このたび、映画「ひじおりの灯」の監督である渡辺智史さんを招いて、以下の映像の上映会&トークを開催します。
渡辺監督は、芸工大在学中に東北文化研究センターでのフィールドワークを通じて、映画の世界に進みました。
現在、東北文化研究センターの事業で地域活動を行っている学生たちにはぜひ観て、聞いてもらいたいイベントです。
ご参加お待ちしています。
東北文化研究センター 岸本誠司
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民俗映像を撮る!学生が地域を学ぶということ」上映会
渡辺智史監督(平成14年度本学環境デザイン学科卒業生)が本学在学中にかかわった東北文化研究センター制作の「東北文化研究センター民俗映像シリーズ」と、卒業後に監督が制作した映画の上映会を行います。
上映後は、監督自身が地域の人々と関わって映画を制作するなかで得たことや、学んだこと、また、地域の魅力を語ります。なお、今回上映する「民俗映像シリーズ1〜3」は渡辺監督が映画の世界を志す切っ掛けとなったものです。是非、ご来場ください。
◆平成22年1月26日(火)17:30〜20:00 図書館2F 「AVルーム」
◎『牛房野のカノカブ―山形県尾花沢市牛房野の焼畑の一年―』(東北文化研究センター民俗映像シリーズ1 )(※2003年度「地方の時代映像祭」市民・自治体部門優秀賞作品)
◎『関川のしな織-山形県温海町関川の樹川布-』(東北文化研究センター民俗映像シリーズ2 )
◎監督のトーク
◆平成22年1月27日(水)17:30〜20:00 図書館2F 「AVルーム」
◎『五十沢の人々』(東北文化研究センター民俗映像シリーズ3)
◎上映作品『An Die Freude 歓喜を歌う』(制作:飯塚俊男、渡辺智史)
◎監督のトーク
いずれも入場無料。
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会場は山梨県甲府市。
テーマは昨年(愛媛県松山市)が「解体調査・解体工事の諸問題」、今年はこれに続く「修理工事の諸問題」です。行政担当者と石垣技能者、文化財コンサルなど関係者が一緒に議論をしました。
遺構と伝統技術の保存・継承、および安全性を考慮した石垣修理工事とはいかにあるべきか。
文化財保存、土木工学や土木施工それぞれの立場から模索が続きます。
ラオスを去る日が来た。朝8:45、調査を続ける仲間に別れを告げ、ポット満載の車で国境に向かう。ラオス国境には去年はなかった豪華な免税店ができていた。売ってるものはほとんど外国製品。マイルドセブン1カートン13?は安いには安いが。出入国手続きを済ませ、ムクダハーンに入る。コラートから迎えにきてくれたオーさんの妹の車に乗り換える。
ムクダハーンの市場でラオス土産を買い込む。メコンの堤防に立ってもう一度ラオスを眺める。また来たい。
お昼前に出発。そして、コンケーン空港にむかう。はずだったが、諸般の事情から飛行機を捨てて、バンコクまで車で走ることにする。ムクダハーンから10時間ぐらい?だろうか。
午後3:30に2号線に入る。夕方6:00コラートまで来るが何度か渋滞にあう。この先、サラブリ方面でタクシン派の集会があってますます混むという情報が入る。迂回してチョンブリのほうからバンコクを目指す。予想外に時間がかかり、空港に着いたのは夜10:15。車を飛ばして間にあわせてくれたオーさんの妹さんに感謝。朝4時にコラートを出て、ムクダハーンまで迎えに来てくれ、そのままバンコクまで走るという離れ業だった。
スワンナプームの空港は正月明けの休日の夜で大混雑。カウンターでの勝負は2勝1敗。11時40分発の飛行機にぎりぎり間に合う。
いつものことだが、次回からはもうすこし余裕を持とうと思う。翌朝成田についてスーツケースや預け荷物の蓋をあけた。
オー・マイ・ポット!みな長旅の疲れも見せず元気な顔をみせてくれた。
年末からのタイ・ラオスの旅シリーズはこれにて終わります。
兄弟村での技法や器形の違いとその要因を探るため、ブットーンのPさんのモーウナム作りを観察した。
Pさんの第2次、第3次叩きのディン・ドゥは、重量は1,139gと巨大。重くないと膨らまないよ、と。Pさんはスィン・チュムという新しい器種を作っている。これはレストランで使うしゃぶしゃぶ用の調理なべである。2年前から作り始めたという。サワンナケートの店に売るそうだ。蓋付で10,000kip。
北タイで作られているトムヤム・セットとおなじような性質の土器だ。ちかごろ、日本のタイ料理店でもトムヤムクンを注文すると、トムヤムセットに入って出てきて温かいまま食べられる。
北タイでも都市近郊の村ほど、非伝統的器種を生産する傾向がある。両村の生産器種の違いはポター達の社会環境も関係している。
この日は作り始めが遅く、7個のモーウナムと2個のモーケンを作り終えたのは夕方5:30ごろだった。
今日は先日作ったスィン・チュムを22個焼く予定だった。しばらくすると日没で暗くなる。学校から帰ってきた子供たちにお母さんが簡単な指示。子供たちは近くの田んぼに、焼成する土器やわらや燃料の竹をリヤカーで運ぶ。段取りをする。Pさんは土器作りが終わると田んぼにいってすぐ野焼きの準備。素早い連携であっという間にセットして点火となった。何と無駄のない動きか。野焼きの記録に追われながらも、あっけにとられてしまった。
夕方、ひとりで夕日を眺め、2週間を振り返る。田で草を食べる水牛、水を汲む子供たち・・・・ここでは見慣れたそんな風景のなかに自分の生活を重ねてみる。考えさせられることは少なくない。平穏な生活の中に割り込んできた異邦人を温かく迎えてくれた村の人たちに感謝しつつお礼を言って別れる。協力してくれた土器作り民族誌をしっかっり書くことがせめてものお礼だ。
さて、学生たちに何を伝えられるのだろうか。 夜、アシスタントの一人の誕生日(サプライズ)と私たちのさよならパーティが開かれた。ゲストハウス裏の人造池に張り出したデッキを貸し切り、風船等で飾り付け、ローソクをいっぱい立て、ムードのある音楽を流す。夜空は満天の星。最後は足首に風船をつけ、全員が走り回って風船を割りあうというゲーム。童心に帰って汗をかいた。顔にケーキのクリームが塗られたまま、夜11時頃から荷物のパッキングを始める。部屋にある土器の山をどうやって日本に持ち帰るか。深夜まで格闘が続いた。タイやラオスの別の村ではモーナムは普通4kg程度であるが、ここでは肉厚に作るため5〜6kgと重い。モーケンもかなり重い。預け荷物と機内持込み荷物をどう仕分けるか。空港カウンターのおねえさんとの攻防戦に備え、入念な作戦(オーバーウェイト対策)を立てる。
夜から朝方珍しく雨が降った。この日はアジア規模で寒かったらしい。先のブログで書いた水没事件があった日である。
朝方には雨が上がり村に向かう。気温が30℃ないのか、ずいぶん涼しい。今日は土器作りやってるだろうかと不安に思いながら、まずブットーンにいった。ここでしばし田植えを見学する。親戚一同総出の作業だ(雇用もあるのかもしれない)。列になって植えていくが、「枠」のような基準線は何もない。苗の挿し方が日本と違って面白い。
村に戻って歩くとやはり今日はほとんど作っていない。朝から作り始めた人も今日は乾かないから、叩きは明日やるよ。こんな調子なので、道具の実測を集中的にやることにした。Tさんちではディン・ドゥ作りを見せてもらった。粘土塊からパァーという山刀一本で叩き・ナデ・磨きをして作る。こちらはお母さんも娘も一家総出でディン・ドゥ作り大会となった。一人暮らしの甥も来た。かれは歌がうまく、いつも一人お寺の境内で美声を響かせる。人呼んでシンガー。
1月は村にある二つの池で、年1回の魚捕り大会がある。村長が日をきめ、朝から家族みんなで池にはいる。ただし、二人で両端をもつ刺し網は1軒に1個、投網は3軒で1個と決まっていて、各自は丸いタモ網でとる。乱獲を防いで資源保護することも考えられている。
イサーンからラオスでは乾季の田んぼで穴の中にいる蟹を取る。女性や子供の仕事である。しかしこの辺では田んぼをあるいても誰も取っていないし、掘った形跡もない。塩が強く蟹がいないのかと思って聞いてみたら、カニは取るよ、と。町で売るそうだ。でも穴は掘らないね。えっ!どうやって?「夜取るんだよ」頭にライトをつけて、歩いている蟹を手でつかまえるそうだ。「だって昼間は暑いし、掘るのは疲れるよ」蟹取りはここでは男の仕事。雨季のカエル捕りは女の仕事だ。もちろん手づかみ。田のねずみや森の小動物、鳥などはパチンコでとる。これは男の子。取ったネズミを直火で焼いていた。猟銃は所持できない。コオロギは掘り棒で掘ってとる。所変われば取り方も違う。
今朝、急きょ数名が車でタイに戻った。一人は病院、一人は通訳、一人は滞在期間延長のため、一人は望郷??。
日本人はノービザでラオスに15日間滞在できる。これを延長するためにはビザを申請しなくても、一旦国境を越えて、すぐ戻ればいいので簡単だ。おまけに国境は日本が援助して作った橋のせいで、日本人の入国は無料である(ただし、土日はタイ側で休日手数料として10Bとられる。30円たらずだが、せこい!)。
というわけで、今日はラオス人ドライバーの車で4人で村に入った。ラオスは旧宗主国がフランス。車は左ハンドルで右側通行。タイは逆。タイはほとんどが日本(系)車だが、ラオスは韓国車が主流だ。車だけ見ていると東アジア。ドライバーは悪路になれており、いつも村まで1時間のドライブが、今日は50分でついた。
村に着くとRさんちで子供たちが集まって土器つくり遊び?をしている。楽しそうだ。時折こんな光景をみかける。チャイルドポターたちはいつも親のそばで土器作りを見、遊びのなかで自然と技を習得していく。10歳未満の少女たちが、私たちにはできない叩きを駆使した土器作りをいとも簡単にやり遂げるわけはこのへんにある。
土器作りは、副村長さんの奥さんTさんを終日観察をした。Tさんの二人の子供は風邪をひいてこめかみに熱さましを張っている。村ではちがごろ風邪をひいた子供をよく見かける。季節の変わり目か。
道具の実測をしながら、ふと横を見ると寝そべって携帯をいじる娘がいる。この村で最初に携帯を持ったのは村長さんだった。2004年からだという。その後、若者を中心に普及していまでは80台ある(村長が台数を知っているというのも不思議)。電気がひかれるとほぼ同時ということになる。テレビや冷蔵庫や車よりも、携帯電話の普及が早い。これが人の本質(コミニュケーションや情報の獲得)かと思ってしまう。携帯で生活が急変しなけれがいいのにと・・・独り言。
今日はほとんどのポターがOFF。村で結婚式があるからだ。暮れから数えただけでもう3件目になる。
そこで兄弟村のブットーンに行くことにした。歩くと30分の距離。だが車でも30分かかる。理解しにくいかもしれないが事実である。
1年ぶりの村長さんに挨拶をし、案内していただきながら村の中を歩く。村は今年、米の値段が上がったことで半分の家が乾季作(2期作)をはじめたという。周囲に水が豊富な環境を生かし、灌漑は池からのポンプアップだ。ちょうど田おこしと田植えの真っ最中。どこの家も農作業が忙しく、15人いるポターのうち、やっているのはPさん一人。ほかの2人は月末あたりからつくるよ、と。村が隣同士でこんなにも違うのか。この村は昨年紹介したように塩が特産品。また、村長さんやBさんたち3軒が分業システムを取り入れたタオと呼ばれるコンロ作りをやっている。出来高制で従業員を雇用。二つの産業が「ODOP(One district one product)」に指定されている。タイのOTOP(大分県の一村一品運動に端を発する地域特産品指定による産業振興策)に習ったものらしい。いずれにしても二つの村の社会環境の違いは大きい。それと土器作り技術との関係を考えるのが課題・・・・
お昼は村から4kmの距離にある粘土採掘場に行くことにした。Soui Lakeという大きな湖のそばにあり、1年に1回、水の無い2〜3月に掘る。各家はクボタ5〜10台分掘って1年分とする。コンロ用の粘土は村の近くから掘り、1年でクボタ100台分も使うそうだ。ちなみに型作りのコンロも籾殻で野焼きする。
お昼は粘土採掘場に近いLakesideレストランで食べることにした。絶景のなか、もち米とジャンボタニシを腹いっぱい食べる。盛りが半端でない。 午後は、村に戻り土器作りをみたり、ポターの夫たちから行商の話を聞く。
Bさんファクトリーで懐かしの再会。夕方、ブッドン村まで歩くといったら、田んぼの中をずっとついて村境まで案内してくれた。道がないので人の歩いた跡をたどる。
途中、水汲みの女の子達にあう。2kmの道のりを飲み水確保のために通うそうだ。
田んぼを最短距離でつっきると、村の人が言うとおり30分でついた。村が近づくと森の中にまっすくな道があらわれた。カントリーロード・・・・・ 塩づくりは田仕事が終ってから本格化する。土器の行商に行く時に塩も一緒に売り歩く。Fさんは車も持っているが、塩はさびるのでクボタでいくよ。仲間3人ぐらいで一緒に出かけるさ。各村の村長さんちに泊まるんだ。お礼はもちろん土器と塩だよ。
ラオスの夕日はいつも感動的だ。今日は早出の日、まだ暗いうちに宿を出、村に近づいた頃、ようやく陽がのぼった。乾季は地平線上に塵が舞っているせいか、太陽がひときわ赤く大きい。ラオスは朝日も絵になる。
朝8時ごろ、なじみのTさんたち3家族はクボタ2台に乗ってモンキー・フォレスト(野生ザルがいる自然公園)へいった。近くの池で魚や貝もとってくるそうだ。観光兼漁労活動である。
早出とくれば、終日ポターに密着デーなのである。7時からKさん、Nさん、Pさん3姉妹の土器作りを観察する。彼女たちは6人姉妹で、ほかの3人は同じ村の中ではあるがちょっと離れたところに住んでいる。みんなお母さんに土器作りを習った。
この村では近所に住む姉妹が一緒に土器を作ったり焼いたりする。3人が1台の回転台を使って時間差で順次に作っていく。ただし、粘土や叩き板・あて具、野焼きの燃料等、材料・道具は個人所有である。
今日作る器種は全員モーウナムで、NさんとKさんが6個、Pさんが7個である。Kさんいわく。3人で一番うまいのはPさんだと。そこでPさんを一日徹底追跡することにした。末の男の子(子供は5人)はまだ1歳。土器を作っているお母さんのお乳をせがみに来る。
同じ母から習った姉妹でも技法や形に差が出るのが面白い。叩き成形前の原型はそれぞれ微妙に違う。Pさんは叩き板・あて具をそれぞれ二つずつ使い分け、丁寧に成形するのに対し、Kさん、Nさんは一つでやりきり、時間も早い。
Kさんはいつも「べらんめぇ調」。回転台上の水挽き成形で、1個をクシャと潰してしまった。苦笑い・・・・。マッカイという果物を木から何個ももいで、日本に持ってけと袋いっぱいに詰めてくれる。どこにでもいそうな気のいいおせっかいおばさんだ。年を聞くと「知らないよ!忘れた。」とはぐらかす。子供は10人いるそうだ。
夕方、翌日の粘土を唐臼で搗いて一日の作業が終わった。
しばらくして、庭先では夕食の準備が始まった。
毎朝、村へ通う道。陶器の壷がたくさん並ぶ家にふと目が留まった。車を止めて中に入ってみるとそこは酒屋だった。
カマドにかかったドラム缶では50kgのモチ米が蒸されている。これでハイと呼ばれる壷3個分の酒ができる。時々スコップでもち米をかきまぜる。横には麹を入れた発酵中のポリバケツが並ぶ。醸造した酒は別のカマドで蒸留してアルコール度数を高める。度数は50度。ふたつの蒸留装置の管からは水タンクで冷やされた酒が流れ出し、パンヤの綿で漉して壷の中に詰められていく。壷1個は25リットル入りで140,000kip(約1,500円)。1週間寝かせてから売りに出す。醸造後の米はどうする?横の豚小屋を指さした。彼らが処理するようだ。豚は酔っぱらわないのだろうか、心配だ。
ラオ・ラーオ作りの村としてはルアンパバンのサーンハイが有名だが、装置はどこも同じようだ。ブットーンのポターPさんの隣の家でも同じ装置で酒を作っていた。昨年行ったサラワーンの土器作り村では簡単に使える蒸留用土器を作っており、これで買ってきた焼酎ラオ・ラーオをさらに蒸留して飲む。1年前の大晦日、結婚式に乱入し、村長さんや酔っ払ったBさんらと盛り上がったのもこの酒だった。T氏が「叩き板」を賭けてBさんと飲み競った。数日後、Bさんに再会するとお昼過ぎにもかかわらず寝ていた。昨日隣の家が結婚式だったそうだ。目に浮かぶ。
村に着くと、今日粘土を掘っている人がいるとの情報をえる。約10分ほど歩くと、Tさんのお姉さんにあたるHさんが夫とともに粘土を掘っていた。ここはポターでもあるNさんの田。粘土はクボタ1台分で200,000kipという。朝8時から夕方までたっぷり1日かかる。直径1mほどの縦穴を背丈ほど掘る。上層80〜90?の粘土は使えないので除けておいて後で埋め戻す。
粘土掘りも家族総出である。二人の男の子と犬も一緒に来ている。周辺には去年掘ったところ、さらにその前掘ったところ、痕跡が残っている。これがたまに発掘されるまさに粘土採掘坑群の遺跡だ。袋状に掘る人もいる。
午後、ケンコ(チャンポン郡の中心地で、市場がある。クボタで村から1時間弱)から土器のトレーダーがTさん、Sさんの土器を買いにきた。夫が売りに行く人も多いが、定期的にこうやって仲買が取りに来る場合もある。村で売る場合にはモーウナム1個5,000kip(約55円)、市場では10,000kipと倍になる。クボタ1台で100個のモーナム、モーケンを積んでいく。彼らは行商もし、13号線沿いを南下して3日ほどかけて売り歩くという。村の夫達が売り歩く場合も同じだ。馴染みの村の村長さん宅やお寺に泊まりながら土器を売り歩く。調査中、10kmの道を歩いて土器を買いにきたおばさんがいた。二人はモーナム2個を天秤棒にぶら下げて帰っていった。このような場合、普通は物々交換である。おばさんはバナナと土器を交換していた。
夕食は宿から車で45分、サワンナケートに出た。メコン川の船上レストランで対岸のムクダハーンの明かりを見ながらタイ料理を味わった。タイ人たちはしきりに帰りたい!と叫ぶ。気持ちは分からないでもない。
ここはラオスである。
今日も朝一番にいつものTさん、Sさん姉妹の家に行く。昨日待ってたのにこなかったので土器焼いてしまったよ!と。
日曜日で学校は休み。いつもお姉ちゃんの脇で恥ずかしそうにしている9歳のOは、朝から土器をつくっている。「あたしもちゃんとできるのよ」誇らしげだ。
土器作りにはいくつかの道具がいる。この村では水挽き出来るくらいの性能の回転台(ペン・スィアン・モー、「板・回す・土器」という意味)を使う。叩き成形に使う叩き板(マイ・ペン)も重要である。これらはたいがいポターの夫が作る。家の下に蓄えてある建築廃材を利用する。家の柱はマイ・デンやマイ・ドゥという硬い木。梁や桁にはマイ・ヤンというちょっと軽めの木も使う。叩き板の樹種は硬いものが好まれ、だいたいはこれら4種程度である。子供用のは小さく軽め。体力に合わせて作る。
村の周りにはさまざまな樹木が生育している。驚くのは身近な建築材や食用果実がつく樹木だけでなく、ポターたちが多くの木の名前を知っていることだ。各地の土器作り村でポターやその夫たちに木の名前を聞いているが、この村の人たちが一番よく知っている。さすが森の民「ブッドン」。
内面のあて具(ディン・ドゥ)はポター自らが作る。あるポターがアシスタントに語ったところによると「30歳未満の娘はディン・ドゥを作っちゃいけないよ」「作るとお尻にささるよ」このディン・ドゥ伝説はポターたちの禁忌として注目された。翌日、Tさんに聞いてみたがそんな話しは知らないと、一蹴。娘のRもOも自分で作るよ。おばさんたちのしもネタだったのか。真相は闇の中。