高畠まちあるき-石鳥居の悉皆調査の第4回目。
朝9時にふるかわ邸に集合。ネームプレートと調査グッズを持参し、4班に分かれ町内各地に飛び散る。脚立、5mスタッフ、クリノメーター、レーザー測距計、角度計、コンベックス、2枚の記録シートと画板、コンデジ・・・・
一日中雨降りにもかかわらず調査を続け、今日も30か所以上の鳥居のデータが集まってきた。16時過ぎからぬれた体を温めながら報告会。奥様が出してくれたそば茶と味のしみただいこん煮が空きっ腹にしみる。
高畠では圧倒的多数を占める明神系の石鳥居は18世紀半ばごろから建ち始めたようだ。
その初現期とみられる石鳥居の形や加工の特徴がわかってきた。肥前系といわれる北目の「愛宕山鳥居」とも共通する。
また、北に来るにつれて「八角柱」が増えてきた。いったいいくつあるのだろうか?楽しみである。
もうひとつ分かってきたことは、鳥居というと「神社」を連想するが、ここでは山麓のあちこちに明確な社名のない石鳥居と祠が多数存在することだ。それらはたいていは「山神」や「稲荷」をまつる。「毘沙門天」や「千手観音」「馬頭観音」などもある。集落の「鎮守様」と扱われているものもあるが、もう少し小さい単位で祀られている(場合によっては一族で)。明治期に「神社」に編成されなかった社たち。
山野の開発とともに屋敷の周辺、里と山の境のあちこちに神や仏を祀った姿がみえてくる。鳥居のない祠だけのものとなると、その数はしれない。これに加えて屋敷神(これも山の神や稲荷が多い)がある。もちろん火伏せ(古峯・秋葉)、水神・竜神、三宝荒神・・・・ほんとうに神様だらけだ。。。。
人知のしれない自然や思いのままならない日常のくらし。神に祈り、感謝する暮らしが垣間見える。
鳥居の形は祀られている神様と対応している。当たり前のことだが、これまでそんな風に鳥居をみていなかったので、いまさらながら教えられた。
今日は本殿の形とも対応していることを確認した。
平入りで独立棟持ち柱をもつ神明造(伊勢神宮など)の神社には神明系鳥居がたっている。そして神社名は(皇)大神宮・・・・これまで漠然と見ていたモノがやっとつながってきた。
知識として知ることよりもこうやって再発見していくプロセスが面白い。フィールドワークの醍醐味だ。