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山形県における後期旧石器時代前半期の石器生産 ―岩井沢遺跡の石器製作技術の分析―

金彦中
[歴史遺産学科]

1 研究の目的
 今回の研究では、岩井沢遺跡の発掘調査報告書の再検討を含め、実験を伴う復元研究によって岩井沢遺跡の遺跡形成過程で見られる石器製作の技術基盤を調べた。また、岩井沢遺跡における従来の型式的考察から技術的・機能的分析を中心とする考察へ視点を移し、岩井沢遺跡の「ライフヒストリー」を復元することを目的とした。さらに、岩井沢遺跡と同時期の他後期旧石器時代前半期の遺跡と比較を行い、東北地方における後期旧石器時代前半期石器文化論を述べることにする。

2 研究史
 岩井沢遺跡の発掘調査以降、遺跡は石刃・石刃技法を集中的に研究された(藤原 1983、渋谷 1992、会田 1992など)。1980年代秋田県内で石刃と台形石器が組織的に発見されるまで続き、一方、佐藤宏之が関東地方を中心に石刃と台形石器の関係を後期旧石器時代前半期の「二極構造論」として提唱する(佐藤 1992)。
 岩井沢遺跡の遺物にも未報告のままであった台形石器の報告がなされ岩井沢遺跡は後期旧石器時代の前半期に属する遺跡であることを明確にした(渋谷 2009)。
 近年では前半期の遺跡が多数確認されそれに関係する研究も活発に行われるようになった(渋谷・石川 2010、吉川 2013)。特に、編年研究だけではなく技術的、機能的な視点から前半期を研究する事例が増えている。ナイフ形石器や台形石器のなどの石器の使用痕や着用方法の研究によってより前半期の生活のかたちが明らかになっている(鹿又 2013・2018、洪 2018など)。しかし、岩井沢遺跡はまだ編年研究以外の研究が行われた事例が少ない状態である。

3 問題の所在
 岩井沢遺跡の発掘調査報告書『山形県岩井沢遺跡の研究-小国盆地の旧石器時代-』の第Ⅲ章岩井沢遺跡の剥片剥離技術では、「岩井沢遺跡での「目的的剝片(石刃)」は、すべてパンチを用いた「間接打撃法(パンチ技法)」によって作られており、剝離された縦長剥片・石刃の打点にはパンチの痕跡が明確に残っている」と述べている。後述する「技術的分析(本文の第Ⅳ章「方法と分析」)」と「機能的分析(本文の第Ⅴ章「岩井沢遺跡の機能的分析」)」で直接遺物資料と比較を行うことにする。

4 技術的分析(方法と分析)
 岩井沢遺跡の遺物資料(石刃)がどう作られたのか分析するここと、石器復元製作実験によってそれら遺物資料は硬質石製ハンマーによる「直接打撃」で作られたのである。それに加え、鹿角製ハンマーによる「直接打撃」と鹿角製パンチによる「間接打撃」の可能性は考えづらいことが分かった。
 その理由としては打撃痕(クラック)、縦割れは硬質の材料による剥離行為又は、硬質石製ハンマーによる「直接打撃」の痕跡であり、リップの痕跡は軟質の素材又は、鹿角製ハンマーやパンチによる「直接・間接打撃」で現れることからである。
 この比較結果から、岩井沢遺跡の石刃・石刃技法は岩井沢遺跡の発掘調査報告書で記述された「間接打撃」の技術ではなく、硬質を持つ石ハンマーによる「直接打撃」で製作された可能性が高いと考える。

5 機能的分析(岩井沢遺跡の機能的分析)
 まず、頁岩の原石を三つのパターンを経て石核を形成し、その石核から二つの種類の石刃を作り出す。その石刃は、末端が尖っている形状を持つものと、やや平たい形状を持つものとがある。両者のうち、前者からは尖頭器(狩猟具)及びナイフが作られる。これらは柄などに装着するため、わりと平らな石刃の上部・打面部を基部としている。後者からは、スクレイパーやナイフなどのトゥール(加工具)が作られる。これらの石刃・ナイフ形石器を作る際に剝離された大型剥片を用いて台形石器の石核として台形石器・剥片を製作する。
 しかし、岩井沢遺跡でのトゥールはごく一部であり、そのもととなる石刃が遺物のほとんどを占める。そして、石刃と石核とを接合した資料の数も多い。岩井沢遺跡は石器製作地遺跡でありながら、作った石器をあまり消費しないことから、一定期間の石器製作キャンプ遺跡であると考える。

6 考察と結論
 今回の研究では、以下の考察結果に加え、問題点についても明確となった。
 考察結果について、岩井沢遺跡の発掘調査報告書の再検討を含めた技術的・機能的分析を中心とする実験と分析を伴う研究によって、岩井沢遺跡の遺跡形成過程で見られる石器製作の技術基盤を調べることができた。岩井沢遺跡の発掘調査報告書では、「遺跡の「石刃」は、すべてパンチを用いた「間接打撃法(パンチ技法)」によって作られており、剝離された縦長剥片・石刃の打点にはパンチの痕跡が明確に残っている」(加藤編 1973)と述べていた。しかし、筆者が行った石器復元製作実験により、岩井沢遺跡の石刃・石刃技法は「間接打撃」の技術ではなく、硬質石製ハンマーによる「直接打撃」の技術によって製作されたものを示した。他に、原石を分解し石刃石核をつくり、大型剥片から台形石器をつくる各段階で硬質石製ハンマーによる「直接打撃法」を用いていたことが明確となった。そして、石刃を基に作られるトゥールは、その加工された部分や角度を基に「狩猟具」と「加工具」の大きく二つに分けられ、その用途に関しても調べることができた。
 レジュメには詳細に記入してなかった遺跡調査については、岩井沢遺跡の近辺における遺跡環境に触れることに加えて、石材(頁岩)の採得作業を通して、製作・使用・廃棄までの過程を追うことができ、遺跡の生活相、「ライフヒストリー」について、その一部分を明らかにすることができたと考える。また、岩井沢遺跡をめぐる様々な編年研究の中で、とりわけ吉川の前半期編年案を基にし、岩井沢遺跡と前半期の他遺跡との比較を行った結果、岩井沢遺跡は同県懐ノ内F遺跡、秋田県下堤G遺跡とともに後期旧石器時代前半期の第3期に属しており、山形県清水西遺跡のみ前半期の第1期に属することが推定できた。
 問題点について、本研究における最後の目的として想定した岩井沢遺跡の「ライフヒストリー」を復元するという内容までは考察が至らなかった。また、岩井沢遺跡と同時期の他後期旧石器時代前半期の遺跡に関しては、両者の比較から東北地方における後期旧石器時代前半期石器文化論を述べるというのが当初の目的であったが、吉川の編年案を基に岩井沢遺跡と同時期の遺跡を年代比定する編年研究にとどまったため、より詳細な比較検討が今後の課題であると考える。