
続・想像2017
鈴木美冬
[芸術文化専攻(工芸領域)]

工藤紗綾香
[美術史・文化財保存修復学科]
第1章 緒言
絹製衣装において、脇や襟部分に汗が原因と考えられる変色が確認されることがある。杉野学園衣裳博物館所蔵の18世紀フランスのベストでは、そのような変色が確認できた(図1)。汗による変色は使用痕として保存するため洗浄は行われないのが一般的である。しかし、劣化が欠損に繋がることもあるため、繊維に与える影響を検討する必要があると考えた。絹の紫外線と酸素、熱による変色(本研究では紫外線と酸素によるものに限定した)に、汗の付着の条件が加わった場合の変色の差と、繊維の変化を明確化することを目的とした。本研究を通して染織文化財の保存に目を向けてもらいたい。
1-1 紫外線と酸素による絹の変色
絹は時間の経過と共に黄変する性質がある。140℃以上の熱や、光と酸素による酸化反応(光酸化反応)が原因とされている。特に酸化されやすいチロシンとトリプトファンというアミノ酸が酸化され、着色物質(メラニン色素)に変化することで変色する。さらに、水分が加わると黄変が早まることが分かっている。
第2章 汗による変色の再現実験
作製した絹サンプル(図2)を汗の代用である人工汗液(じんこうかんえき)に、含浸(1日、5日間)させUV照射した(以下:UV+人工汗液)。未処理、UV照射のみのサンプルと比較し、変色の差の明確化と、酸性人工汗液とアルカリ性人工汗液で差があるのか検討した。サンプルに用いた材料は、3×3cmにカットした朱子織の絹である。人工汗液はJIS(L0848:2004 汗に対する染色堅ろう度試験方法)に記載されている成分を用いた。酸性とアルカリ性でそれぞれ成分とが異なるため両方を使用し1度使用したものは再利用せず毎回作り直した。実験終了後、可視紫外分光光度計(日立分光光度計U-4000)を用いて分光反射率と色彩測定を行い、UV照射のみとUV+人工汗液を比較した。
2-1 結果と考察
UV+人工汗液のほうがUV照射のみより変色した。分光反射率、色彩測定どちらにおいても人工汗液に長く含浸させたサンプルのほうがより変色するのではと予測していた。しかし、1日間含浸サンプルが5日間含浸サンプルよりも紫外線照射時間と比例して色差が大きくなる傾向が見られた。このことから、含浸時間の長さに関係なく、UV照射のみより変色する可能性がある。しかし、酸性アルカリ性どちらがより絹を変色させるのかという点は明確にならなかった。
第3章 人工汗液中の各成分による影響
本物の汗と人工汗液に共通して含まれている塩化ナトリウムと蒸留水(水分)に焦点を絞って述べる。人工汗液で使用した試薬を用い、全体で約50mLの水溶液を作り、サンプルを含浸(1日、5日間)させUV照射した(以下:UV+塩化ナトリウム、UV+蒸留水)。そしてUV+人工汗液と比較した。
3-1 結果と考察
塩化ナトリウムと蒸留水は、人工汗液と同等もしくはそれ以上絹に影響を与えることが分かった。塩化ナトリウムと蒸留水の分光反射率を比較した結果、可視光領域では差はないが、240~380nmで蒸留水のほうが分光反射率の低下が見られた。このことから、人工汗液中の成分では水分による影響が特に大きいことが分かった。
第4章 繊維観察比較
走査型電子顕微鏡(JEOL JSM-6390A)で、未処理(暗所で保管していたもの)、UV照射のみ、UV+人工汗液の繊維観察を行った(蒸着なし)。
4-1 結果と考察
UV照射のみとUV+人工汗液において、繊維表面の亀裂(図3)や潰れや歪み、繊維のフィブリル化(繊維がほぐれてしまうこと)、表面の剥離(図4)を確認することができた。これらは人工汗液含浸サンプルのほうが多く見られた。このことから、人工汗液は繊維に影響を与えることが分かった。繊維の亀裂や潰れや歪み、フィブリル化などは繊維の強度の低下に繋がる可能性がある。
第5章 総括
絹は紫外線照射のみでも変色するが、人工汗液に含浸させたものはさらに変色し、繊維に影響を与えることが分かった。変色と繊維の変化両方の観点から見ると人工汗液の成分の中でも水分の影響が大きいことが明らかになった。このことから、本物の汗においても水分の影響が大きい可能性がある。
本物の汗には皮脂なども含まれているため、さらに著しい変色や繊維の変化が生じる可能性がある。本研究はまだまだ不完全であり、汗による絹の変色のメカニズムなど科学的な観点において不十分な点が多い。しかし、衣装の劣化現象を保存科学の視点から研究できたことは大変有意義であったと思う。本研究をきっかけに、染織文化財の保存について目を向けてもらえれば幸いである。

工藤月華
[グラフィックデザイン学科]

千田梓
[美術史・文化財保存修復学科]
第1章 緒言
1950年代、アメリカの修復家のW.J.Barrowが産業革命以降の洋紙の酸性紙問題を指摘して以降、にじみ留材による紙の劣化は注目されてきた。その一方で、和紙は高い保存性を持つと考えられてきたが、近代以降の紙や技法の変遷によりにじみ留剤から受ける影響大きくなっている可能性が危ぶまれる。
本研究では、近代以降の日本画作品の支持体としての和紙を対象に、劣化の一因となっている礬水の実態について調査するとともに、湿度によって礬水に含まれる硫酸イオンの働きの変化を、加水分解(図1)と繊維の角質化(図2)の2つの劣化に着目し、実験的に検討した。また、それらが鑑賞性、取り扱い性などの点で絵画作品の支持体へ与える影響を明らかにすることを目的とした。
第2章 技法調査
日本は明治初期に西洋文化を積極的に受容するが、明治10年代後半には国粋主義が起こる。これに先立ち、新たな技法を取り入れた「日本画」教育が行われ独自の発展をとげていく。近代以前の日本の絵画作品と、近代以降の日本画の違いが、今後の作品の保存にどのような影響を与えるか検討する必要性があると考え、文献による技法調査を行った。調査は、39冊の日本画を始めとした技法書に記載された日本画用紙の種類と、礬水の分量比を対象とした。
文献調査の結果では、礬水に含まれる明礬の量は作家によって10倍以上の差があった。また、0.5%、1.0%、1.6%付近に頻度が集中する、ある一定の傾向がみられた。この傾向はいずれも、にじみ留剤として機能的に最適かどうかに準拠しているものではなく、慣習的な面が大きい可能性が高いことがわかった。
第3章 異なる湿度環境下での紙の加速劣化試験
実験では、近代以降の日本画作品を想定し、にじみ留剤に含まれる酸性物質が支持体に与える影響を明らかにする。試験試料は、一般的に絵画支持体として用いられることの多い「雲肌麻紙」と、長期的に保存可能な書画用紙として制作された「大濱紙」を使用した。試験試料には、にじみ留剤に用いられる明礬と、比較のため希硫酸とクエン酸をいずれもpH=4に調製した後に塗布した。(図3)
1000mL密閉ビン内に3cm角に裁断した試験片を各資料4枚吊るし(図4)、飽和塩法(JIS B 7920:2000)等によって各瓶内の湿度を設定した。高湿度劣化では、塩化カリウム飽和水溶液を用いて80%RH前後に湿度を設定し、低湿度劣化では23℃ 50%RH下で密封し相対湿度を5%程度まで低下させる方法をとった。
3-1可視紫外分光法による色の測定
ほとんどの試料で、硫酸、クエン酸塗布試料は同程度の反射スペクトルの低下がみられ、明礬塗布試料の変化が大きい結果となった。また、低湿度環境下よりも高湿度環境下で変色が大きかったが、湿度と塗布物質の相互の影響によって変色が促されるような結果は得られなかった。これから、アルミニウムの変色作用やカリウムによる影響が、ミョウバン塗布試料の変色を促進させている可能性が高いことを示唆している。硫酸イオンの有無や湿度環境との相互作用による、反射スペクトルの有意な変化は見られず、硫酸イオンが紙の変色に関与している可能性は低いと考えられる。
3-2エックス線回折による結晶化度の測定
X線回折法による測定の結果、雲肌麻紙の測定では繊維斑のためか芳しい結果は得られなかった。一方で大濱紙は、繊維も比較的均質であり比較的ばらつきの少ない結果を得ることができた。大濱紙ではクエン酸塗布試料と無塗布試料では高湿度劣化時の結晶化度が、低湿度劣化時の結晶化度を上回ったが、硫酸塗布試料と明礬塗布試料に関しては、低湿度劣化時に結晶化度が上昇した。これは、低湿度時に濃縮された硫酸の脱水作用により結晶領域が増加したものと考えられる。
3-3粘度法による相対重合度の測定
粘度測定の結果、無塗布試料、クエン酸塗布試料、硫酸塗布試料、明礬塗布試料の順に相対重合度の低下が見られた。クエン酸塗布試料と硫酸塗布試料の下流速度は大きな開きが無いのに対して、明礬塗布試料の流下時間がその5分の1程度と非常に短く、明礬塗布試料の分子量の低下が著しかった。これには、明礬が持つアルミニウムやカリウムの影響が考えられる。
湿度同士の比較では、低湿度よりも高湿度条件で劣化を行った試料の下流時間が短く、加水分解による影響が考えられる。しかし、湿度環境の違いによる重合度の違いよりも、同湿度における明礬塗布試料とその他の試料の重合度の差異が大きい結果となった。
第4章 総括
礬水の分量比の傾向は、にじみ留剤として機能的に最適かどうかに準拠しているものではなく、伝統的に継承されている可能性が高いことがわかった。今後の日本画の保存性を考えるにあたり礬水として機能する最低の明礬含有率の分量比を検討し、普及を促すことで、礬水による紙の劣化を最低限に抑えることができるのではないかと考えた。
実験の結果から紙の変色はアルミニウム(カリウム)の影響が大きく、硫酸イオンの有無が関与している可能性は低く、結晶化度は硫酸イオンの存在に影響を受ける可能性が示唆されたが、重合度の低下は、酸による加水分解の影響よりもアルミニウム(カリウム)の影響が大きく作用している可能性があることが判明した。
また、今回の結果を踏まえて、以下のことが今後の課題として挙げられる。
・礬水として機能する最低の明礬含有率の分量比を検討する。
・紙への影響が少ない礬水の製法を作家へ提案する。
・アルミニウム(カリウム)が紙へ与える影響をより詳細に検証する