トークを振り返る「自然と向き合う」
2011/08/22
8人によるリレートーク最終回は、環境学者である田口洋美先生(歴史遺産学科教授)と現代美術家の辻けい先生(テキスタイルコース教授)のおふたり。
大勢の方が来てくれました。
2部構成とし、第1部は中止になった展覧会「山、うさぎ」展に関する話。
第2部は「自然と向き合う」というテーマで、について語る会としました。
まずは田口先生から。
田口先生はマタギの研究家として知られています。
「山、うさぎ」の展覧会では、長年の研究の成果として、
マタギの装束や狩猟道具、動物の剥製、集落図面、調査表などを展示する予定でした。
これは今年2月に行われた「うさぎ狩り」の様子です。
かんじきをはいて、雪山を登ります。
これは「うっちょう」と呼ばれる「わな」です。
テンなどの比較的小さな動物に仕掛ける「わな」です。
田口先生は動物を仕掛ける「わな」に関しては、世界一の研究者といってよいでしょう。
日本以外にもロシアなどに類似の「わな」があるそうです。
今回は展覧会のハイライトとして、「わな」の手書き図面と実物を展示する予定でした。
実物の「わな」に関しては、田口先生に制作を依頼していました。
続いてアーティストの辻けい先生。
辻先生は、日本のみならず海外でもご活躍していらっしゃいます。
国内外の川へ染色した赤い糸を流すフィールドワークを続けていらっしゃいますが、今回は月山へ向けて赤い糸を流す準備を進めていました。
しかし震災でその計画は中止となってしまいました。
しかしあるプロジェクトだけは密かに継続していたのです。
それがこの木箱の中に入っています。
トークの前日にあるところから届きました。
さて中身を開けると・・・・
辻けい作の「うさぎ」。
これは辻先生が10年前にアルピニスト野口健さんのために制作したものです。
山中に捨てられるゴミの中で最も多いのが酸素ボンベ。
これを溶かして清掃活動のシンボルとして「うさぎ」を制作しました。
この木箱から出てきた「うさぎ」は実はエベレストのベースキャンプから帰還したばかりなのです。
清掃活動のシンボル兼エベレスト登頂の無事を祈願する守護神として10年ぶりに野口さんに随行していました。
これはその時の写真です。
これは3月下旬に日本を出発する直前の野口さん。
「オスとメス、どちらのうさぎを持っていかれますか?」
と尋ねたたら
「野郎ばかりなので、メスにします!」
とすかさずメスを手にしました。
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第2部はの話。
田口先生は東海村の出身で、震災当日も実家の東海村にいらしたそうです。
田口先生のトークの中で一番印象に残ったのは次の言葉。
「山は半分殺して丁度いい」
これはマタギのセリフ。
人間も欲を半分殺せば、自然界といいバランスが取れるはず。。。。
なのに人間は愚かで、貪欲すぎるのです。
学生からの質問。
「(究極のことを言えば)私はこの世から人間がいなくなれば、すべてが解決するのではないかと思います」
田口「われわれ人間は生き抜くために思考している。
滅びるために考えているわけではない。
<私のいない世界を私が考える>、<人類が絶滅した後の世界を考える>のは意味がないでしょう。」
和田「私たち人間に悪いところがあれば、そこを直そうと前向きに考えなきゃ。
何も考えずに死んでしまえばそれで済む、というのはどうかなぁ・・・・」
田口「もし僕が神様だったら人間を真っ先に殺すかもしれない。もし僕がクマだったら人間はいらないかもしれない。でも僕は人間だから、人間を滅ぼそうなんて思わない。そうでしょ?」
学生からの質問。
「さきほど『山を半分殺して丁度いい』というマタギの言葉がありましたが、人間が山を殺しすぎているから地震などの天災が起こるのではないでしょうか。それが地球からのメッセージだと思うのですが・・」
田口「人間がそのことを自覚していたら、こんなことにはなっていない。『わかっちゃいるけどやめられない』っていうスーダラ節があるけれど、人間はそういう病気にかかっているんです。
僕らができることは、ちょっとでいいから日常を変えること。それがいずれは未来を変えることにつながるんです」
学生からの質問。
「震災後、生きていくことに対する認識が変わりました。
僕より若くて、やりたいことがあって、でもそれを出来ずに亡くなった人がたくさんいます。
でも僕は生きている。
自分がやりたいことをやらないで生きている自分。
自分がやりたくないことを我慢してやっている自分は、どうなのかなと思うようになりました。」
田口「自分の可能性をどう考えるかは自由です。
<あきらめない自由>、<あきらめる自由>とがあって、
なでしこジャパンが優勝したのは、<あきらめない自由>を選択したから。
努力して<自分を変える自由>もある。
どの自由を選択するかも自由です。
自分の生き方を主張するときは、いい子でいられるはずはない。自分も親とさんざんケンカをしました。
最後まであきらめない人は、最終的に周りも認めて、そういう風に周りも動くようになるんです」
辻「若い人は直球でいけばいいんですよ!
あれこれ考えずに、本能でいけばいいんだって!
考えすぎたり、計算するのはよくないです」
さすが辻先生。
私もそう思います。
おふたりの言葉に深く同意しました。
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今回のトークは議論が白熱し、時間をかなりオーバーしてしまいました。
最終的に2時間超の対談となりました。
「福島原発事故の責任は誰にあるのか」そればかりを追求する日本の報道。
日本には福島以外にも多くの原子力発電所があります。
それらを容認して、今まで日常生活を送ってきたのも事実です。
ここでは詳しく書きませんでしたが、
田口先生のトークは原発の村<東海村>に覚悟を決めて住んでいる者の声でした。
原発とともに生きてきた田口先生らは、<実験世代>と呼ばれているそうです。
トークの全容は後日改めてまとめる予定です。
企画した私自身、について語り合う場を持つのは、時期尚早なのではないかと悩みました。
心に傷を負い、「あの時の苦しみを思いだしたくない」という人もいると思います。
震災で起った出来事を各自が自分の中で消化するには、まだまだ時間がかかることでしょう。
でも参加した学生たちの声を聞く限り、
思いきってこの企画をこの時期にやってよかった、
と今では思っています。
震災後、5カ月が過ぎました。
あの日のことを忘れないためにも、
愚かな人間である私たちは、
これからも語り続け、問い続けなければならないでしょう。
企画・ナビゲーター:和田菜穂子(美術館大学センター准教授)