっぱり難しいのでしょう。
 仮面も既成のもので、獅子面やテング面を使っています。昔どんな仮面を使っていたかはもう分からないですね。アマメハギは新潟の集落だけではなくて、石川県の能登にもあります。
 続いて秋田の有名なナマハゲですが、男鹿半島から少しはずれた地域ではちょっとずつ名前が違ってきます。アマメハギ、ナモメハギとかね。山形でも遊佐町の女鹿集落にアマハゲがあります。これもナマハゲの亜流で、男鹿半島から東日本各地に伝播していったと考えられています。
 僕が撮影したナマハゲは、男鹿半島でも最も歴史が古い真山地区のものですけれども、注目してほしいのは、観光キャラクターとしてのナマハゲには必ずついている角が、古いものにはないのです。このことからも異人と鬼とは区別すべき存在であるといえます。かつて岡本太郎も、東北を旅したときナマハゲを撮っていましたが、その頃はいまよりもっと秘密結社の色合いが濃かったでしょうね。

スネカ

石川  最後に1枚だけある大船渡市吉浜のスネカは、別会場で開催中の『やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る』に組み込んで展示しています。
 北陸から東北にかけての異人は、ナマハゲもアマメハギも日本海側であるのに、なぜかスネカだけ太平洋側なのですね。おそらく秋田のマタギたちが岩手に移っていって、大船渡に定住したのではないかと。
 実際、ナマハゲとよく似ているのですよ。スネカの「スネカワタグリ」は、足にできたデキモノとか腫れ物を剥くという意味合いがあって、これはナマハゲもアマメハギも同じです。悪石島のボゼにも、「イボ」の意味があったりします。東北と沖縄をつなぐクロスセクションとして異人の儀礼を見ていくと、すごく面白いですね。  大船渡は今回の震災で甚大な被害を受けたので、このスネカも一度はやめようという話になったのですが、やはりコミュニティを結束させる大事な儀礼であり、地域の歴史の重大な根っこであるということで、2012年は仮設住宅にスネカがまわりました。
 スネカがやってくると、子どもたちは怯えて泣き叫ぶのですが、それが年をとっておばあさんになったりすると問答をはじめたりするのです。スネカに向かって「オメエ、どっからきたんだ」みたいな感じで、得体のしれない存在とも理解し合っていく。そうした儀礼を集落の人たちは子どもの頃からずっと見てきていますから、すごく怖いけれど、そういう存在ともコミュニケートできると考えるのですね。


宮本
  ギャラリートークのはじめに、「異人の儀礼によってコミュニティの絆を保つ」というお話がありましたが、その意味では村上のアマメハギなどは、本来の姿としては消えてしまったのですね。パーントゥが観光化することを島の人たちが危惧していることも、このたびの震災でスネカが途絶えかけたというお話も印象的でした。
 さて、この『異人 the stranger』の構想をはじめて石川さんから伺って、「ぜひ山形で展覧会にまとめましょう」と話したのが2年前です。その間に東日本大震災が起こって、被災地で『やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る』の写真群が撮影されていったのですが、一見して異なるふたつのプロジェクトが、被災地の異人であるスネカによってリンクしていくのは、とても運命的であると同時に、震災後の世界を考えていくうえでたいへん示唆的であるという気がしています。
 異人という得体のしれない存在を受け入れてきた島々の民俗知が、石川さんの「自然に対抗するのではなくて自分たちが適応していく」というお話に重なってきました。今日は長時間、貴重なお話をありがとうございました。

(『TUAD as Museum : Annual Report 2012』より転載)

国東半島での『異人 the stranger』、3月17日[日]まで開催。

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現在、大分県国東半島で開催中の『異人 the stranger』。石川直樹さんは、1000年以上前から国東に伝わる火祭『修正鬼会』(国重要無形民俗文化財)など、現地で精力的に取材・撮影をおこなっています。修正鬼会(しゅじょうおにえ)に登場するのは、御先祖が姿を変えた「鬼」ということですが、九州において「異人」と「鬼」にどのような関連があるのか、気になるところです。3月17日[日]まで開催。

『国東半島アートプロジェクト2012』
公式ウェブサイト→ http://kunisaki.asia/
公式facebook→ http://www.facebook.com/kunisakiartproject2012

写真4_姫島と国東半島 写真2_天念寺 写真3_熊野磨崖仏

上から「姫島と国東半島」「天念寺」「熊野磨崖仏」 photo by Naoki Ishikawa

 

石川直樹 写真展『異人 the stranger』

世界を旅する若手写真家が魅せられた、国東半島の光景。石川直樹が約1年間にわたり撮影してきた、国東半島の風土や自然、祭り、人の暮らしなど の写真を中心に、他地域でも撮り続けてきた来訪神=異人を迎える儀礼の写真を展示します。国東半島という土地が持つ独自性、また自然と人間との根源的な関係性を見つめ直していきます。

国東半島アートプロジェクト2012[春期]
会期:2013年2月9日(土)→3月17日(日)
会場:豊後高田市旧香々地町役場
時間:10:00-17:00 木曜日休館

『異人 the stranger』展示記録/山形展

写真・テキスト:石川直樹 アートディレクション:近藤一弥 キュレーション:宮本武典 什器制作:相田広源(TIMBER COURT) 調査協力:井筒桃子、佐藤哲夫、貝瀬千里 Photography by Takenori Miyamoto + Hiromi Seno 2012/06/29/Yamagata

国東半島アートプロジェクト2012【春期】

『異人 the stranger』は、水と土の芸術祭2012終了後、大分県の国東半島で11月3日からスタートした『国東半島アートプロジェクト2012』に巡回します。プロジェクトはアーティストインレジデンスやツアーなどを交えつつ、秋期と春期に分けて開催され、『異人 the stranger』の展示は2月からはじまります。石川直樹さんは同地に伝わる火祭り「ケベス祭」をあらたに撮りおろし、プリントに加えています。 国東には、『水と土の芸術祭2012』の新潟万代島旧水揚げ場で黙示録的な巨大インスタレーション『Smile』(大友良英との共作)を発表した飴屋法水さんも参加するなど、山形―新潟―大分が不思議な連鎖をみせています。さらに『国東半島アートプロジェクト2012』は、開催テーマとして「国東×異人」を掲げました。沖縄県宮古島の泥の異人『パーントゥ』の起源は、島に漂着した仮面だと言われていますが、東北からはじまったこのプロジェクトが、あの忌まわしい津波の余波に押され、北陸の港を経て、さらに遠く九州の半島に流れ着いたような… 不思議な感覚があります。

宮本武典(本展キュレーター/東北芸術工科大学准教授)

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国東半島アートプロジェクト2012とは(公式HPより転載) いにしえから瀬戸内海と大陸を結ぶ交易の要所であった大分県国東半島。全体的に円に近い丸みをおびた独特の形をした国東半島は、これまで数多くの人々や文化、時には自然災害など、ありとあらゆるものが海からもたらされた土地です。そこに暮らす人々は、それらを柔軟に受けいれ、「来訪神」=「異人」として尊んできました。それらは現代にも生き続け、数多くの奇祭、祭事が日常の中にあります。両子山を頂点として放射線状に伸びる谷間に、独自の文化や多くの奇祭が根付くこの半島を舞台に「国東半島アートプロジェクト2012」を開催します。 旅の入り口は、アーティストが空き屋をリノベーションした「いえをつくる」。現代の異人=アーティストの自由な発想と場の力とが出会い、作品空間へと変わる空き家は、訪れる者を異世界の旅へと誘うでしょう。アートツアー」では、「いえをつくる」の鑑賞の他に、1300 年前の風景がいまだに残る国東半島の自然や、神仏習合の文化、半島での暮らしとそこに流れる時間を感じながら巡り食事も含めて、その体験がひとつの作品として提示されます。また、写真家・石川直樹氏が一年を通してさまざまな角度から国東半島を捉え、その本質を追求した写真展や、周防灘に臨む岬一帯での恒久設置プロジェクト「香々地(かがち)プロジェクト」など多彩な事業を展開します。期間中に国東半島を巡れば、豊かな恵みと文化、そしてとっておきの芸術体験が待っています。

テーマ『国東×異人』 開催概要 主催|国東半島芸術祭協議会(大分県、豊後高田市、国東市、ツーリズムおおいた) 会期|秋期  2012年11月3日(土)~25日(日)    春期  2013年2月9日(土)~3月10日(日)予定 会場|豊後高田市、国東市 各所 料金|無料(ただし、アートツアーは別途料金が必要となります)

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また、10月28日には、旧笹川邸で石川さんが自らコーディネートしたシンポジウム『異界との対話ー実践としての写真』がおこなわれました。赤坂憲雄さんと伊藤俊治さんによる異人論/写真論はUSTREAMで視聴することができます。→ http://www.ustream.tv/recorded/26486876

シンポジウム『異界との対話ー実践としての写真』

『開港都市にいがた水と土の芸術祭2012』で開催中の石川直樹展『異人 the stranger』会場で、10月28日に芸術祭主催シンポジウムがおこなわれます。石川氏自身がコーディネーターとなり、民俗学者の赤坂憲雄氏と東京藝術大学の伊藤俊治教授が、旧笹川邸の大広間で「異人」について語り合います。

(以下、水と土の芸術祭2012公式HPより転載) 「海は限りない恵みをもたらす一方で、時に災いをもたらすこともある。しかし、それでも日本列島に暮らしている人々は、海からやってくるあらゆるものに対し、抵抗し拒絶するのではなく、また打ち克とうとするわけでもなく、静かに受け止めて、柔らかく吸収してきた。こうした自然との付き合い方が、来訪神の儀礼、異人の迎え方に表れているとわたしは考える」石川直樹 家々を訪れる仮面の神を座敷にあげて歓待する「異人」の祭祀。それは人間が、得体の知れない異なる世界と対話する技法だったのかもしれません。列島各地に残る「異人」を追った石川直樹「異人 the stranger」展に合わせ、『異人論序説』著者で「東北学」提唱者の赤坂憲雄と、バリ島文化等にも詳しい写真・美術評論家の伊藤俊治を招き、仮面や来訪神の儀礼とその存在理由、「旅」による記憶の発見や、写真表現の可能性等、「異人」を巡って語り合います。

会場 旧笹川家住宅(新潟市南区味方216番地、025-372-3006)  時間 15:30~17:30 定員:100名 ※先着順受付 入場料:旧笹川家住宅入場料(団体料金)一般400円、小中学生無料 ※未入場の芸術祭パスポート、又はフリーパス券で入場可 <出演>  コーディネーター:石川直樹(写真家/水と土の芸術祭参加作家) 赤坂憲雄(民俗学者/福島県立博物館館長、学習院大学教授) 伊藤俊治(美術史家、美術・写真評論家/東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授)

石川直樹/異人

design:Kazuya Kondo Inc

石川直樹 異人 the stranger

6月1日[金]→30日[土]
東北芸術工科大学 本館7階ギャラリー

本展は、写真家・石川直樹が日本の南北を旅しながら撮影した『スネカ』(岩手県大船渡市)や『アマメハギ』(新潟県村上市)、『トシドン』(鹿児島県甑島)などの異人を紹介するもので、山形市の東北芸術工科大学からはじまり、その後、新潟市の『水と土の芸術祭2012』他、日本列島の各地を巡回していくプロジェクトです。石川は、祭事や儀礼として生きながらえてきた異人の仮面やユニークな所作を、民俗資料的な"非日常の存在"としてではなく、現代の生活空間を背景に撮影してきました。記憶の古層から抜け出て、平穏な住宅街や家々の居間を闊歩する異形の神々の姿は、かえって観る者/立ち会う者を圧倒します。東北と沖縄に多く伝わる異人たちは、海から来訪する神々です。2011年3月11日に私たちが体験した巨大な地震や津波もまた、海からもたらされました。石川が写しとった『異人 the stranger』は、3.11以後の日本列島を生きる私たちに、自然とヒトとの根源的な関係性を問い直します。

日本列島には、来訪神を迎える儀礼が多く残されている。異人は、海の彼方からやってくる異形の神であり、異邦人でもあった。本展覧会は、東北と九州・沖縄の島々に残された、異人を迎える儀礼を撮影したものである。
海は限りない恵みをもたらす一方で、時に災いをもたらすこともある。しかし、それでも日本列島に暮している人々は、海からやってくるあらゆるものに対し、抵抗し拒絶するのではなく、また打ち克とうとするわけでもなく、静かに受け止めて、柔らかく吸収してきた。こうした自然との付き合い方が、来訪神の儀礼、異人の迎え方に表れているとわたしは考える。
海の彼方から来た化け物、得体の知れない何かを居間にあげ、そこで迎えていく身ぶりを見つめ直すこと。そうすることによって、もう一度、人間と自然との付き合い方を考え直してみたい。 石川直樹

主催=東北芸術工科大学
協力=水と土の芸術祭実行委員会
企画=東北芸術工科大学美術館大学センター
宣伝美術=近藤一弥(本学教授)
キュレーター=宮本武典(本学准教授)

Artist

石川直樹|Naoki Ishikawa

石川直樹|Naoki Ishikawa
1977年東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。2000年、Pole to Poleプロジェクトに参加して北極から南極を人力踏破、2001年、7大陸最高峰登頂を達成。人類学、民俗学などの領域に関心をもち、行為の経験としての移動、旅などをテーマに作品を発表し続けている。2006年、写真集『THE VOID』により、さがみはら写真新人奨励賞、三木淳賞。2008年、写真集『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞。2009年、写真集『Mt.Fuji』(リトルモア)、『VERNACULAR』(赤々舎)を含む近年の活動によって東川賞新人作家賞。2010年、写真集『ARCHIPELAGO』(集英社)にて、さがみはら写真賞。最新写真集に『CORONA』(青土社)がある。著書に『いま生きているという冒険』(理論社)、『全ての装備を知恵に置き換えること』(集英社文庫)、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。2011年に第30回土門拳賞受賞。

Schedule

石川直樹アーティスト・トーク

会期=6月29日[金]16:30-18:00
会場=東北芸術工科大学 本館7階ギャラリー
(入場無料)

石川直樹写真展『やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る』

「ぼくができる唯一のことはまず動くことだった。断片的な情報に振り回されるのではなく、自分の目でそれを確かめ、自分の言葉で伝える。物資をもって被災地に行くことを決めたのは、震災から二日後の朝である――石川直樹」宮古市田老地区を中心に、震災後の風景の変化を捉えた写真展。
会期=6月1日[金]→7月29日[火]10:00 - 17:00(日曜休廊/入館無料)
会場=やまがた藝術学舎(山形県山形市松見町17-1)
主催=東北芸術工科大学東北復興支援機構
企画協力=ニコンサロン
アクセス=山形駅前5番バス乗り場[ヒルズサンピア行き]に乗車し松見町バス停で降車
イベント=『石川直樹アーティスト・トーク』(聞き手:宮本武典)6月29日[金]14:00-15:30

『異人the stranger』新潟展
(開港都市にいがた水と土の芸術祭2012)

会期=会期=7月14日[土]→12月24日[月・祝]
旧笹川家住宅(新潟県新潟市南区)
主催=水と土の芸術祭実行委員会
イベント=①レクチャー&パフォーマンス
『異人の寺子屋』
8月25日[土]15:00 - 22:00
旧笹川家住宅を、一日かぎりの『異人の寺子屋』と名付け、畳敷きの大広間や囲炉裏端、隣接する神社の境内で、今昔の「異人」たちが顕われ、深夜まで交流するプログラム。石川直樹氏による『異人 the stranger』の解説、劇作家・前田司郎氏を招待して上演する怪談の他、味方諏訪神社では地元の味方地域に伝わる吉田家神楽を鑑賞する。
イベント=②シンポジウム
『異界との対話――実践としての写真』
10月28日[日]15:30 -17:30
パネリスト=石川直樹(写真家)/赤坂憲雄(民俗学/福島県立博物館館長、学習院大学教授)/伊藤俊治(美術史、美術・写真評論/東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授)

旧笹川家住宅アクセス案内
開館時間=9:00 - 17:00
休館日=月曜および祝日の翌日
入場料=大人500円/中学生以下300円(旧笹川家住宅入場料金)
交通案内=鉄道とバス利用の場合=JR新潟駅前より新潟交通バスで潟東営業所行きまたは月潟行きで約50分「笹川邸入口」下車徒歩3分。高速道路利用の場合=北陸自動車道「巻潟東IC」より車で20分。
会場についてのお問い合わせ=旧笹川家住宅 Tel 025-372-3006
ウェブ=開港都市にいがた水と土の芸術祭2012
http://www.mizu-tsuchi.jp/