歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2014-01-21

ミャンマー国境の土器作り村を目指して

12月27日(木)7:00出発

  今日は一段と霧が濃い。朝食を食べ、13号線から3号線を経て10:30にルアンナムターまで戻った。そこから17A号線を北西に進みムアンシンを目指す。

 途中の村でみた高床倉庫のネズミ返し、どれもやたらでかい(写真)。峠を越えたあたりでポリスの検問。ポンサリーに向かう山中に次いで2度目だ。土器満載の車中、あきらかに疑いの眼差し。ここはゴールデントライアングル。ミャンマーに抜けるルートで麻薬取り締まりが厳しい。ラオスでは過去3度理不尽な罰金を取られている。有無を言わせない。言われた額を払うしかない。もちろん領収書も切符もない。「観光です…」「観光です…」何とか通過した。

 

 

ムアンシンの盆地は山形盆地ほどある開けたところで天水田が広がる。お昼に市場で情報収集。あまりかんばしい情報がない。土地柄か少数民族の人たちが多いので聞いてもらうが、ラオ語がまったく通じない。市場を出て近くの村でさらにヒアリング。ここから40km先のN村で土器を作っていたという複数の情報。やはりタイルー族の村だという。日本だと1時間で行けると思うが、ラオスでは距離で時間を測ることはできない。道路がいいと信号がないので30分で行くが、ダートだと3時間かかることもある。

 

13:45 ミャンマー国境の町-シェンコック方向に車を向けN村を目指す。村ごとに建物の雰囲気が変わる。平地式板作り住居のモン族、高床の黒タイ族など少数民族ごとに村を形成している。着飾った黒タイのおばさんがにこやかに写真撮ってと。あのお、おなか出てるんですが・・・・。ラオス北部の耕運機は運転席にカバーのついた中国仕様。南部のクボタとはちがう。

舗装道路はムアンシンから5分ほどであっという間にダートにかわる。新たに開削された道路のようだ。その沿道には中国資本による広大なバナナ園が延々と続く。

 

 

 

 

1時間ほど走ったところで行くか戻るか思案・・・・。道が悪くて思うように進めない。結局時間切れで引き返すことにした。この日はルアンナムターまで戻る必要があったのと、車のフロントガラスのスモークがきつくて夜走れないため。

 

帰路、ムアンシン近郊を走っていると車窓から土器が見えた。急きょ車を降りて取材する。T村。最初に聞いた女性はラオ人だった。小学生の孫が土器のある家を案内してくれるという。この娘は村の中で古い土器のある家をみんな知っているのだ。自分たちも子供の頃はそうだったなあと懐かしくなった。

 

タイルーのBさん(62歳)は生後2カ月で中国ムンホーンから移住してきた。夫もタイルーだ。この村にある土器は中国・西双版納系の特徴を持っているので、おそらく目的のムアンロンのN村で作ったものだろう。

 

日が暮れた18:00なんとかルアンナムターまで戻ってきた。明日はいよいよタイへ帰る。

 ところが夜にミーティングをしながらタイのゲストハウスの予約しようと思ったらどこもかなり込んでいることがわかった。タイ北部はチェンライのフラワーフェスティバル(花好きの国民が全国から観光に来る)の影響かチェンマイもチェンセーンもチェンコーンもみんなフル。

 今年はバンコクで反タクシン派のデモが活発だが地方は静か。以前のアピシット政権の時は逆で地方がタクシン派のデモで渋滞して大変だった。なんとかチェンコーンでシャワー・トイレ共同の小部屋が取れた。

 

 

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