報告|月山若者ミーティング~山形のうけつぎ方

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 Photo:Hiromi Seno

西村佳哲さん(リビングワールド代表)をファシリテーターにお迎えし、真夏の肘折温泉で開催した『月山若者ミーテング』。霊峰・月山のふもとで、5名のゲストから「うけつぐ」をテーマにお話を伺いました。西村さんの穏やかなリードのもと、若き山形の担い手たちの決意や切実さ、故郷への愛情が装飾のない言葉で引き出され、「うけつぐ」を可能にする実践的なアイデアも含みつつ、それでいてパーソナルな言葉や共感に充ちた、素晴らしい会になったと思います。

西村佳哲さん(左)

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映画『よみがえりのレシピ』より/渡辺智史さんより提供

最初の話者、渡辺智史さんは、東北芸術工科大学在学中に山形国際ドキュメンタリー映画祭で世界の優れた監督たちの作品に触れ、映画監督を志しました。現在は故郷・庄内を拠点にドキュメンタリー映画の撮影を続けています。2008年に肘折温泉を舞台に映画『湯の里ひじおり〜学校のある最後の1年』を監督しました。
この日、渡辺さんの言葉で印象的だったのは、今日の社会・世界を考える「学びのツール」としてドキュメンタリー映画を捉え、上映会後には専門家を招いたオープンなトークをおこない「僕たち自身のセルフラーニングの場として活用しています」というお話。渡辺監督の『湯の里ひじおり〜』や、新作『よみがえりのレシピ』では、映画製作の市民サポーター制度、実際の撮影、上映会などの巡業を続けていくなかで、草の根的な市民コミュニティーがつくりあげれていて、ドキュメンタリー映画×地域という新しい街づくりの可能性を示しています。
また、「震災後に感じている変化は?」との西村さんの問いに対し、渡辺さんは、震災以降、庄内ではfacebookを介した「学び」のネットワークがひろがり、エコロジー、農、修験、食文化などにまつわる、様々な交流やイベント開催されるようになったと話してくれました。渡辺さんの映像は、こうしたSNSによって活性化する「つながりの場」と連動しながら、今後も庄内文化圏における重要な「学びのツール」として機能していくでしょう。個人的には、いつか『湯の里ひじおり〜』の続編を期待したいです。

山形ガールズ農場代表の菜穂子さんからは、「名字の〈高橋〉をあえて名乗らないのは、農業を従来型の家族経営ではなく、ちゃんと採算のとれるビジネスとして成り立たせるという決意の表明」など、経営の視点も含んだ、力強い「うけつぐ」お話を伺いました。
横浜国立大学卒業後、すぐに家業の農業を継いだ菜穂子さん。山形の農業を守っていくためには、農文化の伝承に加え、若い人が働いてきちんと日々の賃金を得られるあたらしい仕組みをつくっていかなければと、起業家としての奮闘を続けています。
また、菜穂子さんは大学で教育心理学を学んだことから、家庭の食卓を守っていくために子どもたちへの食育に力を注ぎたいと考えています。現在準備中の、農場スタッフのサポートが受けられるレンタル菜園を軸に、教育や観光とのマッチング事業にこれからの農業の可能性を模索していきたいと話してくださいました。

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早坂隆一さん(肘折温泉街で撮影/2011年)

早坂隆一さんは、北海道大学でシステム工学を学び、大手電気メーカーでエンジニアをしたのち、家業の『そば処 寿屋』を継ぐため肘折温泉に帰ってきました。肘折青年団のリーダーとして『ひじおりの灯』をはじめとする東北芸術工科大学との連携プロジェクトや、地域のスポーツ交流などで村内の若者交流を担っています。
渡辺監督の映画『湯の里ひじおり〜学校のある最後の1年』で記録されているように、早坂さんを中心とした肘折青年団の活き活きとした恊働の姿は、旅館や商店を継ぐために村に帰ってくる「あとつぎ」の大きな支えになっています。
「湯治客や学生さんなど、外の人たちの肘折での体験が、ここの魅力をつくっていくと感じています」と早坂さん。閉鎖的な農業共同体ではなく、もともとオープンな温泉地の気質は「受け入れる」ことに寛容で、それは僕たちのように外からやってくる人々だけでなく、一度村を出た若者たちにとってもありがたいことなのでしょう。
山奥の湯治場・肘折温泉には、他の同規模の温泉地が驚くほどたくさんの若者たちが暮らしていて、地域のための仕事を進んでしています。それは早坂さんのおおらかな人柄やリーダーシップによるもの大きいのではないかと、お話を聞いていて改めて思いました。

月山志津温泉で、実家の旅館『変若水の湯 つたや』広報を務める志田美穂子さんも、海外のアウトドアブランドを扱うショップに勤務していましたが、東日本大震災を機に東京から山形に帰ってきた人です。3.11はひとつのきっかけで、以前から「どこで生きるのかではなく、どう生きるのかが大事だよ」という(東京から志津に嫁いだ)母親の言葉や、月山山麓の豊かな自然、幼い頃に通った分校での記憶が、都市生活のなかで年々大きくなっていったと言います。
他の3名とは違って、「うけつぐ」ために故郷に帰ってきたばかりの志田さんの言葉は、その一つひとつから自身の選択を噛み締めるような、静かな決意が伝わってきて、会場の学生たちに強い印象を残しました。

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志田美穂子さんからお借りした子どもの頃の写真

最後にお話を伺った坂本大三郎さんは山形出身ではありませんが、羽黒山伏の修行体験記となっている著作『山伏と僕』(リトルモア刊)を通して、僕たちが知らなかった月山文化や山伏たちの自然観、その今日的な意義に光を与えてくれています。
坂本さんによると、山伏はかつて「ヒジリ(日知り)」と呼ばれ「ヒジ」のつく地名は彼らが集団で住みついた土地に多く、周辺に複数の鉱山跡があり、また月山への信仰が厚いことから「肘折温泉はヒジリ=山伏たちの集落」だと。これには僕も眼からウロコでした。

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また、坂本さんは現在の儀礼化・慣習化した山伏文化だけでなく、彼らが「ヒジリ」と呼ばれていた頃のありように強い関心があるとも言っていました。踊りや歌など、この国の芸能・芸術の起源につながるヒジリの異形の文化を探るため、坂本さんはもう何十回も肘折を訪れ、周辺の原生林に分け入っているそうです。
坂本さんの「うけつぐ」は、地縁・血縁ではなく、芸術家の起源としての山伏です。今年の『ひじおりの灯』で、月山周辺の野性的な自然に出会い、灯ろうを描いた学生たちは、坂本さんの山の思想に大きな刺激を受けたようです。さっそく来月初旬に坂本さんに案内してもらって、肘折温泉の若衆と周辺の修験の古道を歩くツアーが企画されました。

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以上で、西村佳哲さんのファシリテートによる『月山若者ミーティング』は終了。その後、日が暮れた温泉街で学生たちによる『肘折絵語り・夜語り』(ひじおりの灯解説)が開催され、さらにツアー終了後には5人のゲストを交えた懇親会が日付がかわるまで催されました。
僕はざわめくみんなの語りを聞きながら、酩酊する意識のなかで『ひじおりの灯』を入口にした『月山芸術祭』の妄想を楽しんでいました。月山周辺の野山を旅し、古刹を訪ね、それらを守りながら生きる若者たちに出会い、一緒にお酒を飲み、霊湯につかり、音楽や映画やアートにふれる夏のスタディツアー。「きっとこの人たちとなら、できるな」、そう確信できるほど、月山周辺に生きる若者たちのバイタリティーはすごい。
彼らを中心に、山形はこれからもっともっと面白くなると思いますよ。

宮本武典(キュレーター/東北芸術工科大学准教授)

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