歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2014-01-18

ラオス最北の町ポンサリーの土器作り村

12月25日 県都ムアンサイ 朝の通勤・通学風景

今日はムアンサイからラオス最北の町-ポンサリーを目指す。地図だと250kmほどの山道。実際にはかなり過酷な旅だった。

 

車は霧の中、深い峡谷を進む。道路は斜面を無理やり段切りして通したもので、法面保護工をしていないためあちこちで崩れていた。雨季はしょっちゅう通行止めだろう。

谷筋は中国市場に送る野菜、山はゴムやバナナ。山頂まで焼畑が及んでいるものの、まだ「森」がいくらか残る。焼畑による陸稲もみられた。

 

タイ北部からラオスにかけて今の季節一番目立つのは「クリスマスツリー」

日本では鉢植えのポインセチア。こちらでは人里に大小様々な木があって、枝先の葉が真っ赤に染まっている。青い空に緑と赤の葉がとても鮮やか。

 

 

 

14:00すぎにポンサリー県のヨー村に着く。タイルー族の村で四双版納から移住してきた時は37世帯だったという。いまは175世帯に膨らんだ。中国に行く道とウドムサイへの道の分岐点にあり、三差路は賑わっている。ここも20年前に土器作りはストップしている。

Yさん(70歳)が土器作り経験者の家を順番に案内してくれた。Pさん(86歳)から移住や昔の土器作りの話を聞く。Yさんの実演を見て驚いた。石製当て具の大きなものは砲丸ほどの大きさがある。5kgほどはあろうか。これまで見た中で最大だった。なお、昨日のウドムサイ県ヨー村はここから移住した。Yさんは、両親は一昨日泊まったムアンベンから来たと話し、遠く離れても同族の村同士は長く交流していることが分かる。

村を歩きながら目に着いたのはどこの家にも竹竿の束があること。これは畑でインゲンやキュウリを作る時に使うものだ。米を作るよりも田圃を潰して中国資本が買い付ける野菜を作った方がもうかるのだろう。

 

焼畑の陸稲

 

日が傾き17時前に村を出る。ここからが遠かった。どこまでも尾根道が続く。19;30ポンサリーの町の明かりが見えてきた。ここはリトル中国。野菜を運ぶ大型トレーラーが道路脇に並ぶ。

手ごろな値段のゲストハウスはどこも古かった。そして、どの部屋も洋式便所の坐る所が無いか、割れている。訳を聞いて納得。もちろん暖かいお湯はでない。寝袋にくるまって寝るしかなかった。今日はクリスマスだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝のゲストハウス前

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