6:30に市場で朝食。弁当代わりのフランスパンを買って村に向かう。車は奇岩が林立する石灰岩山地の合間を縫って走り、8:00にSL村に着く。
この村は約150年前に山手1kmにあるNA村(土器作り村)から分かれ、森を開墾しながら拡大してきた。今は50軒ほど。20年前は35軒ほどで、ほとんどの世帯で土器を作っていた。土器作りを止めてもう15~20年になる。この村に電気が来たのは2000年であるが、周辺はもっと早く電化し、そのせいで土器が売れな
くなり止めたという。年末に訪ねたときに、成形を見たいと言ったら快く引き受けてくれ、今日の再訪となった。
土器作り経験のある女性はもう3人しかいない。ポターはBさん(73歳)、Sさん(63歳)、Lさん(63歳)。Bさんがリーダーである。成形動作に無駄がない。3人に共通するのは結婚してNA村に住むことになり、そこで土器作りを学んだことである。BさんとLさんは夫がNA村生まれなので、夫方に嫁いだことになる。土器作りは農閑期の副業であるが、夫はそれぞれ仕事を持っており、土器作りは手伝わなかったという。
販売も自分たちが行商した。日帰りできる片道4~5kmの範囲をハープ(竹の天秤棒)でカブン(竹籠)を2個提げ、前と後ろに2個ずつ積んで歩いたそうだ。
今日はBさんとSさんの二人が作ってくれる。昨日練習もかねて大小の土器10個ほどを作っていた。
事前にお願いして粘土とチュアを用意しておいてもらい、朝、粉砕・土練りから工程を再現してもらった。粘土採掘場所は、現在のSL村の入り口(約1km)にあり、NA村に住んでいた時から変わらない。かつては森の中だったが、開墾が進んで今は田んぼの真ん中になっている。現状だけ見て「田土」利用というと語弊がある。
チュアと粘土の粉砕は娘たち(40歳前後)がやってくれた。味わいのある竪臼(かつて米を搗いていた)と杵で搗く。小さい頃に手伝っていたせいか、勝手知った仕事ぶりである。Sさんの14歳の孫をはじめ、近所の子供たちは始めてみる土器作りとその道具に興味津津。
この村の成形技法は、ラオス南部サワンナケート県のBan・Buk等を指標とする技術の範疇に入る。しかし、あて具は一般的な土製ではなく木製を使うのが特徴。家具にも使われるマイ・パユムという硬い木である。叩き板や杵もこれで作る。
主力製品は水甕のモーウナム(小はモーウ・ノイという)、鍋モーケン大・小である。ここの水甕は胴長である。そのため、叩き成形の工程が長いことが予想された。案の定、台上成形3回、手持ち叩きを5回行う。Ban・Bukでは台上成形1回、手持ち叩き3回で仕上げる。その間に小刻みに乾燥段階を挟むので、一日に成形できる個数は少なくなる。
縦溝の叩き板を使うのはBan・Bukと共通するが、叩き板の扱いや姿勢が違うため、器面に残る溝の方向が全く違う。痕跡から技術を復元するときに注意が必要だ。
もっとも大きな特徴は2ビートの叩き。左手のあて具1回に対して、右手の叩き板で2回叩く。実にリズミカルである。ドラム叩きでは普通かもしれないが、土器の成形では初めて見た。左右の手を違ったリズムで動かすのは難しい。各地のポターたちは成形の熟練を音で聞き分けるという。2ビートの場合、リズム感が悪いとすぐわかってしまう。
乾燥の合間を利用して、Lさんの娘がお昼を御馳走してくれた。この村では三食もち米を食べる。朝蒸したご飯、火に炙った干魚、スパイシーな青とうがらしのつけ味噌と生の小魚をつぶしたつけ味噌(パラーではない)、あざやかな色の花芽(にがい)、ささげ(あまみ)。さまざまな味わいのおかずが混じる。買い込んできたフランスパンは子供たちのおやつになった。
3世代が集い、かつての村の生業を振り返る時間。土器作りを受け継がなかった今の第2、第3世代はおばあちゃんたちの暮らしぶりをどんな気持ちで聞いたのだろうか。
Sさんの孫や近所の子供たちに聞いてみた。おばあちゃんたちが土器作るの見て、「どう?」「はじめて見たわ!」「やってみたい?」「う~ん、やらない。私にはできないわ・・・・」そういいながら、じっと動作を見入っている姿が印象的だった。