10月17・18日の両日、本学で日本考古学協会2009年度山形大会が開催されました。全国から2日間で延べ880名の考古学関係者が集まりました。この大きな学会に歴史遺産学科の卒業生・学生40名が運営スタッフとして加わりました。全員がスーツを着用し、学内外で統一感あるきびきびした働きをしました。いい経験になったことと思います。
学会側の会長・理事をはじめ、実行委員会の役員からは学生たちの活躍とホスピタリティーに称賛の声があがりました。お世辞抜きです。
考古ゼミの学生にとってはちょっと大がかりな現説(発掘現場での現地説明会のこと)のノリだったかもしれません。そういう意味では慣れていたのかも。
大会は山形考古学会を中心に実行委員会を組織し、1年余りをかけて準備してきたものです。参加者は天気にも恵まれ、学術的な成果だけでなく、紅葉と食と酒の山形を堪能して帰りました。
手弁当で駆けつけてくれた22名の卒業生たち。遠くは兵庫、埼玉、群馬、石川、新潟から、そして東北各地からかけつけてくれました。母校のために応援してくれた彼ら、彼女らに対してあらためて感謝の意を表します。ほんとうにありがとう!
9月25日。出発を明日に迎えて、今日はなんだかコーランがしんみりと聞こえます。本日は訪れてみたかったチャイナタウンとお土産を買いにショッピングモールへ行きます。
裏路地に入り、曲がりくねった先にジャカルタらしくない建物が突如現れました。宗教や派閥に関して少し厳格なインドネシアなので、チャイナタウンのような宗教施設とは隔離されたような場所にあると思いこんでいたので驚きました…
街中に普通に紛れ込んでる感覚だなぁ…
訪れたチャイナタウンに約1万人住んでおり、周辺では一番大規模のものです。お寺自体は小さいのですが、周囲が住宅街となっています。お寺に入る道に足を踏み入れると、そこにはインドネシア人顔の人もいれば、中国、日本人にも見える人が地べたに座って井戸端会議をしています。久しぶりに見るモンゴロイドはなんだか新鮮に感じられました。自分がモンゴロイドなのに…
寺院内に入ると、広い空間が広がり、片側にはお堂が連なっています。奥へ進むと一番大きなお堂が現れ、その前には線香を立てる場所がありました。誰でも目にしたことがあるでしょう。細長い線香の束を持って祈りを捧げる姿。以前中国を訪問したことがありますが、このような光景を目にすることがそれほどなかったので新鮮に感じられました。
日本は「万華教」と言われるほど、文化が重層化しています。クリスマスにはツリーを飾り、正月はおせちを食べ、新年には宮参りをします。自分が何宗かもわからない人が増えてきました。外国では、無宗教と言うと驚かれます。これはこれで日本の文化なのでしょうが、信仰の場を訪れると信仰というものがなんなのかということに触れた気がします。本当に神を信じている人達の感覚は自分にはわかりません。多分いるんだろうな、という感覚でしかないですから。しかし、神や目に見えない何かを本当に信じている人達が見えている世界と、自分が見ている世界は確実に違うものだとわかります。
9月24日。植物園を後にした自分は、友達になった人の実家を訪れることに。話に聞くには、ボゴールの郊外にある山間部で周りは山に囲まれているそうです。ボゴールの駅周辺からミニバスを利用し、その実家周辺まで移動。その後は実家までモーターサイクル(バイク)を利用しました。
舗装されていない小道を抜けた小高い丘の上に小さな人だかりを発見。友達の家族が自分を出迎えてくれました。話に聞いたとおり、四方は山に囲まれ、その谷間に集落が少し大きい散村とバナナ、芋、稲のアグロフォレストリーがあります。アグロフォレストリーとは、作物が整理されずに混合されて植えられている状態です。簡単に言うと、作物がごちゃ混ぜ状態です。
家の敷地内に入ると、家と離れの周りにたくさんの植物が植えられています。マンゴー、チリなど、食卓にあげられる代表的な食べ物が中心でした。離れに上がるように進められ、上がってみると、何かぶら下がっているじゃないですか!!!
天井からヒモが下がりそこに布で赤ちゃんが入っているようです。誰もいないところに放置されているようだったので、少し驚きました。休んでいると妹さんがお菓子を持ってきてくれました。
ば、バナナですよね…??
バナナだけじゃなくどんどんお菓子が出てくるじゃないですか!!!夕飯をごちそうしてくれるそうなので、ペースを考えて食べないとこれは危ないかもしれない…そう思いながら、友達と妹さんと話を弾ませていると、どこからともなく子供達が群がってきました。やはり日本人というか外国人は珍しいようです。近づいてくるのに基本みんなシャイなようで、話しかけると隠れてしまいます。残念ながら自分は英語にたどたどしいインドネシア語で会話している状態なので、英語教育されていない子供達とは交流がほとんど成り立ちません…一人の男の子が英語を話せるようでしたので、日本のアニメや学校のこと、将来なりたいものなど話してくれました。
辺りが暗くなり始めた頃、妹さんが夕ご飯を作ってくれました。何が食べたいか聞かれ、この地域の日常食べられているものを知りたかったので、とても楽しみです。テーブルに着くと、そこには多くのお皿が置かれていました。野菜のスープ、見た目がビーフシチューな木の実の煮物、お魚のフライ、テンペイです。ご飯を盛ったお皿にそれぞれのおかずを好きなだけ盛って右手で食べます。自分は慣れていなかったので、スプーンで食べることに…スープも同じお皿に盛っているので、べちゃべちゃして食べにくいはずなのにみんなキレイに食べます。驚きを通り越して感心するほどです…
ゴロゴロゴロッ…
ん??雨が降るんじゃない??5回くらい聞いた頃でしょうか、いきなりの夕立…雨の音は弱まるところを知らず激しくなる一方。
まるでスコールみたい… これはもしやッスコールというものではッ!!!
しかし訪れた頃はまだ乾季。一応聞いてみると、スコールでした。四方が山に囲まれているので、ここ一体はスコールは日常的なそうです。日常よくある事なので誰も雨宿りしません。子供は裸足でサッカー、おじさんは裸で一服…これにも感心しました。しかし、スコールも負けじと元気になってくるとさすがに避難。自分たちもそろそろジャカルタに帰ることにしました。
来た時と同じようにみんなに握手をして別れを告げます。友達に妹さんの子供にお礼のお金を渡すように言われました。自分の感覚では、日本ではこのような時、一番目上の人を優先する傾向があります。インドネシアでは一番小さい子供に渡すのが一般的。ここで自分が儒教の影響の元で生活していることを認識しました。そして、自分に一番のシャイな男の子が握手する時に、握った自分の手をおでこに当てました。
頭は精霊が宿ってるから触っちゃいけないんじゃッ汗
自分から触らせるとは何が起きたーーーーッ
触ったのは額でしたが、いきなりのことだったので驚いて固まってしまいました。男の子はニコッと笑ってまた隠れて恥ずかしがってます。どうしたらいいんでしょう…??
後ほど聞いたら、それはリスペクトしている相手にする行為だそうです。だいたい14、15歳くらいまでがするそうです。一番恥ずかしがっていた子がしてくれたので、とても嬉しく、恥ずかしい気持ちになりました。
帰りはスコールで景色が見えないほど暗くなっていました。残念ながら高台から見える集落をもう一度見ることはできませんでしたが、ジャカルタに着くまでずっとその風景や家族の顔がぼんやりと頭の中を巡っていました…
今回はジャカルターボゴール間で乗った電車について書かせていただきます。
まず、券売機はなくすべて駅員と窓越しに行われます。人の群れは順番に並ぶという概念がないようで、隙があれば割り込みするのが通常。必死にくぐり抜けた先にホームが…と、思ったら何やら検問が行われている様子。テロが最近起きていましたし、何を聞かれるのか不安を抱いて恐る恐る近づくと…ただの改札でした。どうやら改札も全て人の手で行っているようです。改札を抜けたらそこはだだっ広いホーム!!!椅子に座りきれない人達が集団で固まったり、地べたに座ったりと電車を待っていました。
電車を待つ間、周囲をきょろきょろ見ているとふと気になることが数点。物売りがカートや手に持てる状態で商品を持ち歩いています。そして、電車はなんだか見覚えのある形…
日本のお古!!!
「水天宮前行き」「急停車することがございますので手すりにお掴まりください」「冷房」など、ちらほら日本語が見えるじゃありませんか…これは自分の地元のローカル電車と同クラス。違うのは外装の派手な色遣いのみ。出発する電車を見ているとドアが閉まっていません!!!飛び降り、飛び乗り自由状態。よく考えるとジャカルタには横断歩道や踏切というものを見た記憶がありません。線路内を横切る人々が姿が当たり前です。
ヤギがいる…
突如目の前に現れたその動物はもしゃもしゃ口を動かして、少し移動しては食べ、食べては移動を繰り返しています。駅内に投げられたゴミをあさりに集まってくるそうです。ようやく電車が到着と思いきや、友達がいきなり手を引っ張って走り出しました。視線の先にはもちろん乗る電車。
止まってもいない電車に自分ごとジャンプ!!!
えーッ??何が起きたの??鈍行の電車は乗客する人が多いので、電車が止まってからでは席が取れないらしく、事前に乗ってしまうのが後々楽です。帰りの電車を待つ間、電車から電車へと飛び乗るのが自分のブームでした…
出発すると、先ほどの物売りさんが登場。商品が手持ちの訳は電車の中でも移動できるようにでした。物売りさん以外にも、ギターを持って歌いにくる人やゴミを掃く視覚障害者の人もいます。小銭を稼ぐためですが、お金をあげる人は見ませんでした。
帰りは夜遅くだったのでエクスプレスに乗りました。行きの鈍行とは違い、ほとんど貸し切り状態です。エクスプレスは冷房がついており、スコールの後だったのもあって乗客した人は寒そうでした。女の人はバテックを体に巻いて椅子の上に正座し、男の人は服を身体に巻いて椅子で寝ていました。スコールで中に入った雨は、トイレで使用するとんぼのような水捌け道具を使って外に出します。
今回、駅でゴミをあさるヤギや掃除してお金をもらう人を見て、ゴミを捨てるという行為は日本では悪いことであるが、それをすることで生きていける人達がいることを知りました。どちらが良いかは自分にはわかりません。難しい問題だと思います。日本で育った自分、現地で暮らす人間の価値観も全く異なります。これは海外だからということではなく、私たちの日常にも置き換えれる問題だと思います。もう少し自分の生活、環境について考え直すきっかけになりました。
9月24日。今日は昨日友達になった人の実家があるボゴールを訪れることにしました。一日で往復するには少し厳しい面もありますが、実家の山間部と植物園も見てみたかったので強行手段で行ってまいりました。
ジャカルタ北部にある大きな駅に向かい、ボゴール行きのチケットを購入。電車が到着し、早速出発。気分はもう「世界の車窓から」!!!電車が加速するにつれ、どんどん景色が変わっていきます。建物が低くなり、建物すら見あたらなくなって周りはもうジャングルほどではありませんが熱帯林だらけ。ボゴールに到着する前あたりから再び建物やビルが見え始めてきました。降りてみるとそこは以外と大都会!!!想像していたのとは全く違います。
なんでウサギが足下にいんのッ!!!
屋台が並ぶ間におもちゃやペットを売る人達が地面に商品を並べていただけでした。ジャカルタにはこのような物売りが居なかったので少し驚きました。植物園に向かう途中、突如目の前に木の根がぶら下がっていて、頭上を見るとなんと電柱に熱帯の大きな木が絡まって大変なことになっているじゃないですか!!!人々はよける仕草もなく、当たっても気にしない様子です…
訪れた植物園は、インドネシアでも大規模のもので約100?あります。中に入るにつれて人だかりが増えていきます。
ここって植物園だよね??なんでピクニックの人がいるんだろう…
ピクニックのようにシートを敷いてご飯を食べる人達。ボールや水路で遊ぶ子供達。板状根の隙間に寄り添うカップル。しかも、建物の近くでライヴをしている人もいるじゃないですか!!!友達に聞いたところ、「ホリデイだからジャカルタから週末を楽しみに来ているだよ」とのことです。植物園という堅いイメージとはほど遠い環境でした。植物園内には、熱帯林がゆとりのある感覚で植林されています。孟宗竹が我がもの面で鬱蒼と生えていたり、いきなり大木が玉切りされた状態で放置されていたりと日本の植物園ではあまりない光景を見ることができました。
電車も植物園も日本の感覚とは大違い。このような植物園なら誰でも気軽に森林や植物というものを楽しめるのに、と思いました。日本は管理や保護という観点が一番にきがちですが、それではひとびとからものが遠ざかっていきます。まずは皆が触れることができ、学べる環境にするのが大事なのではないでしょうか…
9月23日、昼。今日もジャカルタは暑いです。モーターサイクルのドライバーと待ち合わせの公園に来ました。こんなに広い公園なのに一部にしか人が密集していません。何でなんだろう??
あぁ。現地の人でも暑いのね…
緯度が異なると太陽の降り注ぎ方も異なる訳です。みんな日差しを避けるために日陰に避難しています。屋台すらも日陰に店を構える始末。体験したことない人は想像がつかないと思いますが、これほど日差しを浴びて人間が溶けないのが不思議に思える位の太陽光です。
ドライバーとの待ち合わせ時間。来ません…写真を撮って時間をつぶすことに。それでも一向に現れないので不安になってきました。しかし、この広い公園を約束場所にしてしまったけれども見つけられるのか??と、思ってたところにドライバー登場。いきなり肩を掴まれて人攫いだと勘違いしてしまいました。午後は午前中上った博物館という名の展望台から見えた船着き場を見に行くことにしました。
船でかッ!!!
日本の漁村にある船が見慣れている自分にとって、これが漁業に使う大きさの船とは思えない規格でした。それが海岸にずら〜っと並ぶものですから、圧倒されたの一言に尽きます。船は三日かけてボルネオに行って商売をして帰ってくるそうです。話を伺った片言英語を話すお兄さんはなんとクルーザーでした。仲良くなったついでに船に乗せてもらうことに。船には10人が寝泊まりできる環境が備えてありました。丁度休みの時期だったので、他のクルーザー達は船内でお昼寝中…暑さに負けているのか、ただのんびりしれるのかわからない程まったりしていました。その後は、先ほどのお兄さんに色んな所を案内してもらえることになりました。地図もない、情報もない、言語も通じない自分にとっては、片言でも英語を話せる人が友達になってガイドしてくれることが本当に幸運です!!!
その後はスラム街の中を歩き、魚市場を見て、その友達のアパートの中を見せてもらい、スーパーマーケットで大量のビールを購入しました。スラム街は想像していたのとは全く異なり、路地裏のような雰囲気でした。スラム街の中にしっかりした建物があり、なんとそれは小学校でした!!!自分の中にあるスラム街は、治安の悪い危険な場所というイメージだったのですがガラッと変えられました。魚市場は朝以外の時間は数店しか開いていません。店先に釣れた魚を板の上にただ置いている状態です。氷を下に敷くなど鮮度を気にする光景はありませんでした。スーパーマーケットはアメリカのミニチュア版だなっと思いました。やはりチリソースが大量に並んでいます。ビールは特に冷やして売るという環境がないのか、常温で管理されていました。ホテルに帰って速効冷蔵庫にビールを入れました。
9月23日。今日は計画的に博物館周りをします。しかしマップが手元にありません。この旅の目的は自分を非常事態に陥らせることにあります。一回目に書いたとおり、手元にあるのは急遽購入したるるぶのインドネシア語だけです。ホテルのフロントに観光マップをもらいましたが、地図の縮尺が大きすぎて詳細がわからない状況…そんな地図を片手に一番近場の博物館が密集している地域に向かいました。ドライバーに「着いたよ」と言われ、降りてみるとそこには縦に細長い建物がそびえ立っていました。中に入ってひたすら階段を上ること、四階。
博物館じゃねぇ。展望台じゃん…
馬鹿と煙は高いところが好きとはこの事。四階建てから見る町の景色に感動して博物館ではないことに不満を抱きませんでした。遠くに見える船着き場、高層ビル、眼下に広がる住宅街、魚市場、スラム街。綺麗な区域とスラムの差が一見してわかります。道路はいつもの如くカーレース状態。自分があの中を移動していたのかと思うと、どれほど危険だったのか再認識できました。子供連れの親子が後から上ってきて、子供たちが外に出られる小さな小さなテラスで遊んでいるのを見て、自分も外に出てみることにしました。四方すべてが空に包まれている気分です。開放感を感じつつ、次の博物館に向かいます。二つ目の博物館は舟の展示、漁業、植民地時代のことが中心でした。入ってすぐに驚いたのは展示の仕方です。
順路がわからない…窓全開で展示物がぼろぼろだぁ…
英語が話せるが書けない読めない自分は、展示の文章に目を通すものの展示物とわかる単語で想像を膨らませることに一生懸命でした。博物館の中でなんと日本人女性に出会いました。何回もインドネシアに訪問しているそうで、インドネシア語もぺらぺらです。近くの大きな公園までご一緒させていただきました。話の中で、自分の旅がノープランで情報も持っていないことを知ったその人は、「若い子が旅に出るのは大賛成だけれど、危険すぎるよ!!もっと情報を持って行動しなさい!!」と激怒。なんだか申し訳ない気持ちと、危険な体験するために来てるんじゃんというふてくされた気持ちがこみ上げてきました。確かに、ある程度の情報を持たずに行動することは一歩間違えると命の危険になる。しかし、本当に最小限の知識を持って冒険の旅をするという経験も大切なんじゃないかと思いました。
テロも頻繁におきていて、日本人は金のカモと考えるような国での一人旅行の危険性を改めて感じました。
9月22日。9時にホテルを出発し、カーレースのような中をモーターサイクルですり抜け、無事にショッピングモールに到着しました。現在9時30分前。店が開くには少し早すぎたと思い、ショッピングモールの前を散策しようかなと考えていると、普通に人が建物に入って行くじゃないですか。こんなに早くに開店しているなら中に入ってしまおう!!!お姉さんが地下に下って建物に入っていくので、それに習って着いて行くことに。
シャッターひとつも開いてねぇッ!!!
どうした、どうした??この建物全部が模様替え中か??しかしお客さんが数人椅子に座って開店を待っているということは、もう少しで開店すると判断していいのでは…それから二時間半、ようやく全てが開店しました…10時頃になると1フロアで2、3店舗が開店しますが、それ以外はまるでシャッター商店街。そんなこともおかまいなくお客さん達は買い物を始めます。それが当たり前のように、店が閉まっていても文句は言いません。
後々聞いた話ですと、インドネシアではこの頃は丁度お盆。みんな実家に戻り、店があまり開かないそうです。タイミングが悪すぎたみたいです…
ショッピングモールは建物に寄って中の雰囲気が全然異なります。初めて行ったショッピングモールは内装がきれいでゆとりがある配置になっていました。親が買い物している間に子供を預けて遊ばせる場所も2フロアにひとつ位あり、現代的思考だなって感じました。二つ目に行ったショッピングモールは人の群れしか見えません。水族館で見た回遊魚が群れて同一方向に動いている光景を思い出さしました。店の配置も入り組んでおり、サンダルや鞄など売り物がざっくばらんに並んでいました。人も店も無秩序状態です。
靴で歩くことが暑すぎるのでサンダルと服を買ってそのまま帰宅。帰りはタクシーで帰り、ホテルに無事到着しました。荷物を置いて夕飯を屋台で食べてホテル周辺を散策しました。ホテル周辺は少しお金持ちの人達の住宅街ですが、屋台も少々あり散歩や自転車で遊ぶ子供たちがたくさんいました。ヤシの実の並木通りや屋台から声をかけてくる人達の笑顔が新鮮かつ心地よかったです。
遅ればせながら、青森県尻屋での民俗調査(9/10〜13)について1日目のJョンから引き継ぎ、書かせてもらいます。
2日目担当の村です。
2日目は7時半に朝食を食べ、8時半に民宿出発。
港の船小屋を見せてもらえるとのことで車を走らせると、もう少しで海が見える・・・という所で大量の軽トラが渋滞を作っていました。
乗っていたのは地元の方々で、車を降りて話を聞いてみると、その先にゲートがあり、8時40分に開かれるとのこと。
話を聞いているうちにゲートが開き、軽トラは海岸沿いを走って、今度は波打ち際ぎりぎりに10台ほどが駐車の列を作りました。
波打ち際約3mには山のように昆布が打ち寄せられ、地元の人々はそれを数十枚ごとに紐で括って軽トラに乗せていました。
大人数で目の回るようなスピードで昆布をまとめていく様はさすがでした。
そしてそれを1時間ほど見学させていただいた後、本来の目的の船小屋へ。
残念ながらもうほとんど残っておらず、6軒の倉庫しかなかったのですが、そこで森本先生から集落図の書き方について教えていただきました。(ありがとうございました!)
そしてそのあとは尻屋埼へ。
風が強く、端は断崖、隆起の激しい草原のような場所で、秋田出身の私は男鹿の入道崎を思い出しました。
尻屋埼灯台は日本の灯台50選に選ばれてるらしいです。
民宿への帰り道、なんと寒立馬の大群に遭遇!
堂々と車道で休んでいらっしゃいました。
やはり競走馬ではないのでなんとも丸っこい体型で愛らしかったです。
ここで電池切れにより撮影叶わず・・・・。
昼食を食べて午後からはいよいよ集落地図。
歴産は1年2年1人ずつで2人組4グループに分かれ、もう1人の1年は個人での行動に。
4ブロックに分け1グループ約12軒を担当し調査しました。
私の担当ブロックは大通りから山側の方で、畑などはまったく見られず、むしろ昆布を干すスペースがとても広かったです。家かと思ってよく見ると、実は倉庫や昆布干場だったという事も当たり前で、集落地図を取る際はとても苦労しました。
5時半で一端作業を終え、続きは次の日に。
いろんなものを見たり聞いたりした充実した1日でした。
それでは3日目の人にバトンタッチ!
9月22日。昨晩遅くに到着したので、今日は昼頃まで休息を取り、午後から周辺散策でジャカルタに慣れる予定…だった。
午前4時頃。(眠くてよくわからない)自分の安眠がいきなり妨げられた。何か遠くから変な話し声がする…カーテンを開けてもここは7階、外もまだ暗い。隣の部屋からも声は聞こえない…いきなり出たかッ!!!(幽霊の類いが…)窓を開けて新鮮な空気を吸って寝直そうとした時、その話し声が大きくなった。
コーランだったか…
それから毎日コーランが目覚ましになることをまだ予測してませんでした。
二度寝をしてからホテルの朝食を食べに行きました。欧米風だったらつまらないな、と思いながらロビーに到着するとスパイスの良い香りが…晩飯抜きだったせいもあり、香りだけで心躍りながら席に着く事に。しかし、そんなウキウキ気分もつかの間。インドネシア語も話せない自分に気づき、誰かに何か話された時の対処法を考えていなかったのです。朝食はビュッフェスタイルで恐る恐るお皿を取りながら、食べ物を選ぶ事に。しかし、インドネシアではどのように盛りつけるのが当たり前なのかわからないので、キョロキョロ周囲を伺いながらのぎこちないお客さんになってしまいました。
朝食はナスィゴレンを中心に野菜の炒め物、肉じゃがのようなもの、スイカ、ピンクグレープジュースでした。ナスィゴレンは辛いチャーハンに卵が乗ってロコモコ風になったようなものです。一口食べるとスパイスの香りと辛みの中の甘みが口の中に広がって、食欲をそそってくる味です。調子に乗ってガツガツ食べていたらチリの辛さがだんだん強くなってくるので、そこでおかずが登場!!!おかずは辛いものもありますが、自分でチリソースをかけなければむしろ日本料理に近い味が多いです。ナスィゴレンとおかず、スイカを交互に食べてお腹も心も満腹に…部屋に帰ると胃腸が休まるまで動けませんでした。
9時にホテルを出発し、一番近いショッピングモールに行く事にしました。目的は今後着る服を入手すること。服を日本から持って行くと鞄が重たく、現地で買うとかなり安いこともあったので、服を持ってきませんでした。明日着る服ない…そう思いながら急いで買いに行くことに。
ここでまた問題…移動手段を何にするか、ということです。タクシー、モーターサイクル、バイジャイの三択。極貧旅行なので、値段安いモーターサイクルに乗せてもらうことにしました。モーターサイクルと言っても、ただバイクの二人乗りをするだけのこと。「ポリスがいるから一応ヘルメットかぶってくれよ」と言われ、ヘルメットを装着。夜遅くに到着した自分に取って初めて見る日中のジャカルタ…どんな風景が広がっているんだろう…
車とモーターサイクルとバイジャイのせめぎ合いです…
道路は少し広い一車線。その中を我が先にとカーレースを繰り広げる乗り物。モーターサイクルには5人乗ってるのが当たり前。人数制限は乗れるだけということでしょうか??道端には屋台(ワルン)やインドネシアのイメージっぽい建物が建ち並び、たまにHONDAやTOYOTA、パナソニック、日本でよく知られるメーカーの看板がちょくちょく顔を見せます。なんだか不思議な気分にさせられました。