今日は一年生の必修である民俗・人類学基礎演習の授業で山形市の郷土資料収蔵所に行ってきました。今回と次回とで民具の実測を行うのですが、今日はその前段階として収蔵所を見学させていただきました。
職員のかたの話を聞きながら、かつて実際に使われていた道具を見る。一年生にとって貴重な体験になったのではないのでしょうか。
来週はいよいよ実測です。一年生の皆さん、がんばってください。
1年半ぶりに名古屋城本丸のシカにあってきました。この春(4月末)に誕生した小鹿はもうすっかり一人前に走り回っています。
名古屋城と言えば通称イケメン武将の「名古屋おもてなし武将隊!」
正門近くではおっかけのギャル(おばさんも)が列を作って記念撮影。以前よりあきらかに観光客が増え、タクシーのドライバーもこの件に関して河村市政をほめていた。
石垣調査のため荷物を置いて長靴・ヘルメットを準備していると、その横にイケメン武将隊の控え室が。あの晴れやかなパフォーパンスに比して、楽屋はきわめて質素。もう少し待遇よくしてもいいんじゃないのと・・・。
現在、本丸御殿の復元中。巨大な素屋根をかけて工事を見学できるようになっている。ここでも中国からの観光客が目立っていた。
兵庫県高砂市は古墳時代、近畿の大王の石棺を作った「竜山石」の里。
高砂市教育委員会では現在、文化庁からの委託で「文化財総合的把握モデル事業」をおこなっています。事業の視察のために高砂市を訪ねました。二日間、教育委員会の担当、「竜山石文化会」や建造物調査をしているひょうごヘリテージの方々とお会いして詳しい話を聞くことができました。
地域の文化財を既成の概念・価値にとらわれず、住民の足と目で再発見していくプロセスを目の当たりにしました。市内3万基の墓石を悉皆調査するなど、そのパワーはたいしたものです。地域づくりは人づくり。それを実感する活動です。
夜は歴史文化基本構想策定委員会の会長さんもでてきていただいて情報交換会。
現地で始めて知ったこと。
高砂市は「ブライダル都市」・・・謡曲高砂にちなんでのこと。
B級グルメ「にくてん」食べました!ついでに明石焼きも。
高砂の歴史が凝縮した今市の町並み。近世・近代の港町。
観光産業的には、何もないところと地域の人は自嘲ぎみに語りつつ、一方ではしっかりとした歴史文化的アイデンティティーをもっている。そんな誇りが地域に暮らすよろこびの一つ。
県庁所在地の近世城郭とJRの駅はある程度はなれているのが普通です。それは近世城下町が近代都市の基盤になっており、明治に鉄道が敷かれるときに街中に線路と駅を置けなかったためといわれます。
例外はいくつかあり、甲府や山形はそれにあてはまります。明治に城下町の一角が衰退してそこに鉄道がもってこられたからです。このような立地は現代、観光という面からは願ってもないこと。管轄する自治体にとっては城跡の活用・整備に関心が集まります。
東北文化研究センターのオープン・リサーチ・センター整備事業「東北地方における環境・生業・技術に関する歴史動態的総合研究」の合同研究会・報告会が下記の日程にて行われます。
民俗班・歴史班合同研究会
日時 平成22年6月16日 18:00〜20:00
場所 東北芸術工科大学 本館301講義室
[発表]
蛯原一平
「明治末期の沖縄八重山における村人達の生業活動-地方役人への海と山からの贈り物を手がかりに」
田口洋美
「丸木舟製作と使用方法に見る東アジア周縁の文化圏-日本列島および極東ロシアの事例を中心に」
中村只吾
「飛島の近世社会を概観する」
民俗班・歴史班・考古班合同報告会
日時 平成22年6月17日 14:00〜16:00
場所 東北芸術工科大学 本館304講義室
[発表]
福田正宏
「極東ロシアのフィールドを掘る」
謝黎
「中国少数民族の世界を歩く」
蛯原一平
「南島のフィールドをめぐる旅」
学生も参加可能なので、講義などが入っていない方はぜひ参加してください。
米沢市が戸塚山古墳群の確認調査を行っている。
戸塚山は丘陵裾に7世紀の終末期古墳180基余りが群集しており壮観だ。
その保存状態は東日本最大規模で、いま市では国指定史跡を目指して確認調査を行っている。
昭和18年に一部ブルドーザー(戦車のようなものらしい)が入って削平された平坦面にトレンチをいれたら、そこからもたくさんの古墳が見つかった。この部分が分布の空白地となっていたので、ここも埋まると200基はゆうに越えるだろう。
この夏は、学生達と開口した石室と墳丘の測量調査を行う予定である。高畠の大型凝灰岩とはちがい、小型の石材を利用した独特の石室構造をもっている。かれらは自然に適応してどんな構造・技術も駆使しえたのであろうか。
授業で天童市の西沼田遺跡に行った。
復元住居の炉辺で屋根の萱を燻すサポネットのおばあちゃんとしばし昔語りをする。
復元水田では今年からはじめたという直播きの田があった。籾をまいた後、水没してしまってちょっと心配だと担当の人が語っていた。
最近通っているタイ東北部やラオスでも田植えと直播きが混在している。直播きは雑草取りがたいへんだといいながらも、楽だからと案外多い。雑草に強い種を植えていたり、最近はその草もあまりまじめにとらない家もある。雨季の土器作り村でみた直播きの田はかなり粗放な感じがした。昨年12月の乾季に訪ねたとき、ちょうど今年からはじめたという潅漑水田(河川からポンプアップ)で直播きをやっていた。直播きは決して原始的な稲作ではなく、現在も共存している。日本でも田植え機を使って「湛水直播栽培」が各地で行われているそうな。