1月2日(金)
マンダレーの旧市街は方格地割の整然とした街区なのに、交差点に信号がない。しかし、皆はここを車やバイク、輪タク、人が阿吽の呼吸で行き交う。この感覚…信号に慣れ切って間合いをとることができなくなった日本人には難しい・・・
昨日聞いたS村、K村。河川沿いなので船で行くのが良いと思われたが、訳あって車で行くことになった。不毛なサバンナのような大地が続く。作物はトウガラシと、時々赤い花茶が植わっている。凸凹道を2時間走り、ようやくS村に着く。ところがここは焼き物作ってないよ、と。がせネタだった。ここまでも薄々感じていたが、タイのイサーンと違ってミャンマーでは村人は他の村の情報をあまり知らない。もともと広域に移動する民ではないし、自由な移動が妨げられる歴史的な過去もあったようだ。
11:30河畔の村に着き、舟をチャーターしK村を目指す。1時間30分ほど川を遡りようやく船着き場に着いた。途中、底からの浸水が激しく、あわててペットボトルを二つに割って水を汲みだす。ボートを降りて10分ほど歩いて村に入った。
この村は150軒の家すべてで土器を作る。あちこちからポンポン、ポンポン。土器作り村のサウンドスケープ。野焼きの準備中の家があるというので見に行く。800個の土器を積んだ大きな山に度肝を抜かれる。土器作り村ではどこの家にも牛がいるのでカウダン(牛糞+もみ殻)を補助燃料に使う。藁の上部は泥の覆いで、傍らで練った土を皿に盛り、女たちが頭の上に乗せて運ぶ。タイ・ラオスとあまりの違いに驚く。みなさん快く取材を受け入れてくれ、最後は料理でもてなしてくれた。お茶の葉入りの豆料理はおいしかった。
帰りは心地よい風に吹かれ川を下る。そこから月明かりに照らされた大地を車に揺られ、ウェレットという町を経由してマンダレーに戻る。途中土器作り村の存在を確認。宿に着いたのは夜8:40。今日も夕食はタイ出身のママがやってる「シャンママ」でシャン料理。