京都「桃山陵墓地」は豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸南斜面に、大正2年に明治天皇陵、大正4年に皇太后陵が築かれた場所です。近くには平安時代の桓武天皇のお墓もあります。
文禄元年、秀吉は関白の座を秀次に譲り、隠居城として京都伏見に城を作り始めました。文禄の役のため肥前名護屋にいたときです。この時の指月伏見城は文禄末年に地震で倒壊し、引き続き慶長元年〜2年、背後の木幡山(こはたやま)に築いたのがこの城です。翌年に亡くなるまで秀吉はここを拠点としました。
その後、関ケ原を勝利した徳川家康が慶長6年から入り、再建を進めましたが、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡すると、その役割を終え、元和6年に伏見城は破却・解体されたのです。この年はちょうど徳川大坂城の築造がはじまった年で、解体された伏見城の石垣石は大坂城にも持っていかれたと考えられています。
伏見城下町周辺の発掘ではこのような文献史料を裏付ける証拠が少しずつ見えてきています。石垣は解体されてほとんど残っていませんが、発掘された石垣石からどこまで分かるのでしょうか。秀吉期のものか、徳川期のものか。
全国城跡等石垣整備調査研究会(文化庁・開催自治体主催)が愛媛県松山市で開かれました。毎年1月に開催され、姫路、肥前名護屋(佐賀)、仙台、金沢、熊本と続き、今年が6回目。「石垣解体の諸問題−石垣手引書の作成に向けて」がテーマとなりました。四国各地の事例報告のあと、北垣聰一郎氏ほか4名のパネリストと、私がコーディネーターとなり、パネルディスカッションを行いました。来年は甲府、テーマは石垣修復の諸問題にうつっていきます。再来年は・・・(某市に内定)。この手の研究会は、飲み会の場で次の開催地が決まるのです。ぽんぽんと後ろから肩を叩かれると要注意!
この研究会は石垣整備に関する行政課題について議論する場としてスタートしましたが、近年は市民の関心が高く、年々参加者が増えています。今回は石工さんたちの集まりである「文化財石垣保存技術協議会」の研修会も兼ね、また、2日目には「城のあるまちのこれから」と題する活用をテーマにしたシンポジウムも行われました。
午後からは松山城の現地見学。解体修理工事現場や城全体の石垣めぐりをおこない、最後はなぜか坂の上の雲ミュージアムの見学というコース。いま松山は「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作・松山が舞台)でもりあがっています。漱石や子規を輩出した文豪のまちを売りにしているのと、秋から豪華キャストによる同名のドラマ(NHK)が始まるからです。明治の国づくりに燃える若者の生き方や軍事国家に突入していく激動の時代を描いたドラマのようです。
きょうは全国的に寒い一日だったようですが、松山でも夕方に雪が舞いました。13:00から始まった石垣めぐり、小雪が舞うなか、16:30ごろにやっとミュージアムにたどり着く。展示を見ながら冷えきった体を温めました。
明日も朝から一日石垣ツアーです。あきもせず・・・・。
どうも、「外出するときはビニール袋を常備している」W・Tです。久しぶりの更新です。
「キジはどうなったの?」という声をあちこちからいただいているので、現状をお伝えします。
実は、まだ頭骨しか処理していません。
骨格標本を作る時に肉を溶かす酵素を使うのですが、ある程度温度が高くないと酵素がうまく働かないんです。夏のときと比べ、制作にかかる時間・手間は共に倍になってしまいます。なので、頭だけで妥協してしまいました。
少し温かくなったら作業を進めていきたいと思っています。
ちなみに、写真は今回のキジです。
2つのワッカは「強膜骨」という、まあ簡単に言うと目の骨になります。
右の変な形をしたモノは「舌骨」です。そのまんま、舌の骨です。私の不注意で、左側の破損した部分を無くしてしまいました…
そのうち「骨格標本の作り方」や「毛皮のなめし方」などをアップして、皆さんにこの世界の素晴らしさを紹介できたら良いなぁと考えています。
…え、しなくてもいいって?
‥‥(; ;)
by.W・T
このたび、以下の内容でアルバイトを募集しています。
希望者・興味のある人はご連絡ください。
【内 容】
東北ルネサンス肘折温泉プロジェクトにかかる現地調査補助、
具体的には、旅館・民宿にのこる骨董や文書等の写真撮影・目録作成を実施。
規定の日当支給。交通費・宿泊費不要。
【日 程】
2009年2月8日(日)〜12日(木)
8日15時出発。夜の研究会に参加。
作業は9日から12日までの4日間
【人 数】
本学1、2年生 4名程度
【申込み・〆切】
東北文化研究センター 岸本誠司
1/20(火)18時までに以下アドレスに連絡をください。
seiji-k@aga.tuad.ac.jp
6日18:30、ウボン空港を発ち、ドンムアン空港へ。スワンナプーム空港へ移動し、23:50タイ航空で成田に向かった。
ウボン空港で出発を待っていると夕方6時、いきなりテレビ画面が切り替わり国歌が流れた。全員直立不動で国王を讃えるのだ。タイの風物詩として噂には聞いていたが、はじめてその場面に立ち会った。
帰りのスーツケースの中身は中小型土器が満載。衣類は土器の中につめた。さらに中型土器2個をバックパックに入れ背中に。大型土器は手荷物にしようと持ち込んだが、かさが大きいのと重量オーバーで機内持ち込みNGダメ!割れ物のシールをこれでもかとたくさん張ってもらい、祈るような気持ちで預けた。真新しい叩き板2枚をバックパックにはさんで手荷物検査場に入ると、デンジャラス!とこれも預けさせられる始末。梱包した大きな荷物がなんだと聞かれて、モー・(ウ)ナム(水壺)だというと、「おまえなんでそんなもん持っているんだ」と笑ってくれた。しかし、バンコクの空港のお姉さんは「モーナムって何?」って。すでに都会の若い人には分からないらしい・・・。
預けた大きな土器は祈りが通じたのか、成田まで持ちこたえてくれた。東京で土器の中からトレーナーを出し、それを着て山形に凱旋した。
わたしの2週間にわたるタイ・ラオスの旅が終わった。自分の撮った写真を見返してみた。土器作りの技術や村の生活を教えてもらいながら、いちばん目と心を動かされたのは人と動物、人と植物との緊密な関係だったか・・・・。(人と人との関係も。老人と子供、介護、家族のこと)ノスタルジックな思いがあったことは否定しないが、やっぱり都市生活者が失ってしまったものは大きい。
来年度、学生たちともう一度訪ねてみたいと思った。
プロジェクトリーダーのK先生、スタッフ、現地で協力してくれた村長さんはじめポターのみなさん、ほんとうにありがとうございました。まだ調査を続けている皆さん、もう1週間頑張ってください。
叩き板を作る男性は村に3人いる。
一般的なマイティ(溝付きはマイティ・ライ)は20B、肩部の文様を彫りこんだコライは30B。ほかにマイ・ラップという棒状の内面叩き具がある。新旧二人の職人にマイティ・ライを作ってもらった。
サマンさんは大工。電動工具を駆使して短時間で作る。オンさんは25歳から作っており、この道50年のベテラン。どのポターがどの文様のコライを使っているか知っている。鋸と鉈を器用に操るハンドメイド。多くのポターはオンさんの板を使っている。
サマンさんの奥さんはプアックさん。15年前、レファーツ・コート夫妻、楢崎彰一さんが調査した報告に写真入りで紹介されポターだ。彼女の作るファー(蓋)をみてびっくり!蓋の天井部は土器でもっとも目立つ場所。ここにポターが文様を描き、これをみると誰の土器かわかるという。お母さんから引き継いでいる人がいるかと思えば、自分で2〜3のバリエーションを持っている人もいる。ところがプアックさんは一つとして同じものがない。毎回考えながら描くのだという。自由度の高い社会ではこんなことが起きる。未来の考古学者は混乱するだろうか。
今日は食文化調査の日。ブンソンさん家で食事会となった。
だんなさんが庭を走っているトリを一羽つぶしてくれた。さばき方が手際いい。鶏肉をつかったラープ、ソムタム、貝料理、魚料理などをみんなで作った。
ラープもソムタムもイサーンの代表的な料理で、これを手に握ったもち米と一緒に食べる。味付けはチリ、塩、ナンプラー、小魚を漬けたプラー、炒ったもち米粉。そして、いまやタイ料理には欠かせない「味の素」。そんなに入れなくてもというぐらい入れる。日本人は皆、なぜ?と首をかしげる。
昼食が終わると、家の人がみんなの手首に白とピンクの木綿糸のミサンガを巻いてくれた。今年一年健康でいられますように、また会えますように、との願いを込めて。
クリスマスにバックアップしていた以外のデータが吹っ飛んだTHE MOVIEです笑
THE MOVIEをご存知の方は少ないと思います。
ネットで歴産の学科紹介のところに、歴産の学科PVらしいものが載っているので見てくれいじー
THE MOVIEが立ち上がって長い月日が経ちました…
T口先生のもと、S野先輩、S山、そしてAこの少人数でちまちま映像を学んでおります。
先ほど言った歴産紹介のPVの長編verを作成中!!!
まったくパソコンと相性が悪いようです…
今日は年末年始にAこが撮ってきた
市場、もちつき、雪景色の画像の取り込みと、少しだけ荒削りをしました。
家に帰ってノートにカットの書き出しです…
明日もこの調子で荒削りを進めていきます!!!
二月のウサギ狩りまで現場の撮影はないので、それまでそれ以外の作業終了を目指します!!!
ほんじゃ、こんな感じで
朝5:20ホテルを出発。今日もポターの一日に密着だ。
村に着き、早速Uさん家にお邪魔する。お母さんは踏み臼でチュアの粉砕をしていた。今日はモーヌンを12個作るという。
お父さんは牛に糠汁を飲ませて田んぼに連れて行くところ。
Uさんは粘土円柱後の台上たたきを3個同時に行う。効率的だ。この村ではみな口縁部を作り出すとき、トン・ケ(ゲェ)の木の葉を重ねて使う。3〜6枚まで、人それぞれである。台上成形が終わると1時間ほど乾燥させ、底部閉塞・胴部成形叩きの工程に移る。
家の前ではおとうさんがおもむろに木の梢めがけて銃を打った。銃身がやたら長い鳥打ち用の銃らしい。今は鳥が少ないので、田んぼでねずみを打ったり、池で魚をうったりもするそうだ。丁寧に手入れをしていた(写真)。
土器作りの作業は順調に進み、午後に。記録していると周りに村の男たちが三々五々集まってきた。おばあちゃんもいる。あっという間に40人ほどになり、何かと思ったら、国民的スポーツ・ムエタイ(キックボクシング)のテレビ観戦だ。ただの観戦ではない、50B、100Bのお金をかけている。持ち回りで当番となった家が会場を提供する。今日は8試合。土日は牛を田んぼにほっぽらかして、みながテレビの前で熱くなる日だ。お札を手に握りしめて、絶叫するおばあちゃんの声がすごい。ポターの身体動作を撮影したビデオには、その熱狂ぶりがBGMとして入っている。3時30分、中継が終わると男たちは何事もなかったようにさっさと家路についた。ちなみにここのだんなは負けたそうな・・・・。
今日も濃い一日だった。