私たちが調査している高畠と同じように、農村部に石が集積する町として著名な徳次郎にやってきた。といっても規模がまるで違う。その量に圧倒されながら、徳次郎6カ村の西根、田中、門前などを訪ねて歩いた。
地元の徳次郎石は緑色がかっていて、ミソと呼ばれる「ス」が少ない。したがって細工物や貼り石に用いられた。西根の集落ではメインストリートに面して蔵や石塀が林立するので石が目立つ。各家庭には石蔵が1~4棟あり、石瓦の屋根も少なくない。家財をいれておくだけでなく、アーチ形の入口をもつ「アマヤ」は農作業場や、農機具置き場として利用されている。かつては芋なども貯蔵した。石蔵といっても大谷の延石(五十石)を縦積みした構造体をなすものと、木骨の外壁に徳次郎石の薄板を貼り付けたものがある。後者が古いらしい。
石蔵は、巷間いわれるように火災から財産を守る(西根集落では110年間火災がないそうだ)だけでなく、上層農家の富貴の象徴として建てられた。蔵の窓や庇の装飾がとにかく派手である。垂木や斗供表現、唐草・雲形文、七福神のレリーフ・・・。また、ギリシャ神殿建築の円柱表現がやけに目につく。和洋テイストがごちゃまぜの感。もはや過剰デザインの域に達している。
作る側、使う側の、その時々の信仰やあこがれ意識がこのような多様性を生んできたと思われる。高畠には見られない世界がここにはある。
古い住宅の母屋は木造で基礎は延石ではなく、玉石を使う。高畠では明治以降は6尺の延べ石を使う。母屋が石積みの家が1軒だけ残っていた。蔵外壁の石材配置パターンもさまざまだ。近年建てた住宅で外壁にすべて大谷石を使っている家もある。建築基準法と折合いながら石の景観を大切にしている。
西根集落は、平成23年2月に認定公表された「とちぎのふるさと田園風景百選」に選ばれ、バス見学ツアーの団体もくるそうだ。
道路を歩いていると、車で通りかかったおばさんがわざわざ降りてきて、見どころを説明してくださった。外部からの注目を集めることで、住民に石の里の景観を守って行こうという意識があるようだ。現在はNPO法人大谷石研究会(景観整備機構)と宇都宮大学が調査に入っている。成果が公表される日を待ちたい。
そんななか、東日本大震災はこの町にも被害を及ぼした。石蔵や石塀は地震に弱い。大棟や屋根の石瓦、石壁が落ちたままの家がある。棟石が崩れて屋根をトタンに替えた家もあった。一番大きな被害のあった石蔵は壁が落ちたまま手がつけられず放置されていた。
各世帯には裏庭(山)に氏神様を祭る石鳥居と石祠がある。祠は1~3つで、ほかに稲荷神などを祀っている。聞いてみると祭日やお供えは各家庭で異なっていて、あるお宅では10月10日に尾頭付き(サンマなど)と赤飯、お神酒を供えて、注連縄と幣を新しくするという。あるお宅では正月だった。井戸神や水神の祠もあった。高畠の屋敷明神と比べると、こちらは立派な構えであるが、家と豊作、豊かな水を願う心は同じである。
その他土留め、石垣、水路の護岸、置石等、踏み石、橋、洗い場、集石など多様な使い道は高畠にも通じる。それでは高畠の特徴ななんだろうか?
酪農と結びついたサイロ、庭文化として根付いたナツカワや自然石の多用、住宅基礎への延べ石の積極的利用とその転用としての境界石や土留め石、野積みの石塀、間知石や端材利用、各種生活道具(珍品が実に多い)が思いつく。昭和35年頃から機械掘りが普及した大谷石にはチェンソーの石目がつく。高畠で最後まで手掘りだったため、表面感が野趣に富み軟らかい。
石の里の魅力はその「量」や「派手さ」ではない。高畠石の生産は大谷から見れば小さい。しかし、ここには独自の採掘技術があり、徳次郎とは違う生業、社会があった。ふんだんに石があって価格も安い大谷とは石材に対する価値観も異なる。高畠の石使いには手仕事のぬくもりと資源を持続的に使い続けるという、味わい深い魅力があることを改めて感じる旅であった。