『肘学』 後半編 イメージのなかを旅するはなし
2015/09/08
写真で巡る、「ひじおりの灯 2015」 前回に引き続き、『肘学』の様子をお伝えします!
『肘学』第2部は、第1部にご登場いただいたd design travelの空閑理さん、山伏の坂本大三郎さんのお二人に加え、日本画家の三瀬夏之介さん、そしてこの「ひじおりの灯」を手がけるキュレーター宮本さんによる「アートと旅のはなし」。「絵語り・夜語り」の後ということもあり、会場となった肘折ホテルさんには灯籠鑑賞からそのまま参加された方も多く、アート好き、旅好きなたくさんの皆さんにお集まりいただきました。
まずは、旅館の皆さんにご用意いただいたおいしいご飯とお酒とともに、ゲスト4名それぞれが選んだ“アートと旅”にまつわる写真を見ながら、みんなで“旅”について考えます。
空閑さんは香月泰男の「シベリア・シリーズ」、大三郎さんはタマンネガラ国立公園で原始的な生活をする人びとの写真。三瀬さんが選んだのは、山形県村山地方に伝わる「ムカサリ絵馬」。宮本さんは、奥さんが臨月のときに描いたという荒井良二さんのライブペインティング作品。
4名それぞれの話を聞きながら、”旅”にはいくつもの入り口があるのだと思いました。住む場所を離れ、どこかよその土地を訪ねるだけでない旅とは、どんなものなのでしょうか。
以前、大蔵村出身の舞踏家・森繁哉さんが肘折のおばあちゃんに聞き書きをしていたとき、その想像力の豊かさに驚かれたのだそうです。おばあちゃんたちの中には、肘折から出たことがない、あるいはそのほとんどの時間をこの土地を離れず生きてきた方もいるそうですが、イマジネーションに富んだ方がほんとうに多いのだそうです。おばあちゃんたちが持つそうした想像力は、昔から湯治客や修験者を受け入れてきた肘折の気質によって生まれているのか。あるいは…いくつもの山々に囲まれ、冬は積もる雪のなか。ひらけただけでない場所や時間が今も残る肘折だからこそ、その外側にある世界に対する想像力が育まれてきたのでしょうか。一つの場所に固定的に生きているけれど、想像の中ではずっと旅を続けている。旅とは、住む場所を離れ土地から土地を訪ねるだけでなく、イメージからイメージへと移動する、そんな姿も持ち得ているのかもしれません。
『肘学』後半は、「絵語り・夜語り」の様子を振り返りながら、灯籠絵のなかに描かれた肘折へと旅します。春の取材合宿を経て制作される「ひじおりの灯」、毎年いくつもの肘折の表情を捉え見飽きることはありませんが、今年の灯籠もバラエティー豊か。様々な物語が描かれています。ゲストの皆さんには、それぞれ、今季点灯した灯籠絵のなかから印象に残った作品を挙げていただきました。
1つの場面が描かれているけれど、昼と夜、あかりに灯されることで異なる時間が浮かび上がり、描かれた時間が移動していくもの。結婚や出産などを経て、絵のなかに描かれたひとりの人生や時間が、写真とは違うかたちで残され記録されていくもの。宿のおかみさんから聞いた幼少の頃の話など、ここに暮らす人びとのこれまで生きてきた時間やヒストリーを丁寧に聞き書きし描くことで、この土地の記憶に出会えるもの。あるいは、一見、肘折とは直接つながらないように見える絵が、偶然この場所に飾られることで、物語が動き出したもの。灯籠絵「ひじおりの灯」に描かれた物語や情景は、こうして夏の夜に灯されることで浮かびあがり、秋へと季節がゆくなかでじんわりとこの土地に記憶され、わたしたちに新たな風景を見せてくれます。
温泉街に飾られた灯籠を見ていると、ときどきそこに描かれた場面へと旅に出た気持ちになることがあります。川を越え、山を越え、はるばるこの地まで来たわたしたちはまた、「ひじおりの灯」の灯籠のなかへ旅立つことができる。夜の灯りのなか、イメージに誘われる。それも「ひじおりの灯」が持つの魅力のひとつだと思いました。
さて、その日会ったばかりの人とも話がはずんでしまうのは、昔から人びとを受け入れ、身も心もほぐしてきた湯治場ゆえでしょうか。二度目の乾杯をしても、夜が更けても、なかなか話は尽きません。思い出すだけでもとても楽しい夏の夜でした。
湯治場は、お湯に浸かって身体を癒すだけでなく、地元の人と湯治客をつなぐ交流の場でもあったのだそうです。肘折の湯のなか、これからどんな会話が生まれていくのでしょうか。どうぞお楽しみに! 肘学Website⇒ http://hijiori.jp/hijigaku/index.html
(美術館大学センター 事務局 鈴木淑子/撮影 瀬野広美,Flot)