1月5日(続き)
7時過ぎにゲストハウスに戻り朝食を食べる。市場で材料を買い、資料のパッキング。町中はアスファルト仕様のゴムタイヤをはいたミンレー(馬車タクシー)が行きかう。お正月のせいか、頭に髪飾りを付けた馬が多い。ミャンマー男子が身につけるロンジー(スカート)を買ってはいてみた。調査中、草むらで用をすませる時(ミャンマーでは必ず「ごめんなさい」を言ってからするのだとTB君)、ロンジーの場合は座ってするのだが、その習慣がない日本人にはちょっと難しい。
今日はエーヤワディ左岸を北上する。午前中干上がった川を越えN村を目指すが、30分ほど行くと砂で車がスタック、あきらめて引き返す。ミンジャンの町から次のY村を目指す。わき道に入ると広大なプランテーション。トウモロコシと豆の混植、たばこ、とうがらし、わた、きび、圃場ごとにころころ変わる。ミャンマーの畑作は単一栽培を嫌い、混植や多種栽培を志向しているようにみえる。一直線のガタガタ道を車は時速10kmでのろのろ進む。途中で道を訪ねたバイクの夫婦がずっと車を先導してくれる。灌漑用水路沿いの道では前をオックスカートにふさがれ追い越せない。2kmの間、追い越す道幅がないのだ…
15:50ミンジャンから20kmの距離をちょうど2時間かかってようやく村に着く。エーヤワディの岸辺に船積みを待つ土器が並ぶ。大規模生産地の予感。敷地の周囲に土器を積み上げた「土器垣」が巡る。最初に見たのは2,850個入っている巨大な野焼きの山。直径はなんと10m。村の奥に入るともっと巨大な野焼きがセットされていた。180軒中80軒が専業で土器を作っている。ここでは原形作りに二人一組で回す轆轤を使う。
アウンサン・スーチー氏率いる国民民主連盟(National League for Democracy)のポスターが掲げられたお宅にお邪魔し成形を観察する。ンガーチョという小魚の唐揚げを御馳走になり、お土産をいただく。村はずれの船着き場のそばではゲストハウスの建設が進んでいた。この村にはエーヤワディー・クルーズの舟が着岸し、頻繁に外国人が訪れるそうだ。
村を出てしばらく行くと日没。薄明かりのなかミャンマーでは珍しい土葬の村が続く。不思議な光景だ。さらに月が明るくなり始めたころ、アシスタントが道路脇で野焼きの煙を発見。急きょ車を止めて取材する。ほんとうにミャンマーには土器作り村が多い。
それからが長かった。いけどもいけども町の明かりが見えない。漆黒の空に月と星だけが輝く。道案内を間違えたTB君に切れたドライバーが鬼のようにぶっ飛ばし、9時半すぎになんとかマンダレーに着いた。