歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2010-01-02

パクセーの休日・・・ノーモア・ポット


今日もパクセーでの休日のはず。

ちょうど1年前の1月2日、パクセー郊外で、橋が壊れていて車が通れず訪問を断念した土器作り村があった。歩いて3kmだったがラオス出国時刻が迫っておりサワンナケートに引き返したのだった。

みんな知っている。私たちに休日はないことを。
メコン川を渡り西に向かう。車で40分ほど走ると昨年、壊れて渡れなかった橋がみえた。今年もそのままだったが、乾季は川底を通る迂回路があった。3kmでこぼこ道を走ると村の入り口についた。ところが今度は大きな川があらわれ、橋がない。水があって車は通れない。結局、車を捨てて歩いて村に入った。

Pさんとお姉さんのMさんが土器を作る1軒の家を訪ねた。キーマを噛みながらおばさんが土器を作っている。どこかでみたような光景と思ったら、昨年タイのウボンラチャター二―で調査した村と全く同じ技法の土器作りだった。叩き板のバラエティや名前が同じで、マイ・ラッという剣形木製品のような道具が特徴的だ。二つの村は現在はラオスとタイにわかれるが、わずか70kmたらずの距離だった。ルーツを同じくすることが推察された。

パクセーではオープンテラスのカフェでコーヒーを飲んだり、おいしいフランスパンを食べたり、久し振りに町のにおい嗅いだ。

名残惜しく、13号線を北上。5時間余りで宿のあるLAK35(サムシップハー)に着く。車にはPさんからもらったモー・ウ・ナムやモーケンがいっぱい。

このころからアシスタントの女性たちの合言葉は
「ノーモア・ポット!」
「もう土器はやめて!」





おそろいのリポビタンVのTシャツを着て記念写真。
アシスタントからの新年のプレゼント。

2010-01-01

サバイディー・ピーマイ

今日はラオス南部のパクセーという町に来ています。
コロニアルな建物とたくさんの欧米人が行き交う不思議なまちです。
夕べ、タイ人のアシスタントたちがプレゼントとしてくれたVサインの「リポビタンD」Tシャツを着ています。

27日にタイ東部ムクダハンからメコン川をわたりラオス国サワンナケート県・チャンポン郡の土器作り村に入りました。村の皆さんの全面的な協力でようやく地図作りや戸籍調査が終わり、ぼちぼち土器作り技術の観察や生業の聞き取りを始めたところです。こちらは1月1日よりも4月のソンクラーン(水掛け祭り)を年がわりの時期として大々的に祝うので、村の生活は普段と何ら変わりません。でも私たちはいちおう正月休みということで南部に旅行することにしました。車に揺られること5時間、チャンパサック県の世界遺産「ワット・プー」に到着。アンコール時代を主とする遺跡です。カンボジアやタイの遺跡に比べると整備は進んでいません。その分周囲の景観に溶け込み落ち着いた雰囲気があります。
行きは陸路。パクセーから40kmの距離。ガイドブックには2時間とある。世界遺産と思って甘く見たのが間違い。実際に走ってみてわかった。
帰りはメコンの渡しでパクセーに戻る。小船を3艘を連ねた台船に車を乗せる。一歩間違うとドブン!。ゆったり、月と対岸の明かりをながめメコン川を渡る。

バン・ブッドンは昨年のお正月にはじめて訪ねた村。ブッは「池」、ドンは「森」という意味らしく、村は森に囲まれた低丘陵上にあり、周囲には乾季でも水の枯れない池やクリークが点在しています。10歳未満の女の子がたくさん土器を作っているという世界的にも稀有な村です。つくなり、8歳の女の子が私が作ったのよと1つの土器をプレゼントしてくれました。村の人たちの顔を少しずつ覚え始めましたが、なにせ121戸800人あまりの人口。村の小学校には90人あまりが通っています。昨日、お邪魔した家では12歳の子は学校にいかずお母さんの土器作りを手伝っています。というより、もう一人前のポターです。妹と弟は小学校に通っています。帰宅するとすぐに村の池へ水汲みに何往復もします。世代を問わずみんながそれぞれの役割を果たし、うし、水牛、ぶた、やぎ、にわとり、あひる、いぬ、たくさんの動物たちと暮らしています。

今回は日本人4名とタイ人4名で調査に入りました。サワナケートから45分、LAK35という町のゲストハウスにとまり、村まで片道1時間のデコボコ道を通っています。新年は同室の九州大の院生と静かに一言「サバイディー・ピーマイ!」

調査はこれからが本番です。

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