11月2・3日に「東北地方および極東ロシアにおける頭(かしら)信仰」研究会が開催されます。
東北地方には少なくとも中世以来、人間や動物の頭(かしら)を神聖視して祀る習俗や儀礼があると考えられ、その一部は頭骨信仰などといわれてきました。
現在、東北に生き続けているものに馬首信仰、山伏神楽の権現様(獅子頭)信仰、シシ踊りの頭儀礼、熊の頭骨崇拝などがありますが、それらはどう関連しているのでしょうか。
本研究会では、頭骨信仰も含めてそれらをとりあえず「頭(かしら)信仰」と名づけ、列島の南北にみる個々の事例の比較検討や相互の関連性を追求することをねらいとしています。
入場は無料です。ぜひお気軽にご参加ください。
——————————————————————————–
開催日時:平成20年11月2日(日)・3日(月)
会場:東北芸術工科大学 本館2階208講義室
——————————————————————————–
【日程】
<第一日目> 11月2日 13:30〜17:00
(1)開 会 13:30
(2)東文研所長挨拶
(3)問題提起
菊地和博「頭(かしら)信仰研究の意義について」13:35〜13:50分
(4)事例報告(各30分)
1.誉田慶信「慈覚大師木彫頭部にみる東北地方の宗教意識」
(岩手県立大学盛岡短期大学部) 13:55〜14:25 質疑10分
2.入間田宣夫「中尊寺領骨寺村における慈覚大師の首塚について」
(東北芸術工科大学歴史遺産学科) 14:40〜15:10 質疑10分
3.山口博之「中世墓における頭部の扱い」
(山形県教育庁文化遺産課) 15:25〜15:55 質疑10分
4.赤羽正春「東北地方の熊の頭骨崇拝」
(新潟県村上市立岩船小学校) 16:20〜16:50 質疑10分
(5)閉 会 17:00
<第二日目> 11月3日 9:00〜12:20
(1)開 会 9:00
(2)事例報告(各30分)
1.田口洋美「極東シベリアにみられる熊送りと頭骨」 9:00〜9:30 質疑10分
(東北芸術工科大学歴史遺産学科)
2.福田正宏「オホーツク文化の頭骨儀礼」 9:45〜10:15 質疑10分
(東北芸術工科大学歴史遺産学科)
3.菊地和博「シシの芸能にみる頭信仰と儀礼」 10:30〜11:00 質疑10分
(東北芸術工科大学歴史遺産学科)
4.全体討議 11:20〜12:20(60分)
(3)閉 会 12:20
——————————————————————————–
【主催】東北芸術工科大学
【企画・申込先】東北芸術工科大学 東北文化研究センター
詳細はPDFファイルをご覧ください
宇都宮へおいしい餃子を食べにきました。というわけではなく、栃木に来たのは県埋文センターで古墳時代土器のススコゲ調査を行うためです。4年生のO嬢が卒論で以前からお世話になっている職員の方々と一緒に七色の餃子を食べてきました。各地の資料調査にいったなら、必ず現地の人と現地のものを食べる。それが地域を知る第一歩です。たとえそれが非伝統的なものであっても、なぜ今そうなっているかを考えさせてくれるからです。動態的に地域の歴史を見ること、モノに映し出される痕跡を読み取り、背景にある多様な文化を解釈する、これが考古学の基本姿勢です。
そういえば、移転中に転落破損した餃子の像はどうなったんでしょう?
韓国梨花女子大の乙女たち16名が山形にきて、芸工大で1週間を過ごしました。あの「発掘プロジェクト」をやっているチョウ先生の学生たちです。今回「Myth in us-우리 안의 신화(私たちの神話)」というテーマで日韓学生交流展が企画され、6月のソウル展に続き、秋の山形展は10月23日〜11月12日の日程で本学で開催されています。西洋画、東洋画専攻の学生たちですが、表現方法は実に様々、コンセプチャルな作品が目立ちます。迎えうつ本学の学生たちも、実験芸術や漆、洋画、日本画、グラフィックなど多彩な分野から刺激的な作品が並びました。
アーティストが思い思いの神話を胸に抱き、それぞれのメッセージを発しています。若者たちは両国を行き来し、作品展示や飲み会など深い交流を通してかけがえのない経験をしました。そのことを示すように彼ら、彼女らの作品は静かに響きあっているのです。言語だけでないコミュニケーションの世界の存在をあらためて感じた1週間でした。
若いみずみずしい感性をもつわが学生たちにもこんな機会を持ってもらいたいと思っています。
ちなみに我が家にはユ・ミニョンとソン・ユリという二人の学生がホームステイしました。ソン・ユリは山形にきてから、真っ白な壁に即興で作品を描いていきました。二人は毎晩料理を作ったり、学生たちと交流してくれました。
「Myth in us(私たちの神話)」展で本学に来ていた韓国の学生に土器で調理したご飯や芋煮を食べてもらいました。焼き芋(クン・コグマ)を食べつつ、日本のサツマイモの大きさにびっくり!なんでこんなことしてるのかちゃんと伝わったのか、ちょっと心配….
まんまです。タイトル通り。
鶏の頭を食べました。
リアルに。
調理方法は簡単。
材料の鶏頭、薄切りにした玉ねぎ、塩、コショウをお湯にぶち込んで煮込むだけ。
香り付けにローレルを添えて、そのまま9時間弱。モロモロになるまで煮込みました。
さて、お味は?
「脳みそウマイ!」
「ノドの辺りもいける!」
「目玉も結構おいしい!」
「骨まで食えるよ!」
…グロイ会話でごめんなさい。
当時の人の食生活がうかがえる貝塚、そこから出土する動物骨は、たいてい割られた状態で出てきます。髄まで食べていたんですかね。一番栄養のある部分は、脳のある頭ではないでしょうか。穴が開けられた状態で出土する頭骨もあります。
見た目は少しアレですけど、コラーゲンたっぷりで本当においしいです。
ラーメンの出汁にブタの頭や鶏頭を使うお店もありますし。
※画像は自主規制しました。
by W・T
小浜島最後の夜、島人のkさんと真っ暗闇の中、半分壊れている車で小浜を2周ドライブ。
kさんは、居酒屋で約6時間は飲んでからドライブの誘ってきた。(^_^;)オイオイ大丈夫かと思いつつ、小浜では飲酒運転は当たり前。
事故を起こしても、畑に突っ込むか、溝にはまるか・・・、
駐在所のお巡りさんは、飲酒運転ではまだ動かない。だって、飲酒運転で島人捕まったら、小浜の男性みんな・・・。
飲酒運転を抜きにして、島人同士は警察沙汰は起こさないから、お巡りさんはヒマわりさん!と呼ばれて。
kさん、ウチが酒に誘っても来ないと知ってるから、最後の夜も居酒屋に誘うよりも真夜中フラフラドライブに!
だから、先に酔いつぶれる寸前まで飲んできて登場(~o~)
「お前の顔がぼやけて見えね〜ぞ〜。でも、白線は見えるから大丈夫〜ぅ。道の真ん中の白線通れば事故らない!」
(^_^;)
ノロノロと台風で壊れかけている車で真っ暗闇の中、小浜を迷走・・・。
kさんとは初めて小浜にきた去年から、お世話になっている。出会った時も、島の中を歩いていたウチに声をかけて、同じボロボロ車で民宿まで送ってくれた。
kさんは、遊び好きだけど人の見る目は物凄い。すべて、見抜かれているような気がするくらい。遊び好きのkさんのことをよく思わない島人は多いけど、ウチは良いと思う。
毎回、kさんからはデレデレに酔いながらも良いことを言ってくれる。
『今回、おまえが小浜で勉強したことは人を見る目だな。色々な人と会って、小浜の裏も見えただろ。』
『良い所も悪い所も見えたよ』
『おまえがこれから直していくのは、頑固な性格だからマイナスになれることだな。相手と話しても、おまえみたいな頑固なプラス同士が話しても弾けちゃうよ。だから、おまえはマイナスになることも覚えて、ハイハイと聞き流すこともしな!どうせ、3日経てば忘れるんだから、そっちのほうが人間関係が今以上につながっていくよ。』
ウチの性格や長所短所も知っているkさんは、最後にこれだけ言ってくれた。
島人から今まで色々教わってきたけど、最後にビーチャー(酔っ払い)のkさんから言われた一言一言がウチにガツンときました。
今回の小浜生活は観察や調査でも体験でもなく、普段の小浜島をウチと小浜の人たちと当たり前の日常を送りました。
ウチを受け入れてくれた小浜の人たちには心から感謝の気持ちで一杯です。
三拝云。
最後にウチの連載を見てくださった方々にありがとう。
9月6日から、絵描き屋に転職。
色々あり今まで働いていた民宿のスタッフを辞めて、残りの滞在期間を、頼まれていた絵描きに没頭することにした。
小さい島の小浜では今、看板やイラストを描けるのはウチぐらいしかいない。
それに、島人さん達も大金出してまで業者に看板を頼む余裕はない。だから、ウチが小浜にいるうちに、島の人がウチに求めている、看板描きやイラストデザインなどの絵描きを精一杯やっていく。これが、最終的に小浜でウチが一人前に認められた仕事。
だが、民宿のスタッフを辞めたら、ボランティアで絵を描くから収入はゼロ、住むところがない、食料は・・・。
どうやって、残り約3週間小浜で生活していくか(+o+)
でも、どうにかなるもんだね。
今まで使わせてもらっていた部屋を、なんとか帰る日まで使わせてくれることに。
寝れる場所さえあれば、お金なくても何とか生きていける。
食べ物はいざとなれば海で貝でもとれば、なんとかなるでしょう(~_~;)
朝から夜の8時まで炎天下の中、ひたすら壁に向き合って島人の要望にそって、絵、絵、絵。ついでに商品のラベルまで描くことに。
赤ちゃんから100歳近くまで老若男女、皆に絵描きの姉ねぇと言われ、ウチの絵を時には珍しそうに、でも笑顔で見て行ってくれる。
だが、70代以上の高齢にいくとだんだん、ウチの発想とずっと小浜で暮らしてきたおばぁ、おじぃの中の当り前の考えにぶつかり、「変な生き物!キャハハハ!」「蛙が踊っているのか?」「変な絵!」
と、ストレートに描いているそばから言ってくる。おじぃやおばぁの評価は厳しい。
正直、ウチ(ToT)/エッ・・・。こんな気持ちに何度もなったさ〜。一度だけ、完成していた作品を一部のおじぃやおばぁには不評だったから描き直したら、前の絵を気に入っていた他の島人さん達がおじぃやおばぁに文句タラタラ・・・。ウチの絵で・・・(^_^;)
でも、結局はそういう風に言ってくるおじぃやおばぁも島の中で会うと、
「今日はどこに描きにいくさ〜?あそこで描いた絵、上等さ〜!」
と皆、それぞれお世辞でもなく正直にウチに言ってくれるから嬉しい。「上等!」これ、最高の褒め言葉。
小浜人同士は、お世辞交じりの事は言わない。だから、よくもめ事も愚痴の言い合いもあるが、そんな小浜島でウチにもお世辞なしにウチに評価してくれるようになった島人。
最後の3週間はスタッフで民宿の中で働いていたのではなく、一人のウチとして小浜島の中で助けられながら生活して、島人から色んなこと教わり、怒られ、可愛がられた。転職して最終的には悔いなしのウチ(V)o¥o(V)
9月24日のウチ 次回ラストね。
初めて福田研究室としての投稿になります。(今までの考古の記事は、すべて北野研究室からの投稿です…)やっとログインできるようになったので、他に負けず、どんどん記事を書いていこうと思っています。
この間採集した木の実、トチとドングリは水から引き上げて乾燥させている状態です。振ったときにカラカラと音がするくらいまで完全に乾燥させます。このような状態にしてしまえば、数年は持たせることができるそうです。クルミはまだ水の中…
下の写真は福田研究室の一角です。自分のコレクションの一部を置かさせていただいてます。初投稿の記念に載せちゃいます。私のオトモダチです(^^)オトモダチは日に日に増えていきます。あるときは道端、あるときは食べカスの中から、またあるときはお店で…。出会いって、とっても運命的なものだと思います。大学生活の中で、あとどれくらい出会いがあるでしょうか(笑)
by W・T
お盆が終わった翌日から、8反の広い畑にキビ植えが始まった(ーー゛)
民宿も8月が一番お客が多い時期で、忙しい・・・。
スタッフ達は、民宿が忙しい時期に農作業素人のウチらスタッフがキビ植えもしないといけないとなると、それなりに覚悟しなければ!
ウチは、2月に小浜に来た時にキビ刈り作業はしたが、キビ植えは、全くどうやるのか手順も知らなかった(?_?)。
サトウキビは一応寒い1〜3月に収穫して、真夏の8、9月に植え付けをする、難儀な作物。
とりあえず、予定では8月末までの2週間で苗切りから、植え付けまで終わらせることに。
民宿のスタッフは一から道具の使い方から植え付けるまでの手順を島人達に教わり手伝ってもらいながら、作業が始まった。
1 種にする上等に伸びたキビを、斧で倒す!
(これ、男の仕事(-。-)y-゜゜゜)
2 倒したキビの皮をきれいに剥ぎ取る!!
(これ、女が中心(*^^)v 手伝いに来てくれた皮剥き名人 のおばぁは76歳の知念おばぁ。「早いっ、強いっ、元 気っ、負けていられないっす・・・(@_@;)」)
3 皮がとれたキビを二節(約20〜30?)の長さに苗切 りする。
(これ、男も女も。
専用の苗切り機で一本一本ジョキンジョキン(V)o¥o(V)
すべて手作業で土のう袋約140袋ぶんの苗が、畑8反 ぶんに植え付けるのに必要(+o+) ふ〜ぅ)
4 切った苗を土のう袋にギュウギュウに詰めて、ビニール シートでミニプールを造り、袋に詰め苗を一晩水に浸け る!!!これ重要。
(水に浸かった苗袋は重いから男に任すのがいいね。)
とりあえず、苗切り作業はこんな感じ(^.^)
そして、水に浸けたキビ苗からどんどんブルトラで植え付けていく。
この植え付けが、また難儀なのよ〜!
まず、民宿にはブルトラもないっ!運転できる人もいない!
だから、手伝ってくれる島人さんを頼まないと!
優しい島人さん、製糖工場の稲福さんが仕事が終わった後の18時から日没までブルトラを動かしてくれました。
稲福さん、有り難く出勤まえの早朝6時から8時までもブルトラを動かしてくれて、尊敬します
そして、この時はウチもかなり重要ポイント!
壊れそうなブルトラなので、後ろにしがみ付いて苗を落としていけるのは、身軽なウチが適任(゜o゜)だった。
崩れ落ちそうなブルトラの後ろに乗り、キビ苗と臭〜い農薬のイカチンをのせて、揺れに振り落とされずに苗を一直線に落としていく。
ウチがキビ苗を落とした後ろには、肥料を入れる島人のせいこう兄にぃ、土をかぶせる人のスタッフのチカシ、踏み固める人のスタッフのノリちゃん、その周りでサポートの島人松原兄にぃが続き、まるでブルトラを先頭に畑の中を往復行進…。
スタッフ皆、最後は自分の役割をマスター。
ウチもブルトラの上での作業は、島人さんからも太鼓判をもらい、うれしいさ〜ヽ(^。^)ノ
島人さんの協力のおかげで、なんとか予定通りキビ植え終了。
民宿も満室御礼でしたが、皆クタクタになりながらも乗り切れた(^_^;)
ウチは朝から晩までほぼ畑にいたから土、汗まみれの姿で民宿に戻ると、宿泊客は一目見て、「アンタ、誰?」みたいに不思議そうに見ていた・・・ね。
8月後半は、ウチは農家さんになれました。
9月1日のウチ
石垣研究会があって学生たちと大阪に行ってきました。午前は汗ばむ陽気の中、大手門から桜門、本丸天守台、青屋口、京橋口と、石垣を見ながら大坂城を半周。事前勉強会の成果もあり、石垣を見る目は肥えたようです。
午後から大阪歴史博物館で開かれた石垣研究会に参加しました。天下普請(天下を取った大名が自身の居城など要所の城を、諸国諸大名に分担施工させること)体制や各地の城石垣の技術変遷について、文献史と考古学の研究者がそれぞれ発表しました。聞いていた学生たちにも、コメントを求められる場面がありました。
2日目午前は、天守閣博物館の収蔵庫で、秀吉が石取りの定めを記した「築城掟書」や石垣施工分担図にあたる「普請丁場割図」、石曳図屏風など、数々の貴重な史料を閲覧しました。本物の迫力に目を白黒。こんな経験はめったにできません。館長さんありがとうございました。それから企画展「徳川大坂城」を見学。さらに城外に出て、館長から大坂城下町の変遷についてレクチャーを受け、最後に豊臣大坂城の石垣を見学しました。これは発掘調査で検出されたもので、慶長3年頃の築造と推定されています。ビルの下から移築復元されました。現在ある徳川大坂城は元和6年(1620)から3期9年かけて作られたもので、豊臣から徳川初期(1590〜1620年代)への石垣技術の変遷や大名相互の技術差がよくわかります。
午後は「真田幸村」組と「万博記念公園」組にわかれ目的地(前者は真田の旧跡や四天王寺、後者は国立民族学博物館)を見学、夜伊丹で合流しました。
今回の城ツアーのメンバーは2年生。これまでのツアーとは異色の顔ぶれとなったのは「真田幸村」好きの学生があつまったからです。最近は戦国武将好きの女子大生が増えているとか。TVでやってました。
この日は真田幸村が大坂城に入った記念日だそうで、この連休、天守閣前では大阪城・上田城友好城郭提携イベントが展開されていたのでした。ユキムラTシャツ買ったの?