2年の武士ことSKです。
こちらからは小玉川班の様子をお伝えします。
詳しいことはM君が書いてくれてるのでね。
ウサギ狩参加者のうち数人が別班として、6日から、同じ小国町の小玉川という集落に移動しました。目的はもちろんウサギ狩りです。こちらの集落では一般に開かれた「マタギ体験」イベントの一環として、毎年ウサギ狩りを実施しています。我々もこれに参加する形で狩りを体験しました。
狩り前日、6日。マタギ衆の方によると、今回は鉄砲に一人付いて行っても良いとの事。
「鉄砲に付いて行けそうなのは…お前しかおらんなぁ」
先生の一言と諸々の事情により、私が鉄砲に付いて行くことに。いきなり大役です。しかも狩り当日、本番前になって、なんと使ったことないビデオカメラまで渡されました。
「音だけ取れてれば良いから」だそうで…
私はマタギの親方に付いて行くことになり、他の人に先駆けて移動。かんじきを履いて、巻き場を迂回するように斜面を登って行きます。どうせあまり獲れないから、ということで比較的ゆっくり進んでもらったのですが、それでもペースは速く、かなり薄着だったにも関わらず、目的地に到着するまでには汗をびっしょりかいてしまいました。
ここから親方は銃を取り出し、私はカメラの電源を入れ、ただひたすら沈黙して待ちます。どのくらい待ったかわからなくなったくらいに、下から勢子の声が聞こえはじめ、狩りが始まりました。
狩りがひと段落した頃には野生のカモシカが現れたりして、見れてラッキーでした。親方は最初こそ調子が出なかったものの、狩り半ばに一気に複数を仕留める活躍ぶり。
今回獲れたウサギは、参加人数の割には極端に少ないですが、みんな満足そうでした。勢子として参加した、他の学生の皆さんの活躍は、「頑張ってた」とか「かわいそうだった」との事。結構大変だったようで…皆さんお疲れ様でした。
夜は参加者とマタギ衆の方々で懇親会。地域の料理やウサギ鍋も出て、地域の話を聞いたり世間話をしたり、大変盛り上がってまいりました。
なお、ビデオは先生になぜかベタ褒められ、親方にも気に入っていただき、現在編集中です。
大変遅くなりましたが、2009年度のウサギ狩りのお話です。
私たちは、2月2日から9日まで、田口研究室にて山形県西置賜郡小国町五味沢地区と小玉川地区で地区の公民館を使わせて頂き、そこで自炊をしながら、ウサギ狩りと里山のネイチャリングを行いました。
今日は、五味沢でのことを紹介したいと思います。
まず猟期についてです。基本的に狩猟期間は、2月15日までの間狩猟ができる期間となっています。
今回は、五味沢班では、3日の日に第一回のウサギ巻狩りを行いました。場所は、五味沢地区の里山です。
最初にウサギ巻狩りとは??
ウサギ巻狩りとは、勢子(ウサギを追う人)と鉄砲とに分かれて行い、勢子が掛声(ホーイ、ホイといった言葉)を出してウサギを鉄砲の方へ追いたてて、鉄砲が打つという形式の猟のことを言います。
また巻形は、袋状にして行きます。つまり動き方として端の勢子は、早めに行きはじめ、中側にいる勢子は、端の勢子より遅く出発します。そしてお互いに声を聞き、袋状の形が崩れないように進んでいきます。
そうしてうまく駆り立てることができれば、ウサギを仕留めることができます。
非常に体力と神経を使います。
そして今回のウサギ狩りでは、2か所の猟場を回りました。
いずれも杉の植林地帯です。そしてウサギは、運よく獲ることができました。
2度目の巻狩りで面白い現象が起きました。
それは、私たちが猟場の配置場所に着くと、すぐに1匹のウサギが逃げて行きました。そしてウサギを追いはじめて中盤に差し掛かったころまた一匹のウサギが逃げ出しました。そして一番奥にいたウサギが取られました。
この現象は、生態学で言われている現象で、3匹いる中で1匹が獲れるというものです。まさしく今回その現象が起きました。おそらく最初に逃げたウサギは、私たちが配置についた時点で異変に気が付き逃げたのでしょう。そして中盤にいたウサギは、掛け声が聞こえて異変を感じ逃げていたのでしょう。そして最後に残ったウサギが最後の最後で異変に感じ、逃げたのですが、逃げるタイミングが遅く獲られたという感じです。
ここで見てとれるのが、猟場にいるウサギをすべて獲るのではないということです。すべてウサギを取ってしまえば、山の資源が無くなってしまい、ウサギはいなくなってしまいます。そして巻狩りを行うことで、異変に気がついたウサギは山に戻り生き残ります。異変に気がつくのが遅かった少数派のウサギが獲られます。つまり、獲得数を調整し、持続的な狩猟を行うことができる役割をもった狩猟法なのです。
私たちは、この狩猟法を体を使い体験し、山で生活の仕方についても学ぶというのが、ウサギ狩り体験の目的でもあるのです。
そして山から帰るとウサギ汁の準備です。解体をし終わったウサギを醤油と味噌で笹切りにした大根と一緒に煮ると出来上がりです。
山の神様から頂いたウサギなので、残さず食べ切りました。
次回は、里山のネイチャリングについて紹介します!
北海道研修旅行つづきです。
18日(水曜)
車で上ノ国まで移動。主に倭人の暮らしを学んできました。「円空仏」や、鰊漁で栄えた「旧笹浪家住宅母屋」、解体修理中の「上国寺」、「勝山館跡」などを見学しました。中でも勝山館跡はアイヌと倭人の関係を表す、貴重な資料を見ることが出来ました。野外展示も、吹雪に負けず頑張って見てきました。
19日(木曜)
昼間は函館市内の博物館をまわり、夜は教育委員会の方と懇親会です。いやあ、楽しかった!もっとお話したかったです…。お店のアイスがあまりに美味しかったため、路面電車に乗り遅れてしまいました。ここで今回得た豆知識。「アイスに粉チーズかけて食べるとウマイ!」
20日(金曜)
午前中は五稜郭見学です。雪が降っていて寒いのと、「上から見ないと五稜郭の形が分からん」という理由であまりじっくり見学しませんでした。雪の無い時にまた来たいと思います。
そしてフェリーに乗って青森へ。波の高さは6m!とにかく揺れました。酔わないための一番の方法は、もう寝るしかないです。しかし、ここも雑魚寝状態なので、ほとんど眠れませんでした。何度も寝顔を撮られても全く起きないという、スゴイ方もいらっしゃいましたけど。
夕方に青森のホテルに到着しました。ご飯を食べたら即おやすみなさい。
21日(土曜)
朝に青森を出発し、あとはひたすら山形へ南下するだけです。だんだんと温かくなっていくのを肌で感じることができました。15:00過ぎに芸工大に到着。先生、吹雪中での長時間の運転本当にお疲れ様でした!
ほんと楽しかったです。
たくさん見て回ったと感じる反面、まだまだ見たりないという気持ちもあります。アイヌと倭人の関係というものは、少しの勉強で理解できるものではないと、改めて思いました。もっと北海道にいたかったです。
友人「いっそのこと、北海道に移住しちゃえば?」
私 「それは老後の楽しみ!」
by.W・T
どうも、極上霜降り肉よりも脳みその方が好きなW・Tです。だっておいしいんだもん。
実は2月13〜21日の間、福田先生と学生9人の10人で北海道に行ってまいりました。北海道のアイヌ文化を学ぶための研修旅行、つまり授業の一環です。日程は以下の通り。
13日(金曜)
芸工大を13:00出発、車で青森まで移動し、22:00八戸発のフェリーに乗りました。そのままフェリー内に宿泊です。敷布も無い部屋で雑魚寝でした。
14日(土曜)
朝、苫小牧港着。バレンタインなんて全く関係ありません。車で札幌を目指しながら、平取町立アイヌ文化博物館や萱野茂資料館を見学しました。平取はアイヌにまつわる資料が豊富に残っている町です。
夕方、札幌に到着。ホテルに荷物を預けたら、もう自由時間!私は札幌市内を徘徊…いえ、歩いて買い物をしました。他の学生はどんな楽しみ方をしたのでしょう?
15日(日曜)
昨日まで天気良かったのに…雪+風=吹雪です。そんな中で、「北海道開拓記念館」と「開拓の村」を見学しました。レトロな建物がイイ感じです。
そして「白い恋人パーク」。ここで北海道定番のお菓子を購入、クリオネも見てきました。この日の夜は吹雪で外出できませんでしたが、女性陣はここで買ったケーキのおかげで至福の時間を過ごすことが出来ました。
16日(月曜)
地下道を利用しながら、徒歩で札幌市内を回りました。北海道旧道庁、時計台、北海道大学を見学。時計台は日本三大がっかり名所として…ゴホゴホ、札幌の観光としてとても有名ですね。
北海道大学の博物館、月曜日は休館なのですが、特別に入場させていただきました。本当にありがとうございました!
夜、たくさん歩いて疲れたところでぐっすり眠れると思いきや、ある事件が発生。このせいで女性陣は全員寝不足になりました…
(事件の詳細については、本人のプライバシーもあるので自主規制させていただきます☆)
17日(火曜)
この日は1日中移動です。すごい吹雪かと思いきやいきなり青空になったりと、見ていて面白いです。頑張ってずっと起きていた甲斐があった…
函館滞在中に泊まる施設は、規則は少し厳しいですがとても綺麗な建物で満足です。今夜は昨日の分までぐっすり。
つづく
by W・T
チュートリ・どきどき野焼きの年度末旅行、今年は茨城方面に行ってきました。目的地は焼き物の里・笠間です。まずひたちなか市の虎塚古墳・十五郎横穴を見学、それから瓦塚窯跡の発掘現場へ。宿泊は夜景と星空がきれいな愛宕山のスカイロッジ。
2日目は笠間市内へ。稲田石の石切り場、笠間城、茨城県立陶芸美術館、笠間焼の小路、最後に水戸偕楽園をみて山形に帰ってきました。偕楽園の梅もなかなか見事でしたが、岩間の街道筋にある家々の庭先の梅も風情があってよかってです。里はもうすっかり春でした。
夜、山形に着くとそこは雪国。一晩で20センチほど積もったそうな・・・・。
稲田石は茨城県笠間市稲田に産出する花崗岩。香川県の庵治石(あじいし)や岡山県の万成石(まんなりいし)などとならんで国産みかげ石の代表選手です。白っぽいのが特徴で各種用途に人気があります。採掘は近代に入ってから、みかげ石の本場、小豆島から職人が移り住んではじまったそうです。平地から採掘でき、埋蔵量も多く、大消費地を控えているという有利な面があります。
日本の石材市場は、いま価格の安い中国産など外国産が席巻しています。墓石の展示場へいくと歴然とした価格差に驚かされます。外国産といえば、かつては原材料のみの輸入でしたが、近年は灯篭などのような精彩な加工の必要なものまでが現地で行われ、製品として入ってきています。
稲田石歴史資料館(石の百年館)には採掘の歴史や工程の解説があり、近代化以前の道具が収集展示されています。ここは行政ではなく、株式会社タカタという一企業が管理運営しているところがみそです。鉄矢(くさび)や玄翁、ノミを使って人力で石を切り出し加工していた時代から、ジェットバーナーや黒色火薬、重機を使って大規模に採掘する現代までの流れを年表とモノ、図書資料で展示しています。
車を止め、資料館のとなりにある会社の事務所に入ると、こわもてのおじさんがひとり。「すみません、見学したいんですけど・・・・」というと、「どっからきた?」「山形からです。大学生なんですが・・・・」「そうかい、・・・お金いらないよ。みてって」
無人の資料館に置いてあるおみあげを買いたくて、事務所にかのオジサンを訪ねた学生はその外見に明らかにビビッていた。でも入館料一人300円をまけてくれたことを告げると、「オジサンはとってもいい人だ」と。そう、人は見かけで判断してはいけない。職人にはそんな人が多いのです。
少し離れたところに中野組石材工業という会社があります。ここでは会社の裏にある採掘場を公開しており、見学場所にはオブジェがならぶ公園があります。ここでは稲田石材商工業協同組合が主体となって毎年「いなだストーンエキシビジョン」というデザイン展が開催されています。
これまで古代から現代まで、たくさんの「石切場」をみてきました。あらためて思うのは、石切場遺跡の「芸術性」です。人が自然−石を利用するために闘ってきた痕跡。歴史の積み重ね、「時間」が凝縮された採掘場。それ自体が人類の現在や未来を考えさせるオブジェのような存在といえます。
石切丁場に魅かれる理由が少しずつ分かってきたような気がします。
卒業生が発掘している瓦窯の現場を見学してきました。遺跡は石岡市瓦塚窯跡といい、常陸国分寺や国分尼寺に屋瓦を供給した場所です。5カ年で範囲確認調査と整備が行われる計画だそうです。
磁気探査等で10基以上(20基ぐらいありそう?)の窯の存在が推定されています。いずれも地下式で保存状態が極めてよいのが特徴です。過去に発掘された小型の瓦窯2基は天井が遺存しており、覆い屋がかけられ地元保存会の手で大事に管理されています。里山景観の保持も含め、地域に愛されて遺跡が保存されているいい事例です。
平場にあったトレンチの断面には瓦が山積みに捨てられている様子がみられ、まさに「瓦塚」でした。削平された法面には窯を輪切りにした断面が露出。壁面の粘土貼りや被熱状態がよく観察できます。
今年も恒例の卒論・修論発表会が行われました。例年は30〜35名を2日間に分けていましたが今年は1日でやってしまうという異例の措置。朝9時から始め、終わったのは夜8時半というロングラン。1月半ばの論文提出後も、レジメ原稿、展示ポスター、プレゼン用のパワポ作りと息抜くひまがなかったかもしれません。しかし、論文は熱く熱く書きとめたあと、一定の冷却期間をおいて再構成したり、ぜい肉をそぎ落とす作業がはいるともっと良くなります。ポスターを見たり、プレゼンを聞くと、提出後の1か月、大事に温めていた学生と、放り出してしまった学生の差がはっきりわかります。
ともあれ、4年生はこれで「大学」という大切な時間と場を卒業していくことになります。就活と卒論、ともに人生を豊かにいきていくための試練です。まじめに取り組んだ学生には明るい未来があることを信じています。
翌日、卒業・修了生の労をねぎらう学科の追いコンが開かれました。発表会とあわせ会のお世話をしてくれた3年生ご苦労様でした。来年はあなたたちが主役です。
1月31日に、毎年恒例となりました歴史遺産学科シンポジウムを開催しました。
去年に引き続き、メインテーマは「就職すること」です。
学科を卒業して社会で活躍中の先輩5名に、大学で学んだことや社会に出てから活かされたこと、考えたこと、就職活動への臨み方などを語っていただきました。
講師の先輩方のお仕事は、中学校の先生・博物館展示模型制作・NPO法人学芸員・雑誌編集者・不動産営業など様々。
働くということの厳しさについて、かなりリアルな実体験を交えつつのお話もありました。
しかしそれ以上に、仕事への熱意にあふれた先輩方の言葉は、しっかりと学生たちの心に響いたのではないでしょうか。
終了後、学生のみなさんに書いてもらったアンケートを一部紹介します。
「講師の方の話の中で、特に心に響いたことはどんな事ですか?」
・社会人はプロ意識を持ち、結果を出さなければならない
・大学生活の中で、自分にとって何が幸せかで楽しいかを探すこと
・自分を好きにならなければならない
・目標がないと前に進むのは難しい
・これをやりたい、という一念を持つ
・情報はアンテナをしっかり張って手に入れる
・あきらめない。というか社会に出たら、あきらめられない
・決断のタイミングと覚悟が大事
・お金を稼ぐのは大変だ
・自分の好きな仕事に就いていても、辛いことは必ずある
・歴史遺産学科にいたことを誇りに思って仕事をしている
などなど
感じ方は人それぞれだと思いますが、講演を聞いて心に残ったものを大切に就職活動に臨んでほしいと思います。
今まさに、3年生は就職活動真っ最中。
エントリーシートや履歴書の締切を気にしながらの参加だった人も多いようでした。
社会の一員として活躍する先輩方の姿は、みなさんの未来の姿でもあります。
がんばりましょう!