調査成果(中間報告)
今回の調査は発掘を行わず、開口した(過去に発掘された)横穴式石室墳の現況測量・実測のみを行った。所見は表面観察によることをあらかじめお断りしておく。
106号墳(飯塚北支群)
西斜面裾に作られた直径11mの円墳。
両袖式の横穴式石室。羨道は未発掘で保存されている。玄室は調査済で床面に近年の流土が堆積。
玄室長3.3m、玄室幅(中央)約1.8m、奥壁・玄門約1.5m。玄門幅0.6m。床面プランは側壁が緩やかな胴張りを呈する。石材は凝灰岩質岩。小型不整形なものが多く横目地の通りは悪い。随所に高さ調整の長手積み平石が入る。基底部に大型の石を用いる傾向がある。奥壁は縦長の鏡石1枚。高さ約1.7m。
奥壁の入角は側壁側石材が奥壁の奥へ入る。
玄門は羨道側壁から内に飛び出すか?板状の閉塞石らしき石材が玄門にあてられている。
176号墳
丘陵南斜面の上部に位置する直径約10mの円墳。単独で群をなさない。
玄室は調査済。羨道は未調査。
側壁の石材は節理の発達した泥岩が主体。まぐさ石の段で横目地が通る。石材は平面性があり積みはしっかりしている。基底石に大きな石材はない。奥壁は大型の2石で高さ1.5m。
玄室長2.2m、玄室幅(中央)約1.5m、(奥壁・玄門側)1.1〜1.2m。玄門幅0.6m。玄門ラインは玄室主軸に直交せず、東に振れる。石材は106号墳も含め、すべて自然石で加工はない。奥の入角は隅合わせ。
床面プランは106号墳の側壁が緩やかな胴張りを示すのに対し、本墳の側壁は直線的に折れをつくり、全体として八角形状を呈する。墳丘の北側には列石が一部顔を出しており、墳丘表土にも角礫が多数見える。高畠町の終末期古墳と同様、墳丘は礫積みであることがわかる。前庭部付近の表土からは須恵器大甕片2点が出土した。
昨年まで調査してきた高畠町の横穴式石室墳と比較すると、構築技術の上でいくつかの共通点・相違点が明らかとなった。
相違点の多くは石材資源の違いに起因する可能性が高いと考えるが、今後とも調査を進め、検討していきたい。
戸塚山古墳群ではこれまで横穴式石室の実測図がほとんどなく、その特徴が明確になっていなかった。今回の調査は保存・研究のための基礎資料を整備したという点で意義あるものといえる。
合宿最終日の気だるい朝を迎えた。初めてここにきてからもう9回目になる。
ことしはみんな行儀よく寝たようだ。
6時におきて散歩に出ようとすると、向かいのコテージの前に初老の女性が一人すわっていた。昨晩、ご迷惑をおかけしますと挨拶に行った時、新鮮なキュウリとトマトをくれたおばあさんだ。高崎からきたという。保渡田八幡塚古墳の話をしていると横浜に住むという息子さんが出てきた。
最近、ゆうきの里のそばにできた「たかはた文庫」の整理に家族と友人らで来ているそうだ。この地で有機農業の普及と地域づくりを推進してきた政治社会学者栗原彬氏が蔵書10万冊を一括寄贈し、それをもとに手作り図書館と日本の有機農業運動に関する資料センターを開設するそうだ。首都圏の大学から有機農業の援農のため毎年たくさんの学生がきて宿泊する。ここから何百人もの大学生が巣立っていった。そんな教え子たちが帰ってきて蔵書整理を手伝っている。
地域の人々のあたたかいホスピタリティーに支えられながら交流を続けているのは私たちも同じだ。
話をしているうちに朝食の時間がきた。お茶漬けとゆうべの残りで朝食をすまし、全員で宿舎の大掃除と布団干しをする。
9:00に宿舎前で写真を撮り、管理人さんにお礼を言って出発する。
現場について作業にかかるが足取りは重い。みな、力を振り絞って最後の作業にとりかかる。全身から一汗かいた11時ごろになると急におなかがすきだした。弁当を買いに行き、この日は現場での昼食となった。
13時過ぎ、106号墳の12人が176号墳へ登り調査検討会をする。つづいて、山頂の前方後円墳(139号墳)へ登った。360度置賜盆地を一望する立地に納得する。
15:30からは176号墳の8人が下山し、106号墳で検討会をする。
16:30全体の総括をして大栗くんがシメる。機材を駐車場まで引き上げ、ここで福島大勢と別れる。賜の湯でひと風呂浴びてから帰るそうだ。
われわれも荷物満載で大学にかえる。荷物を下ろし車を洗って解散。お疲れさまでした!
今日の朝がけはぶどうまつたけラインを北上して金原古墳を見学。
午前中、山大の三上先生来跡。蒸し暑いうえ小雨降る中、両古墳見学。ありがとうございました。山形新聞取材。卒業生の和田、丹野、高柳、専修大卒で北目古墳の調査にも参加してくれた佐藤君が顔を出す。博物館実習で参加が遅れた長澤さんと留学生の司空くんも合流してようやくフルメンバーとなった。午後、福島大卒の広谷君(宮城県多賀城跡研究所)らが見学。
和田・丹野の応援で106号墳は平板3台フル稼働。
午後は台風の影響で雨に悩まされるが、休みもとらずに5時班過ぎまで作業をする。ここへ来て、みな集中力が高まっているのがわかる。
賜の湯に行って汗を流し、19時に宿舎にもどる。
20時30分から合宿うちあげへ。両大学の学生同士入り混じって親睦を深める。
夜はいつものように道路にねそべったり、花火をしたり・・・。幸い雨が上がり、雲間から星空をみることができた。アスファルトのぬくもりを感じられなかったのはちょっと残念。
そして夜は更け、今年も語り継がれる数々の伝説がうまれた。。。。。
赤鬼の最終日。駆けつけてくれた卒業生も入って記念撮影。2週間のお礼をいい、おばちゃんたちからは卒業生(予定者)へ励ましの言葉。そして、里江さんが代表してプレゼントを受け取る。社会教育課の職員からもスイカをいただく。
学生時代の思い出が詰まった場所。いつか戻ってきて、熱いあのころを思い出そう。
朝飯前に鼠持古墳を見学する。
午前中、読売新聞の取材を受ける。4月に入社した新人記者でインタビューを受けている学生との2ショットは友達同士の会話のよう。
それから米沢市教委、山短の吉田先生(女子学生たちの間から歓声!相変わらずの人気者)、午後から卒業生と在学生がやてきた。二つの古墳を往復するので結構疲れる。。。
午後15:00すぎから雨が降りだし中断。雨が小やみになり再開するも、再度降雨。少し早めに撤収し宿舎へ。雨が降ると山道を下る176号墳は危険。何度か手すりロープに助けられた。
この日の朝、宿舎の冷蔵庫が壊れるハプニング。冷蔵庫は夏の生命線。おひるには直りほっとする。原因は詰めすぎ?管理人さんの忠告通り午後からの雨。お昼に洗濯ものをとりこんでおいて助かった。夕方管理人室でいつもすれ違いの遠藤さんと話す。
戸塚山に調査に入ってほどなく、ハイジをどこに吊るすか、空を見上げる。しかし、いくら探してもいい枝ぶりの木がない。やっと、今日になって106号墳のそばに1基設置した。
左右のロープの長さがちがうので、振幅の違から漕ぐと回転する。それはそれで面白いのだが、これまで高畠の山でこんなに苦労したことはなかった。
戸塚山の斜面と尾根筋にはアカマツが卓越する。山麓は雑木林で106号墳の周囲はナラ林である。近くのお爺さんによれば、ここは戦後も薪炭林として薪を切っていたので、そこらじゅうに古墳の土饅頭がポコポコみえたという。
その後放置された林はコナラやホウノキの高木が林立している。薪炭林によくみられる根元から株立ちする木は意外と少ない。それと樹種が少ないことに気づく。徹底的に伐採されたせいなのだろうか。山の上部は松くい虫、下部はナラ枯れで森林がよわっているのがわかる。日あたりのよい176号墳の南斜面にはクリの木が多い。昔は柴を刈ったり、腐葉土を田んぼにすきこんだりして適度に森林に手を加え続けることで森の再生力を維持し、その保全がはかられていた。現在県の保安林に指定され、病害虫対策を中心に森林を守っている。今は木を切って運ぶだけでも費用がかさむので簡単にはいかないが、かつての里山利用技術から森を生かすすべを見出していく必要があろう。戸塚山古墳群を将来国史跡として整備する場合にも、森林との共存がテーマのひとつになるだろう。
早起きした食当班の包丁の音で目が覚める。
朝食は7時30分。普段は不規則な食生活をしている学生もここではご飯がおいしくよく食べる。
朝から雲ひとつない青空。今日も暑くなりそう。
初日からレベルの計算を間違えた106号墳平板班も今日は順調に作業を進める。
石室の実測もなんとかペースに乗ってきた。
176号墳では日よけにブルーシートの即席テントが張られ、ハンモックが吊られた。石室も清掃がほぼおわり実測が始まった。石室主軸に対してなぜか玄門が東に振れている。
昨日からのいちばんの変化は、両学生たちがもう名前やニックネームで呼び合っていることだ。いい声が出ている。
夕方宿舎に高畠町職員の小林さんが差し入れのブドウをもって訪ねてきてくれた。小林さんは福島大のOBで芸工大(文化財保存)ともゆかりの深い人である。さらに、いっとき、この民俗資料館の住人(管理人)でもあった人だ。どうして、「ゆうきの里」ができたのか。この土地での有機農業の取組みや思い入れを聞いた。
賜の湯への行き帰り、BOXYの車内は大合唱!さうだーじ!!アポロ13号!!!イェーイ!!!!暑い一日のしめくくり。
足湯我慢大会は引き分けにおわる。
お風呂から帰ると即席「須恵器講座」と「ヤノマミ劇場版」観賞。
3日目は兼六園に行きました。
見どころはいろいろあるのですが、とにかくいちいちすごかったです。
静かながらも「加賀100万石」を象徴するような力強さを感じました。
最後は武家屋敷です。
ここではじめて雨に降られましたが、建物に入れたので助かりました。
金沢がここまで見る所が多いとは思わなかった!
またゆっくり行きたいです。
2日目はレンタカーで奥能登へ行きました。
目的地は、時国家!
現在は上時国家と下時国家があります。
まさに堂々としたたたずまいです。
この時国家は、歴史研究者の網野善彦さんが「百姓は農民か?」という大変興味深い問いを立てた際に登場した家です。
確かに周りを見回すと川沿いに水田が広がっていました。
時国家は大きな農家であることがうかがえます。
でも、少しあるくとすぐに海がみえてきます。
時国家は大きな船を持っていて、それで北海道から関西方面にもいっていたそうです。
時国家は農業だけでなく廻船交易も行っていた。
それを物語る景観をみてきました。
帰りは千枚田をみました。
とにかく暑かったけど、とても充実した一日でした。
私事ですが、8月6〜8日に金沢に行ってきました。
はじめての金沢。
とりあえず歴史を概観しようと石川県立歴史博物館へ。
建物から興味深く、かつて旧陸軍兵器庫、戦後は金沢美術工芸大学に使用されていた赤煉瓦棟を活用したそうです。
展示もかなりのボリューム。お昼に到着して、ほぼ半日を費やしてしまいました。
なかでも特別展がおもしろかった!
「トキ舞う空へ 鳥と人の文化史」というもの。
人と自然の関係史を学ぶ我が学科としても、とても勉強になる内容でした。
調査は中盤戦に突入。朝8時30分ボクシーに荷物満載で大学を出発。
すでに山形から電車でかけつけた先発組と、福島・郡山から車できた福島大勢が駐車場で待っていた。
今日から4泊5日で調査に集中する。芸工大は2〜4年生12名、福島大は3〜院2年7名、合わせて19名。これまでも東北大や山形大、専修大など他大学の学生が加わって調査をしたことはあったが、これだけの人数で合同調査するのは初めての経験だ。不安がないわけではなかったが、それよりも出会いを通して生まれる「何か」への期待のほうが大きかった。
初対面同士の学生たちが簡単なミーティングを済ませてそれぞれの現場に分かれた。駐車場から群集墳の中を5分ほど歩くと106号墳につく。さらに10分ほど歩き、山を登ると中腹に176号墳がある。登り口は急で、手すり用のロープを伝って山道をいく。途中の湿地にはオオウバユリ、カナムグラ、ドクダミなどが群生し、ハグロトンボが乱舞する。
先週と違って湿気が弱まった。暑さは相変わらずだが、106号墳では蚊が少しだけ減った。そのかわりブヨが大量発生した。南斜面にある176号は木が少なく日照がきつい。
106号墳は芸工大4年の高橋里江が主任、石室実測3名、平板測量7名。176号墳は福島大院2年の大栗行貴が主任、石室実測2名、平板7名。両大学の学生が入り混じって班を組んだ。
3人ひと組で行う平板測量は、コミニュケーションと意思疎通が肝要となる。しばらく作業の様子をながめてみる・・・・。私の心配はまったくの杞憂だった。
平板の立て方、スタッフの扱い方ひとつとっても両大生が習った方法が違う。
発掘現場のスキルには原理原則はあるが、大事なことは多様な現場環境や遺跡の内容、緊急度などに応じて臨機応変に対応できることである。随所で想像力とアイデアが要請される。マニュアル人間でいては、したたかな遺跡にほんろうされるだけだ。
遺跡調査のスキルを習得するにはたくさんの現場を経験することと、そのことを通してたくさんの人と出会うのがいい。
昼食はおばちゃんたちがまっててくれる赤鬼へ。
役場の人たちが「また来たね」と声をかけ、会釈してくれる。写真立てに入った毎年の記念写真はもう置き場がないくらいたまった。寄せ書きのTシャツも額に入れて飾ってある。考古ゼミ生の思い出の場所のひとつだ。
満腹感いっぱいで午後の作業にいざ!
夕方、1日の作業を終えて、宿舎となるゆうきの里・民俗資料館へ。
食当の丹精込めた夕食を食べ終わると、班ごとに図面整理をし、一日の仕事を振り返る。そして、翌日の作業計画をたてる。それから「賜の湯」で一日の汗を流す。その間、日誌をつけ、洗濯をするのが一日の日課だ。この日は1週間でいちばんの星空だった。ここは有機農業のふるさと。まわりの田んぼにはホタルが飛ぶ。
この日は夜10:00ごろからヤノマミ劇場版をみた。長いので後半は翌日。
福島大の考古学研究室も毎年福島県内で合宿し、古墳の調査をしている。宿舎での過ごし方は、細かい違いはあれ、お互いに慣れている。初対面の学生たちに、最初から壁はほとんどないようにみえた。