今日はラオスに別れを告げ、タイに戻る日です。
ラオスで最後の買い物と博物館の見学をし、国境を越えて、ウボンの近くにある塩づくりの村、土器づくりの村を訪ねる予定です。それなりに忙しい日となります。それに加え、今日はMr.Souliyaと別れる日だったのです。
******************************************
Mr.スリヤはラオスの国家公務員(情報文化観光省)で、今回私たち日本人と行動を共にし、様々なサポートをしてくださいました。ラオス国立大学出身で考古学が専門(遺跡や田んぼを歩いている途中に石があるとひざまずいて手で石を拾い撫でているのを見かけました)、ベトナム留学の経験があり、英語も話せるし、博士号も取得されていて、国の公務に従事されている。素晴らしい方が僕たちについてくださったんだ、と別れ際になりはっきり意識できました。
このように、Mr.スリヤは表面上の学歴や肩書からみても素晴らしい方ですが、私個人からみても素晴らしい方でした。英語がへたくそながら、たどたどしく質問したり、体やらなんやらを使って適当に意思を伝えようとすると、私の肩を彼はそっと抱き寄せて静かに聞いてくださいました。普通だったら少し抵抗を感じる人もいるかもしれません。しかし、Mr.スリヤは違います。彼に肩を抱かれたとき、その温かさに触れることができるのです。
故に抵抗感はなくなります(温かさは器の大きさ、心の広さの表れ)。だから安心し、心を開いた私は彼に甘え、へたくそな意思伝達を続けます。そうすると彼は終わるまでしっかり聞いてくれるのです。
彼の心の温かさはことあるごとに感じられました。学生が刃物の近くにいれば、身を挺してそれを除けてくれたり・・・
そして朝ごはんを食べる前にMr.スリヤは首都ビエンチャンに帰っていったのでした。
*******************************************
それから、私たちは朝飯前に散歩を兼ねてお寺にお参りしました。今日はワンプラ(仏日)でたくさんの市民の方がタンブン(お布施)に来ていました。男性は実修行するので、タンブンには女性が着飾って集まります。わたしたちもタンブンをし、本堂最前列でお参り。えらいお坊さんから紹介をされ、旅の安全の言葉をかけていただきました。
朝食後にパクセ・ダオファン市場へラオス最後の買い物に行きました。
みんなして竹細工やら布やらを買いました。特に布は女性陣に人気で、興味の大半は布にあったようです。それは次第に男性陣の購買意欲をも刺激し、我々も布を購入する事態へと発展していったのでした。あたかも店員さんのように腰かけている人はミムさんです。いつの間にか周囲に溶け込んでいくのが彼女の特技です。
布はラオ族の巻きスカート「シン」の生地で、このマネキンのようにして使用します。そばに仕立て屋があって、採寸のうえ縫い上げてくれます。
シンの仕立てを待っている間にチャンパサック歴史博物館を見学しました。中にある展示品の中にはなんと北野博司先生の土器の実測図がありましたよ。
博物館ではラオスの建国の歴史を知りました。ラオスでは多くの血が流れてきたのです。それはフランスの植民地であったこと、独立戦争があったことが主な原因です。そうした先人たちの血があっての現在だということを伝える場所なのでした。兵器(銃や砲弾)やラオス国内で見つかった遺物などが展示されていました。
ついにラオスから離れる時間がやってきました。ラオスではいろんなことを経験できましたが、ふとした瞬間に忘れそうになりますし、もはや忘れてしまったことさえありそうな気がします。それだけなじんだということでしょうか。なじめるくらい人々が受け入れてくれたということでしょうか。それとも忘れやすいだけなのでしょうか。
タイに再入国するとき名残惜しさがありませんでしたが、「また来たいなー」と思いました。
みんなしてたくさんのお酒を買い込み、地下を通って国境を越え、タイへと入ったのでした
********************************************************************
タイへ入るとウボンへと向かう途中で塩づくりのN村と土器づくりのD村に立ち寄りました。
N村では塩づくりを生業としているお父さんたちの話を聞きました。
村の中には塩がとけた水が広がる低地(イサーン~ラオスの地下には岩塩層)があり、この水を何度もろ過装置である「槽」に通し、鹹水(塩分濃度の高い塩水)を採取。これを煮詰めて塩を作ります。塩槽は一家に一台と決まっているそうです。最も暑い3月~5月に作業を行います。
そうしてできた塩は町に売りに行くのです。上半身裸ながらも見知らぬ日本人の肩を笑顔でたたきながら話をしてくださったお父さんが印象的で、優しい村でした。この村の人たちももとはラオスの人なのだとか。タイのイサーン(東北地方)はタイ・ラオ族と呼ばれる人たちが主体を占め、言語や習俗も共通点が多いと聞きました。
土器づくりのD村には学校があります。学校でも土器の作り方を教えているそうで、この村のアイデンテティとなっていることがわかります。家の中には大量の未焼成の土器がありました。この4月に作ったもので12月の稲刈り後に焼くそうです。
塩づくりも土器作りも乾季(稲刈り後)の副業として行われているので、今はシーズンオフです。
そうこうしてオーさんの車でウボンにつき、夕食を食べ、テスコ・ロータスで買い物。迫る帰国に向けて最後のホテルの宿泊をしたのでした。
ホテルでは昨夜に続きささやかなお別れミーティング。ラオスで買い込んできたラオ・ラーオやビアラオ、壷酒で最後の夜を惜しみました。
(TASUKU)