12月31日(水)
バンコク・ドンムアン空港からミャンマー中部のマンダレーに飛ぶ。飛行機は直前にマレーシアで落ちたエアアジア・・・
マンダレー空港でミャンマー人のドライバー・アシスタントと合流。日本人2名、タイ人アシスタントとあわせ5人の旅。アシスタントのTB君は20歳、まだあどけなさが残る青年。ドライバーのTS君は27歳、運転技術はプロ並み。たまにきれるとぶっ飛ばす。車が入らないような道でもテクニックで行く。
空港から無数の仏塔が立ち並ぶザガインヒルを見ながらエーヤワディー川の旧インワ鉄橋を渡る。第2次大戦中イギリス軍が作り、日本軍の侵攻前に爆破した橋だ。終戦10年後に復旧された。真ん中に鉄道が走る。ザガインは土器の産地。沿道にズィオー(ミャンマーでは水甕をこう呼ぶ)を積み上げたポットショップが並ぶ。ゆっくり見たい衝動を抑えて先に進む。
ミャンマーの旧宗主国はイギリス。よって車は右側通行。距離はマイルを使う。田舎の幹線は1車線分だけ舗装してあり、対向車は直前で路肩に除けてすれ違う。スリルがある。バイクやチャリや牛や人など追い越しながらなのでクラクションが絶えない。道路には所々遮断機のおりた関所(料金所Toll Plaza)があって重さに応じてお金を払う。道普請があると臨時に徴収する関所もある。かつてはラオスにもあったがもうみない。これほど多いとは、驚きだ。村ごとにお寺のタンブンを求める「ニッコリ強盗」は穏やかだ。車を無理やり止めることはないし、スルーしても追いかけてこない。
初ミャンマーは見るものすべて新しい。刺激に満ちていた。これまでみてきた東南アジア大陸部と全然違う風景に目が泳ぐ。パヤー(仏塔)、ミンレー(馬車タクシー)、2頭立て牛車、顔にタナカ(日焼け止め)を塗り、頭上運搬する女性、ピンクの袈裟の尼さん、村総出の人海戦術で行う道普請の様子、大型車(トラック・バス)が日本製中古車。最初に驚いた光景だ。植物ではどこにもあるパームヤシ。田んぼの畦にも植える。パーム油やバイオ燃料になる。そして一面のひまわり畑とピーナッツの畑。ビルマ料理に欠かせないピーナッツオイル用だ。
夕方シュエボーの町に着いた。2014年ミャンマー初の世界遺産に登録された「ピュー遺跡群(古代都市)」のひとつ「ハリン」が近くにある。大みそかのせいか、宿は込んでいた。やっと適当なゲストハウスを見つけて荷物を入れる。壁にはトッケイ(キキッと鳴くヤモリ)が元気に這いまわる。タイやラオスの田舎の宿にはたいていいるが、大柄なやつは夜中でも泣いてうるさいことがある。
夕食は油たっぷりのビルマ料理。韓国の韓定食のように座るとテーブルにのりきらないほどの料理の皿が並ぶ。あとで気がついたがミャンマー人は食べる量が半端でない。そしてお店では少年少女が働く。夕食の店は女の子ばかり、カフェは少年ばかり。
震えながら水シャワーを浴び、疲れをとるため早めに寝ようとしたが、それどころではなかった。今日は大みそか。宿の前のカフェや道で若者が一晩中大騒ぎ。カウントダウン、音楽とともに踊りまくり、そして爆竹。ドライバーを始めみなほとんど寝られなかった。おかげで新年の燃えるような朝焼けが見られた。ミャンマー初日は強烈な印象を残したまま過ぎていった。