12月28日
ルアンナムターの市場で朝飯を食べる。
国境に戻る前に気になる所があって立ち寄った。3号線沿いのウェンプーカーという町である。22日にトイレ休憩で立ち寄ったときにかすかに土器作りの匂いがしたからだ。
国道を挟んで位置するT村(150軒)の家々を訪ね歩くがなかなかポターは見つからない。そして何人かの情報から、ここは各地からの移住者たちを集めて計画的につくられた村だとわかった。確かに斜面にある宅地は新たに分譲された造成面のように見える。
しかし、かなり高齢の人たちは昔この付近(バントゥンロー)で土器を作っていた記憶があるという。そして、その土器をいまでも持っているラオ・ルム(=低地ラオ)の女性(87歳)が語ってくれた。土器はこれまで北部でみてきた西双版納(タイルー)系のモノとは違う。
彼女は1975年にサイニャブリー県ホンサーからここに来た。その時は3~4軒の村で、もとはサムタオ族(ラオ・トゥン=山腹ラオ)が住んでいた。革命後、政府が土地を斡旋して各地からここへ人々が移住してきた。中国の西双版納からきたタイルーの人もいる。村に来た時にサムタオの人たちが土器を作っており、2~3年後に止めた。当時の記憶をたどると、どうもこれまで出会ったタイルー族の技術とは違う土器作りである。野焼き後、熱いうちにキーカンという樹脂を塗るという。フィリピンやベトナム沿岸部で行われている技法だ。サムタオはモン・クメール語族系とされており、主体をなすタイ語族系とは違うルーツをもつ。現ラオスを席巻するラオ・ルム以前の古い民族分布を示している可能性があり、断片的な記憶とわずか1点の物証ではあるがともに貴重な情報である。
村の路上には子どもたちが群れて遊ぶいくつもの輪があった。懐かしい光景に出会ったようでしばし見とれていた。
13:30ラオスのイミグレーション、14:15タイのイミグレーションを出る。早い時間にGHに入り、ネットで次の調査地に移動する国内線の予約を試みる。NOK AIRのサイトが混んでいるせいか動かない(昨日から)。そして明日から泊まるチェンマイの宿がとれない。あきらめてカフェでミーティング。明日からは4人がそれぞれ別行動となるため、メコン川沿いで最後の晩餐。対岸を眺めながら過酷な北ラオスの旅を振り返る。低い空にオリオン座が輝く。
ベッドと石鹸以外何もない小部屋だったが、ファランのバックパッカ-や酔っぱらってシャワー室で○○を吐いているタイ人学生などなかなか賑やかなGHだった。