急に冷え込んだ土曜日、いきなり晴れて暑くなった日曜日、因縁の江戸城へ石垣調査に行ってきました。石垣技術の比較研究の調査で、昨年の金沢城、大坂城、名古屋城、熊本城につづく、第五弾です。土曜日は雨の中、皇宮警察のおじさんの冷たいまなざしを浴びながらも、双眼鏡をぶらさげ、わずか数100mを4時間かけてゆっくり観察していきました。地元千代田区教委の後藤さんをはじめ、九州は肥前名護屋城、四国は松山城、山陰は鳥取城、北陸は金沢城、関東は甲府城と、各地の石垣研究者が集いました。江戸城はいわゆる天下普請(各地の大名が普請を分担)の城で、慶長、元和、寛永、明暦、宝永と各時期の石垣を見ることが出来ます。前回の名古屋城につづき今回も3名の学生が調査に参加しました。第一線の研究者たちの熱いまなざしと議論を肌で感じられたのではないでしょうか。「角石の形が・・」「角脇石がない・・」「ノミ調整は・・」「刻印は・・」「江戸切りは・・」しばらくのあいだにずいぶん石垣とお話しができるようなったようです。
写真は慶長11年築造とみられる白鳥堀の石垣。10数メートル単位に丁場境があることがわかりました。