12月28日(日)
今日はシーサケット県の二つの村へ。
ラシーサライのK村はホンデン(紫小玉ねぎ)の産地。135年前、コラートG郡からムーン川を下ってやってきた。やはり、自分たちはタイ・ブンだという。この村ではお米はウルチよ。ラオとは伝統民謡や男性の衣装、祭日などに違いがある。
ここでも村長の家に村の歴史を記したポスターが掲げられていた。専業の村なのでかつてはすべての家で作っていたが、10年前から玉ねぎが特産(二毛作、輸出用)になり、ポターは14人に減った。Pさん(40)は若手のポターで今日もトムヤムセット50個を作る。これからウボンから先生と学生たちが見学に来るという。一昨年お世話になったSばあちゃん(83)は入院中。彼女は子供の時にコラートのN郡から移住してきたポターである。
続いてカンタラロームのP村。副村長が歴史をまとめた本(先々代の村長執筆)を持っていた。この村は二つの集団からなる。もとはラオス・ビエンチャンから来た9家族が村を創始した。そこへ先のK村からの土器作り集団(タイ・ブン)が来て融合した。副村長は父母ともK村の出身だという。OTOP産品でみんな作っていたが、いまはもう5~6人しかいない。この村からハーナーディで4つの村へ移住していった。最初は土器を作ったがもう作っていはいない。
面白いのはここでは小型の炊飯用鍋モーフンを大量に作っていた。不思議に思って聞いてみるとこれは「カドゥ」といってクメール(カンボジア人)の人が骨壷に使うそうだ。国境に近いカンタララックの店に卸すとカンボジア人が買いに来る。シーサケット県にはクメール系の人もたくさん住んでいる。地域色だ。
帰りはカンタララックからウボンまで汽車のひとり旅。各駅停車は無料だと聞いていたのでホームに行こうとすると、外国人は有料だよ、と。いくら? 7B(20円あまり)。1時間ほどイサーンの大地を眺めながら、昔懐かしい列車の“揺れ”に身を任せる。終点のウボンでは、年末の帰省で10時間以上長旅をしてきた人たちが家族との再会を喜んでいた。