歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2009-06-27

丹波篠山城


篠山城は、家康が豊臣大坂城と西国大名へのおさえとして、慶長14年(1609)に天下普請で築かせた城です。総奉行池田輝政(姫路城)、縄張り藤堂高虎(津城)。西国21大名が参加して石垣が築かれました。

篠山城の石垣は刻印が豊富です。これは慶長・元和・寛永期の天下普請では珍しいことはありません。ところが普通は普請丁場ごとに各大名らの特定刻印がまとまるのに、ここではそれがあまりみられません。普請現場の体制が一般的な天下普請とは違っていた可能性があります。この工事に公儀穴太が参加したことと関係があるのかもしれません。

午後は山に入り石切丁場を歩きました。採石遺構や石切工程がよくわかる残石があちこちに。しかし、ノミ調整のある残石や刻印石がみつからない。。。集落のある山里には刻印石がいっぱい散乱し、それものに多種の刻印がある。このあたりも特殊な石切・集積・石引の事情があったのかもしれません。

なにせ3か月程度の突貫工事で石垣が築かれ、現場は大混乱であったという記録もあるそうな。

復元された二ノ丸の大書院はガイダンス機能を果たしており、広間では障子を利用して昭和42年の修復工事のスライドショーをやっていました。篠山城は現在も堀の石垣修復が行われています。修復工事で伝統技術を継承していくことと、オリジナルの石垣をできるだけ後世に残すことの大切さ、この2つのベクトルをどう調整していくか。わたしたちの大きな課題です。

篠山には武家や商家群など重要伝統的建造物群保存地区があり、城下町の風情を残す町並みがあります。イメージキャラクターの「まるいの」クンはなかなか愛らしい。でもやっぱりぼたん鍋。今は季節でないので、代わりにししどんぶりを食べました。




2009-06-26

世界遺産 二条城を(ひたすら)歩く


ゼミの学生たちと世界遺産−二条城(古都京都の文化財)の石垣調査に来ました。正式には元離宮二条城。国宝の二の丸御殿は修学旅行等で一度は訪れたことがあるのではないでしょうか。

二条城は慶長8年(1603)、徳川家康が上洛の際の居所として築いたもので、その後、寛永3年(1626)に家光が現在の城の原型を作りました。二の丸御殿は15代将軍慶喜が大政奉還をした場所として有名です。

二条城の石垣は、2度とも「天下普請」で、尾張や紀伊など親藩・譜代大名が工事を担当しました。

本丸は寛永度の石垣が基礎となっていますが、今回の調査では天守台をはじめ、寛文期(1660年ごろ)の修理が大規模に行われていることがわかりました。

管理事務所で打ち合わせをし、二の丸御殿の裏庭(普段は立ち入り禁止区域。御殿の裏側を見れてちょっと得をしたような気持ちに・・・)を通って本丸天守台から内堀へと石垣を見ていきました。
17:00からは外に出て外堀際の石垣を見学。外周をジョギングするランナーに不審がられながらも1周しました。
今日の最高気温は35度とか。。。西日のなかをへとへとでした。それから更に堀川通添いにある、慶長期の石垣へ。終わったのは19:00を過ぎたころでした。






2009-06-23

流されてフライアイランド。


先週の土日に飛島に行きました。

そうです。山形県酒田沖にあるアレです。

なにしにいったのかというと、今年9月にうちのゼミは飛島で発掘をするとかしないとか。いや、します。

それの事前調査というやつですね。難しい言葉で言うと、踏査というものにあたるのでしょうか。

さて、島では遺跡の分布とその周辺を歩き回り、地表に落ちている石器の破片やら土器のかけらやらを拾ってきました。

やっぱりあれでしたね。今も昔も人間は水がなくては生活できないようで、沢の近くでは多くモノが拾えました。

瑪瑙(メノウ)っていう白くて半透明の石でつくった石器の破片が目立ちました。飛島はこの「瑪瑙」という石の産地だったようで、島民に話を聞いたところ、昔は海岸で瑪瑙がたくさん拾えたそうです。最近は業者が瑪瑙を拾いつくしてしまい、あんまり見られないそうです。

残念。

実際に海岸も少し歩き回ってみましたが、やっぱり瑪瑙はほとんど見つけることができませんでした。

一口に石器といってもいろんな石でつくられているようで、なかなか興味をそそります。今後は石についても少し勉強してみようかなと思います。

あと、夕飯最高でした。

おいしかったです。

ごちそうさまです。

今回の調査の結果、今年の発掘予定地も無事決まりました。すんごい竹やぶでした。草刈が大変そうですorz

青い海、白い雲、ウミネコたち。

泳ぎたかったです。

いや、まだ早いですね。

しかし、気分はもう夏ですね。


2009-06-14

住宅地で野焼きをしながら・・・


仙台市地底の森ミュージアムのボランティアの人たちと土器の野焼きをしてきました。
博物館の周りはマンションが立ち並び、近年は気軽に火を焚くこともままならないそうです。
参加者は火を自在に操った原始・古代の人々に想いを馳せながら、その技を体験的に学びとって行こうとする熱心な方々でした。覆い型は資源を無駄にしない、省エネ野焼きだとの感想。

日常のなかでかつて火を使う経験(焚き火など)をした世代ほど、自然と深く関わりながら生きた経験のある人ほど、そんな生活の喪失に敏感です。

もはや遊びでも、家庭でも火を使わない子供たちは、これから火をどうとらえていくのか。私たちとはかなり異質な火のイメージがこれから創造されていくのでしょうか。
見学に来た子供たちとボランティア(おじいちゃん・おばあちゃん世代)の会話を聞きながらそんなことを考えました。

2009-06-12

時が止まった石切り丁場−西沢・沢福等・羽山−


高畠町には近代にたくさんの凝灰岩丁場が開発されました。今、生きているのは瓜割山のみ。

周辺には時間の止まった丁場がいくつも点在している。

西沢のようなつい昨日まで仕事をしていたような人の気配がする丁場がある一方で、品質最高といわれた沢福等(さんぶくら)丁場は、廃絶して久しくすでに深い森にかえっていた。上部にある切石丁場のまわりには鍛冶小屋の石積み基礎が点在し、活気があった往時の姿をしのばせる。上部が朽ちて跡形もない小屋跡ではあるが、やや隅に寄って作業台とみられる大きな石がおかれており、わずかに職人の息遣いを感じさせてくれる。ここでは間知石も集約的に生産されていたようだ。沢伝いには石引道があり、石下ろしの痕跡がくっきりついた敷石が所々残っている。
西沢丁場では末期に発電機を導入し、溝切りに機械を用い、石材を岩盤から剥ぎ取る「すくい」には伝統的な「鉄矢」を打ち込む方式で行っていた。新技術導入のひとつのあり方として興味深い。
羽山では丁場末期の機械掘りの道具が残されていた。
近世から大規模に採掘していた大笹生では、石切場周辺に立派な石垣がのこっている。
これら近代化を支えた産業遺産は、町並みの石造物や人々の記憶に痕跡を残しつつも、いまひっそりと眠りにつこうとしている。

縄文時代草創期以来利用されてきた洞窟遺跡、飛鳥時代の横穴式石室群集墳、中世・近世の石造物や石鳥居、「たかはた」の歴史や景観を形作ってきた自然資源がこの凝灰岩である。また現代のブドウ生産もこの凝灰岩の風化土壌に支えられているという。

たかはたに通い出して8年。須恵器窯の調査の時には人と「木」の関わりについて勉強させてもらった。今度は「石」をキーワードにして、地域や、人の、過去・現在・未来をつなげてみたい・・・・、そんな気がする。






2009-06-07

高さ30mの断崖


 6月6日、建築整備応用演習の授業で、北垣聰一郎先生(城郭史、土木技術史)をお迎えしました。今各地で盛んに行われているお城の復元や整備、石工の伝統技術の継承に関するお話しを聞きました。

 7日には講義を聴いた学生も参加して山形市内の石鳥居の石切り場と、高畠町の石切り場を見学に行きました。北垣先生のほか、全国各地から石工技術の研究者たちが集まりました。

 高畠では石工さんから伝統の技を身振り手振りで教えてもらい、溝切りの体験もさせてもらいました。数年前までは複数の石工さんがいて、その採掘場や鍛冶小屋、石引き道がそのまま残されています。伝統技術が伝えてきた価値を再発見し、それらが凝縮された場や道具,知恵などをどうやって現代に継承・再生していくかが課題です。このような視点から先月、千葉県富津市で房州石シンポジウムが開かれ、4年生の高柳くんが参加してきました。

 学生をたびたびこの場所につれてくるのは、石工さんの語りに耳を向け、現場の空気を感じながらこの問題を考えてくれることを望むからです。歴史遺産を研究する者は自らが対象とする資料において少なからず同じ問題を抱えているのではないでしょうか。



今日は、このほか山形市蔵王成沢の空清水の石切り場、昭和初期に瓜割山丁場の凝灰岩で建てられた山交「旧高畠駅」の駅舎、明治期のアーチ橋「幸橋」等を見学しました。

2009-06-03

雨天決行できず…


どうも、「Wさんの冷凍庫の中はどうなってるの?」とよく聞かれるW・Tです。失礼な!骨とか皮とか死体とか入ってる以外は普通の冷凍庫です!(そこがおかしいと指摘されます。)

5月31日はオープンキャンパスでした。
歴史遺産学科の企画は「石器と土器で調理体験!縄文土器で鹿鍋を食べよう」ということでしたが…当日はあいにくの雨。土器での調理は外でしか出来ないので中止です。
学科紹介や学生の体験談は室内なので大丈夫でしたけど…
これはシカたないですね。

シカし、歴史遺産の演習室を開放して、そこでシカのビーフシチューを配ることに。このシチューの中には田口先生からいただいたエゾシカの肉を入れました。
先生、お肉の提供毎度ありがとうございます。

さて、今回は「シカ鍋」ではなく、ちょっとオシャレに「シカシチュー」です。
そんなに人は来ないだろうと想定していたのですが…結構好評で、あっというまに鍋が空になってしまいました。
もっとり予定を立てておくべきでした。

そして、黒曜石作った石器で肉を切る実験。
何人かに、実際に黒曜石の切れ味を実感していただきました。
言葉では説明できません、体験した人にしか分からないこの感動。
金属器とは全く違う切れ味です。

芸工大では、8月にもオープンキャンパスがあります。
歴史遺産学科は他の学科と比べて地味な感じがしますが、毎度皆さんに楽しんでいただけるように工夫を凝らしています。
少しでも受験の参考にしたいただけたら幸いです。

では、8月もよろしくお願いします!

by.W・T

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