歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2013-03-16

ラオス日記2013.3-焼き締め陶器の村をたずねて-

2日夜に羽田を発ち、バンコクを経由してラオスに着いた。現地は暑季に入り、いい感じの暑さが体を包む。はずだったが、ベトナムのほうからストームが来ているらしく涼しかった。3日の晩に町で髪を切った。さっぱりした。こちらでは毎日7:00に朝食、7:30から仕事というペース。日本にいる時より朝は早いが、このペースが現地の空気、リズムにあって心地よい。

 

 

4日、お正月にたどり着けなかったN村に来た。ここは男性が作る焼き締め陶器の村である。2000年、最後の製作者Pさん(81歳)が引退して、村の土器作りは途絶えた。Pさん宅を訪ね、弟子Kさん(56歳)と二人から話を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 成形は2人一組。粘土紐を作り回転台を回す人、台上で粘土紐を積み、水挽きする人。このタイプの土器作りでは夫婦協業と男性2人の場合があるが、この村は後者だ。Kさんは弟が補助をした。 

 

伝統的な焼き締め陶器の村がどんな製品を作り、どう使い分けていたのか。それを教えてもらうのが今回の目的の一つだ。

次から次へと製品を持ってきてくれた。いちばん興味深かったのは甕の使い方。「飲む水」用の甕、「使う水」用の甕が器形の違い、蓋の有無で使い分けられている。もちろん酒造り(サトゥ)にも使う。  

 

持ちよった陶器のなかに一つ見慣れないものがあった。ポムPuomという小型品。これは、ティップ・カオ(蒸し米を入れる竹製容器)にアリが入らないように木にぶら下げる時の補助具だ。上部のへこみに水を張っておく。これはハイ・パデックHai-pradaekという発酵食品作り用の壷の口を応用したもの。ほかにもPさんは奥さんのためにオリジナルの製品を作っていた。機織りの時に座るタン・サオロー椅子である。これはクロック搗き鉢の応用である。このように製作者は、販売用の主力製品のほかにも自分たちの生活の身のまわりで役に立つ製品をその技術を応用しながら作っていた。 

 

庭に軸を切り取った回転台が置いてあった。尋ねると「これは大切なものだから、とってあるのさ。」なぜ?「子どもたちにこの村が土器作り村だったことを伝えるためだよ。」回転台は彼らにとってのシンボルなのだ。父親から受け継いだ土器作り、土器作り村に育ったセルフ・アイデンティティ。伝統の中に生きる暮らし、ゆったりと時間の流れを感じる話をたくさんしてくれた。

 

 

口が広い甕エンナムEn・Namは1980年にKさんが作ったものだ。肩部に施文用の櫛で「RS,1980」「No.64」。さらに「DISCO LEVIS.NAS」と刻む。「これどんな意味?」「(ニヤッ)意味なんかないさ・・・・」。このおやじ、なかなかやるなぁと無言の会話。

 

 

  

それから二人に窯跡を案内してもらう。みなアリ塚に作る地下式窖窯。12基ぐらいあるよ。自分たちで1週間かけて掘る。3~4年使い、順次掘っていく。現場で窯構造や窯詰め、窯焚きについて話を聞く。いつまでも聞いていたいほど話は尽きない。

Kさん「今度来るときは俺んちに来いよ!」「はい、その時までお互い達者で・・・・」

 

 

 

 

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