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油彩画表面に発生した劣化生成物の分析と発生メカニズムの考察 —《村川家肖像画(仮)》《天華岩》《風景(仮)》を対象に—

佐藤瑠璃
[美術史・文化財保存修復学科]

○緒言
 本研究は、《村川家肖像画(仮)》〔図1〕を中心に、高橋源吉作《天華岩》《風景(仮)》の油彩画三点に共通して見られた劣化生成物の自然科学的分析による同定と発生メカニズムの考察を目的とした。油彩画表面に発生した劣化生成物に関する研究は発展途上であり、作品によって発生物質や予想される原因物質は様々である。よって、発生物質の同定とともに、対象作品の特徴をふまえた発生原因の考察が必要と言える。

○蛍光X線分析(XRF)による使用顔料の推定
 作品の使用顔料を推定するため、XRFによる元素分析を行った。《村川家肖像画(仮)》では、画面全体から亜鉛(Zn)、カドミウム(Cd)の検出が多かった。したがって、劣化生成物の原因として、下地に使用された亜鉛を含むジンクホワイト(ZnO)が考えられる。しかし、カドミウムイエローが全体に使用されていると仮定すると、絵具に含まれる硫化カドミウム(CdS)及び硫化亜鉛(ZnS)が原因である可能性も示唆される。《天華岩》《風景(仮)》の二点は、全体から亜鉛が検出されたことから、地塗りに使用されたジンクホワイトが原因として考えられる。

○採取したサンプルの分析と同定結果
 採取困難だった《風景(仮)》を除き、《村川家肖像画(仮)》からは、色や形状の異なる劣化生成物4種類〔図2〜5〕、《天華岩》から1種類サンプルを採取した〔図6〕。また、先行研究で発生例の多かった、硫酸亜鉛7水和物(ZnSO4・7H2O)と硫酸亜鉛アンモニウム水和物((NH4)2Zn(SO4)2・nH2O)の試薬を標準試料として同様に分析を行った。分析方法と使用機材は、マイクロスコープ、XRF、エックス線回折(XRD)、走査型電子顕微鏡(SEM)、エネルギー分散型X線分光器(EDS)、フーリエ変換型赤外分光分析装置(FT-IR)である。

 各種分析の結果、《村川家肖像画(仮)》のサンプルは、それぞれ硫酸亜鉛7水和物、硫酸亜鉛1水和物、硫酸亜鉛アンモニウム6水和物の三種類である可能性が高く、《天華岩》のサンプルは硫酸亜鉛アンモニウム6水和物である可能性が示唆された。XRFおよびEDSより、採取したサンプルからはいずれも亜鉛と硫黄の検出が認められ、かつ、XRD及びFT-IRによって、標準試料の回折線及びスペクトルの比較を試みた結果、標準試料と近似した結果を得ることが出来たためである〔図7〜8〕。しかし、標準試料と比較してEDSによるナトリウム(Na)やマグネシウム(Mg)の検出、またFT-IRのピークが標準試料と完全に一致しているとは言えないため、同定物質以外にも検出されにくい状態で他の物質が混在している可能性がある。

○発生メカニズムの考察
 本研究で確認された硫酸亜鉛の水和物及び硫酸亜鉛アンモニウム6水和物を構成する亜鉛イオン、硫酸イオン、アンモニウムイオンの由来は、それぞれ先行研究と推定使用顔料から三作品ともに下地および地塗りに使用されたジンクホワイト、空気中の二酸化硫黄(SO2)、人の汗などが予想される。また、《村川家肖像画(仮)》に関しては、全体からカドミウムの検出があることから、カドミウムイエローに含まれるCdS及びZnSの可能性もある。いずれにしても、原因物質に関して想像の域は出ない。

 結晶の発生と結晶成長については、相対湿度変化による水分移動が作品内部で起こり、亜鉛イオンと硫酸イオンを含んだ水分が表面で水分を失うことで塩を析出させたと考える。しかし、作品内部を破損せず表面に付着するように発生している状況をふまえると、作品表面で溶解と再結晶が繰り返され成長した可能性がある。特に、硫酸亜鉛水和物は風解性(空気中で自己の結晶水を消失する性質)、硫酸亜鉛アンモニウム水和物は潮解性(空気中で自己の結晶水に融解する性質)を持ち、どちらも水に溶けやすい性質であるため、作品表面で結露などが発生することで溶解と再結晶が起こり易い。また、風解によって結晶水量の異なる塩の生成や、温湿度変化による潮解と再結晶が起こることが考えられる。

○おわりに
 本研究より、標準物質との比較から発生物質は硫酸亜鉛の水和物と硫酸亜鉛アンモニウム水和物であると同定できた。また、発生物質の持つ風解性と潮解性、水溶性から、表面での溶解と再結晶による結晶成長の促進を指摘できた。しかし、原因物質に関しては使用顔料などの内的要因と温湿度変化などの外的要因が考えられたが、解明には至らなかった。したがって、今後の展開として、ジンクホワイトの二酸化硫黄暴露試験や、機械的な温湿度変化による強制劣化実験、カドミウムイエローを用いた強制劣化実験など、細やかな再現実験を重ねることで、原因物質を解明していく必要がある。また、本研究や先行研究で同定された以外にも、複数の物質が混在して発生している可能性があるため、同用の事例において、引き続き自然科学的な分析がなされることを期待する。