歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
*
2013-03-17

アリ塚をあまくみたらいかんぜよ

3月6日

朝からNLCの窯の測量をはじめる。早速、平板の基準点に釘を打とうとしたら、地表面が硬くて刺さらない。いわんやピンポールをや。釘はなんとか石を探してきて打った。

アリ塚(Anthill、ラオスではディン・ポーン、タイではジョン・プロッ)に窖窯を作る理由を、正直、平地で盛り上がった丘を利用する程度にしか思っていなかった。「土が硬いから」とも聞いていたが、これほど硬いとは思っていなかった。恐るべしアリの唾液よ

 

 

 タイ東北部(イサーン)からラオスにかけて田んぼに樹木(産米林などと呼ばれる)が点在するのが特徴的な農村景観だ。木の根元にはたいていアリ塚が形成されている。木々の葉が田に落ちて有機肥料になるし、ここで動植物の生態系ができ、食料採集の場にもなる。炭焼きの原木、土器焼きの燃料にもなるし、農作業の休憩場所になったりと多目的に使われる。

森を開墾して田にするのに、このアリ塚を撤去する苦労は並大抵ではなかっただろう。産米林の形成にはこのような労働コストもあったのではないか。そう感じずにはいられなかった。

 

 

平板で地形測量し、午後からTさんに鍬と鋤をかりて燃焼部を掘った。こちらの「剣スコ」は柄が長くて、金属部が軽くてペラペラ。踏み込めない。これはあくまで、土や砂をすくって遠くへ飛ばす道具だ。平鍬は固い土を砕く道具であって掘る道具ではない。明らかに選択を間違った。代わる代わる掘ったが、わたしは1時間持たずにへばってしまった。

その晩に町で移植ごてがわりの道具を買い、翌日は、郷に入っては郷に従え、「スィヤム」という掘り棒を借りることにした。

 

疲労困ぱいの体を癒してくれるのは行き帰り通るモンキー・フォレストの子ザルたち。スイ・レイクの景色。水の豊富な地域で2期作の稲田が青々と広がっている。途中、2009年のお正月に通ったBT村を通る。車窓から、村長のタオ(七輪)工房と近所のおばちゃんの土器作りの健在ぶりをみて安心する。

 

夜、サワンナケートの町でCHAI・DEEという小さなCaféに立ち寄った。サワンナケートは大きな町の割に外国人が少ない。そんな街にあって欧米人に人気の店。JICAの関係者らしい日本人もいた。あとから頼りなさそうな細身の日本人の若者が一人でやってきた。明らかにバックパッカーではない。尋ねてみると、日系企業で働いており、もう1年になるという。彼は現地採用で、村の20歳ぐらいの女性100名ほどと一緒に働いている。ラオス女性は美人が多いので、たいへんでしょというと、社内恋愛は禁止だと。浮ついたところはない。活字に飢えて本を読むためにここまで自転車で30分かけて通っているとのこと。

海外でこうやって一人で働いている若者に興味を覚えた。日本に嫌気がさしてきたわけでもなく、国際貢献という気負いもない。自然体で自身を見つめ、人との出会いを大切に生きている。翌日も待ち合わせてたくさんの話をした。若さに羨ましさを感じつつ、勇気をもらう出会いに満足し、夜は疲れでぐっすり・・・・。

最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報

東北芸術工科大学
TUADBLOG