2つの実験条件で野焼きを行いました。?弥生時代後期をモデルとした高密閉・薪節約型の覆い型野焼き(泥被覆)?弥生時代早前期をモデルとした低密閉・薪多用型の覆い型野焼き(稲藁追加のみ)
土曜日は研究発表後、翌日の実験の打ち合わせを行い、食材の下ごしらえをしました。今回の実験課題の一つは「小麦を粒食する」。小麦は粉食があたりまえのように思いがちですが・・・・。先史・古代もそうだったのでしょうか。殻つきの小麦を擂粉木で磨り外皮を取っているところです。
さまざまな状態の小麦を土器で炊いたところ・・・・なんと!ある状態ではやみつきになるくらいおいしい。胚芽も食べるので栄養満点です。
6月7日(土)午後から、文化財保存修復研究センターにて「野焼きと調理に関する実験考古学−スス・コゲから何が分かるか」をテーマとした4本の研究発表が行われました。
「民族誌からみた土器の野焼き技術」 小林正史(北陸学院大学)
「スス・コゲからみた古代の土鍋の使用形態」 北野博司(東北芸術工科大学)
「土器付着炭化物の正体をさぐる」 庄田慎矢(日本学術振興会特別研究員PD)
「炭素年代測定と安定同位体を用いた食性研究」 宮田佳樹(国立歴史民俗博物館科研費支援研究員)
参加者は南は山口県、岡山県、北は岩手県まで。大学関係では本学の他に明治大、東大、都立大、国際基督教大、山形大などから参加があり、全体で50名となりました。せまい教室に各地から集まった研究者と学生たちが熱心に発表に聞き入っていました。
2 日目は実験考古学のワークショップ。野焼きと炉調理、カマド調理と3グループに分かれてそれぞれ実験を行いました。本学からは歴史遺産のほか、美文、美術科などから約20名が参加。ほかに卒業生の小林啓、渡部裕司、小林克也、高橋静歩、三河風子、山戸和美。みなさん、ごくろうさんでした。
急に冷え込んだ土曜日、いきなり晴れて暑くなった日曜日、因縁の江戸城へ石垣調査に行ってきました。石垣技術の比較研究の調査で、昨年の金沢城、大坂城、名古屋城、熊本城につづく、第五弾です。土曜日は雨の中、皇宮警察のおじさんの冷たいまなざしを浴びながらも、双眼鏡をぶらさげ、わずか数100mを4時間かけてゆっくり観察していきました。地元千代田区教委の後藤さんをはじめ、九州は肥前名護屋城、四国は松山城、山陰は鳥取城、北陸は金沢城、関東は甲府城と、各地の石垣研究者が集いました。江戸城はいわゆる天下普請(各地の大名が普請を分担)の城で、慶長、元和、寛永、明暦、宝永と各時期の石垣を見ることが出来ます。前回の名古屋城につづき今回も3名の学生が調査に参加しました。第一線の研究者たちの熱いまなざしと議論を肌で感じられたのではないでしょうか。「角石の形が・・」「角脇石がない・・」「ノミ調整は・・」「刻印は・・」「江戸切りは・・」しばらくのあいだにずいぶん石垣とお話しができるようなったようです。
写真は慶長11年築造とみられる白鳥堀の石垣。10数メートル単位に丁場境があることがわかりました。