歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2014-02-02

みがいた技を後進に伝える

1月7日(火)

 SY村から西に1.7kmほどいったところにB村がある。ここにも一人ポターがいた。Kさん(62歳)はSY村出身で早くにお母さんを亡くしている。17年前に現在地に引っ越した。小学校の頃はクラスに10人いると6~7人は土器を作れたよ。土器作りを覚えたSY村でその技を披露してくれた。

作り方は基本的にはD村と同じだが、蓋の摘みを捻り出して作ったり、高台付けを手持ちで行うなどいくつか違いがある。SY村はこの地区では最も成立が古く、土器作りもここから周辺に拡散したと伝えられる。その系統関係を辿る意味でもこの技術は注目された。

Kさんが乾燥を挟んで手持ち叩きをやっていると、Tさん(80歳)が我慢しきれずに出てきてきれいに仕上げた。やっぱり熟練の動作には無駄がない。年を重ねたとはいえ手技を究めた姿がそこにはあった。

田んぼの木からとるキーカン、キーシーという樹脂をみせてくれた。ヒビの修復や接着剤として多用途に供する。ここではルアンパバンでみたように土器表面に塗ることはない。

 

 

 夜ウボン空港からバンコクに飛び、深夜便で仙台に帰った。タイ航空仙台便なんとありがたいことか。午後からの授業に余裕で間にあった。

 毎年空港であるトラブルは今年はなかった。しいて言えば、行きの羽田でタイの友人におみやげにするはずのレトルトカレー10袋が取り上げられたこと(レトルトパックは機内持ち込み禁止)。チェックインカウンターが閉まる時刻をあらかじめ聞いておき、それまで一心不乱に年賀状を書き、ギリギリの時刻に飛び込んだ。重量オーバーをおそれ、あわててレトルトパックを手荷物に入れてしまった。預け荷物の重量が厳しくなったと聞いて背中に入れたのだ。預け荷物に入れ直せばと言われたが、ボーディングタイムが過ぎており戻る時間は残されていなかった。

 帰りは、おみやげの土器が満載でウボン空港国内線で5kgオーバー300B請求された。しかし、いつもの笑顔作戦でここはスルー。バンコクでは一切文句を言われなかった。重量オーバーだけは毎回よくわからない。

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