第4回:「自然と向き合う」
2011/07/15
第4回:「自然と向き合う」
7月20日(水)17:30−19:00
東北芸術工科大学 本館1階ラウンジにて
田口洋美(環境学者/歴史遺産学科教授)×辻けい(アーティスト/美術科テキスタイルコース教授)
第4回目となる最終回では、田口洋美歴史遺産学科教授(環境学者)と辻けい美術科的スタールコース教授(アーティスト)が対談を行います。山形県小国町に現存するマタギ文化から現代社会の山と里の暮らしとそのあり方を研究し、学生とともにフィールドワークを続けている田口教授と、大自然をフィールドとしてテキスタイルを手法とした現代美術作品発表を続ける辻教授。本来ならば今年のTUADmixing!2011は、この2人の展覧会「山、うさぎ」を予定していました。立場は全く異なりますが、偉大なる大自然と向き合う仕事をしているという共通点があります。環境問題など様々な切り口で《3.11》以前と以降について語っていただきます。
***************************
■田口洋美の3.11
その時、僕は茨城県東海村にいた。そこは故郷である。おやじもおふくろもその村で生き、その村で死んでいった。じいちゃんは東京の神楽坂で芸者をあげてやんちゃをした挙げ句、旧家であった故郷の家を没落させた。そのやんちゃなじいちゃんの父親も浅草で芸者をあげて馬鹿をやり、要は二代続けての放蕩が祟って、家業は廃業となった。自宅の土地は放蕩の末の借金のかたに削りに削られ、わずかとなったが、それでも何とか建っている。じいちゃん、曾孫じいちゃん、そのさらに先々代も故郷の村で生まれ、死んでいった。
人生、いろいろだけれども、生まれてきて、やりたいことをやってみて、そして死にたいところで死ねればいい。ヒトを欺してベンツに乗るよりも、ヒトを信じて愛せる仲間の中で慎ましやかに幸福を感じていたほうがいい。そのなかでやりたいことをやってみるのもいい。さもしい心を引きづりながら、ヒトを信じられずに生きるより、ずっと素敵だ。小綺麗に着飾った、小汚い奴らにはなりたくはない。
授業で学生諸君にも話したが、自分も近いうちに故郷に帰り、そこで死ねたら本望だと心底思っている。父が去り、母が去った時、故郷を受け継いだ。両親のいない故郷の家は寂しいが、そこに在れればいい、と思う。
東京には30年以上住んでいたけれど、時が経つにつれ情がなくなってきている。「モノを知る野心=知の営み」が「ヒトを馬鹿にする野心=無知のいいわけ」にすり変わり、知っていることをひけらかすばかりだし、あまり魅力を感じない。都市にとってヒトは消耗品である。都市は個人を記憶しない。その点、田舎はそのヒトを記憶する。お節介と言うぐらいに憶えている。例えば近隣のヒトたちは生まれたころからの自分を知っている。忘れて欲しいが、忘れられたくはない。実に身勝手、我が儘である。だから僕は田舎に帰る。地震で壊れた家を直さなければいけないし、集落の草刈りもしなければいけない。「東海村は自分の村だ」とこれからも胸をはって堂々と生きていく。
日本初の原発の村。東海原子力発電所第2発電所の炉心まで2.5キロ。えらい近所。僕の故郷にも津波が来て、親戚の家は半壊した。テレビにも新聞記事にも扱われなかったけれど、茨城県もけっこう痛めつけられた。原発も非常用のディーゼル発電機3機の内、1機が津波で破壊され、危機一髪で事故から逃れ、何とか冷温停止状態に漕ぎ着けて無事だった。原発や原子力研究所に何人も同級生が勤めている。彼らは不眠不休で仕事をしていた。でも、次に大きな余震がくれば分からない。
山が好き!マタギも狩猟採集民も好き!クマやサルも好き!
だけども、長い長い旅路の果てにたどり着きたいのは、やはり故郷の村。そう思う。
■辻けいの3.11
ガラス越しに、海をずっと眺めていた。波の様子を眺めていた。
身体だけは咄嗟に反応して、作業机の下にもぐった。
津波は来るのだろうか?
来るものなら、その瞬間をしっかり目に焼き付けておこう。
ものすごい津波がやってきて、それに飲み込まれるのなら、それは本望だ。
全く心は動揺しなかった。
森で熊と出会い、大きな口を開けて迫ってくることを想像する。
私はこの身を海に捧げようと覚悟を決めたのだった。
その時が来ることを想定した。
しばらくの間、鎌倉稲村ヶ崎の波を、静かな心で見続けていた。
しかし、そうは言っても、数日の余震では身体も心も微妙に震えていた。
東京芸術学舎での卒展の搬出は、どうなっただろうか。《3.11》当日の学生達とのメールでのやり取りは、暗号のようであった。
しばらくして揺れが収まり、外に出た。階下の剣道場の師範や近所のお年寄りがヘルメットを被り、集まっていた。「ここには津波は来ないよ」と口ぐちに言っていた。
その晩、停電の中ご飯を食べ、約束していた知人の家へ車で出かけた。海岸線の道路は沈黙していた。鎌倉は真っ暗なのに、隣の藤沢は電気がついていて、妙に明るかった。大学で予定していた展覧会『山、うさぎ』の準備のために、ラックカイガラ虫の染料で赤く染めた糸を抱えていった。経糸を揃える道具を借りるためだ。
翌日、関西へ向かった。『三卯祭』に出かけるためだ。これは12年に1度ある卯の年、卯の月、卯の日に行われる行事である。ちょうど2011年3月13日が、その日に当たっていた。『山、うさぎ』展に参加予定だったこともあり、この行事は私にとって重要な意味を持っていたのだ。『三卯祭』の行われる奈良県の三輪山は、山自体がご神体である。私は山に登りながら(お山しながら)、途中途中にある磐座(いわくら)にご祈祷した。
「大地よ、どうか鎮魂してください」と。偶然の重なりに身が震える想いがした。私がここへ来たのは、来るべくして来たのだと。お山に、天地の神に、日本全土に、そして〈世界〉の闇に、見えない恐怖に平穏を祈った。奥津磐座に祝詞を捧げた。人間のつくった 最高傑作が〈神〉だ とすると、こういう 大災害や恐怖に遭遇した時、想像と創造の、そしてまた、鎮魂の装置が、どうしても必要なのかもしれない、そんなことを考えさせられていた。
私がライフワークとして続けている”フィールドワーク”は、「祈りの形に似ている」と言われることがある。自分ではそのような言葉で語ったことはないが、アカい糸をその場処、その場処での捧げ物だと思っている。
三輪山から自宅へ戻ると、その後数日間は家に籠りっぱなしだった。大学の新学期が1か月延びたこともあり、無感情のまま機織りを動かすことはあっても、心は虚脱感のままだった。
4月20日、大学の敷地内にある畑に〈紅花の種〉を蒔いた。心の整理がつかぬまま大学が始まったが、今は日常に忙殺される毎日である。
***************************
プロフィール
■田口洋美
環境学者。茨城県生まれ。東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻社会文化環境コース博士課程。博士(環境学)。民族学(民俗学)・狩猟採集文化の比較研究、環境学・野生動物の保護管理、自然環境と人間社会を包含する歴史的、社会文化的環境の相互関係に関する研究など。主な著書に、「越後三面山人記:マタギの自然観に習う」、「マタギ:森と狩人の記録」、「越後三面山人記:マタギの自然観に習う」など。「ブナ林と狩人の会 : マタギサミット」の主宰・幹事。日本国内及び周辺地域・中部・東北地方の伝統的狩猟者マタギあるいは猟師による広域的交流会議を行う。記念大会等では海外の伝統的狩猟者や先住民族を招聘し国内の狩猟者との交流を行っている。現在、歴史遺産学科教授。
■辻けい
美術家。東京都生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科修了。1980年代後半より網走の流氷原、オーストラリアの砂漠、フランスの湿地帯など、国内外の自然豊かな大地において、サイトスペシフィックなフィールド・ワークを実施。自らが染織した真紅糸を自己に見立て、生態系との関わりを探求している。1993年から手漉き和紙の手法を取り入れた作品を制作。主な個展として、1989年PICA/パース・インスティチュート・オブ・コンテンポラリーアーツ(オーストラリア)、2001年岩手県立美術館・開館記念展「辻けいの仕事」 (盛岡)、2006年国際芸術センター青森(青森)、 2009年カスヤの森現代美術館(神奈川)など。主なグループ展として、1987年「第23回今日の作家展」(横浜市民ギャラリー)、2001年「ヘルシンキ・テーレ湾プロジェクトに参画した8人の作家たち」展(現代彫刻センター/東京)、2006年「空間に生きる-日本のパブリックアート」展(札幌芸術の森美術館・世田谷美術館・金津創作の森美術館)など。現在、美術科テキスタイルコース教授。
企画:和田菜穂子(美術館大学センター准教授)