9月9日になると文献ゼミ生の体調は完全復活。
翌日はほとんど帰るだけになるので実質的に今日が最後の研修旅行です。
午前中は由利十二頭くんイチオシの信貴山に向かいました。
信貴山は聖徳太子が寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天を感得した山と言われています。
また、平安時代には醍醐天皇から「朝護孫子寺」の勅号を賜りました。
戦国時代には松永久秀が信貴山城を築いたことで有名です。
大阪と奈良の県境にある信貴山は高いだけあって涼しい!
信貴山は至るところに虎・虎・虎。
寺務所には阪神タイガーズのお守りまで。
春日大社の鹿といい、信貴山の虎といい、後に出てくる石上神宮の鶏といい、動物ばっかり。
奈良県には動物園いらないんじゃないかなあと思いました。
信貴山を散策していると虎にまつわる美味しそうな食べ物を発見。
これは調査しなくてはいけないと飛びつく戊辰戦争、阿古屋、島流しの女三人。
現地を知るには文化を知らないと!文化を知るには食べ物を知らないと!もぐもぐもぐ…
【戊辰戦争の即興グルメリポート】
・しぎとらソフトクリーム
マンゴーアイスにチョコソースをかけて虎をイメージ。
シャーベットのさっぱりしたマンゴーの風味とチョコの甘さが疲れを癒します。
・寅まんじゅう
出来たてホカホカのところを一個80円で購入。
周りのカステラ生地はサクサク、中のアンコはとろとろ、味の地殻変動やー!!(?)
ちなみに島流しさんが「熊まんじゅう」と言って私と阿古屋さんをびっくりさせました。
この日の夕食は気になっていた京都駅地下のリプトンカフェ。
20時閉店だと思い込んでいた私と阿古屋さんは19時45分に早足で駆け込みました。
ひと足先に入店していた日本髪さんや島流しさんから閉店時間は22時と教えられてホッ。
その日歩いたカロリーを取り戻さんとばかりに注文しました。
NOT炭水化物の夕食の人がいるのは気のせいではありません。
本当に恐ろしいのは女性特有の最終奥義「甘い物は別腹」だったのです。
薬草さんといっしょに途中から現れた病気さんは半笑いで「凄いね」とコメント。
日本髪さんのラズベリーソーダフロートは私の前に置かれました。
抹茶パフェが苦くて阿古屋さんに食べて貰った私の注文だと思われたのでしょう。
店員さんがいなくなってからそうっと日本髪さんの正面にソーダフロートをお届けしました。
9月8日は体調不良のゼミ生と台風直撃のために目的地を変更。
信貴山と山の辺の道から奈良国立博物館になりました。
奈良国立博物館は写真撮影禁止と特別展見学のみだったので紹介は割愛します。
台風のために数十分遅れて到着した奈良駅は京都より鎌倉に近い雰囲気。
個人的には街並みは奈良のほうが落ち着いていてホッとしました。
心なしか大阪や京都より人がおっとりしている気がします。
あと、車窓から見える奈良の風景が東北にない自然美で、思わず見入っていました。
奈良国立博物館を見学し終えた後に自由行動です。
朝からの雨風は予想外にすぐに止んでちょっと涼しくなりました。
平城遷都1300年祭の今年こそ憧れの奈良に行ってみたかった私は寺社仏閣巡り。
奈良の大仏のある東大寺と阿修羅像のある興福寺に行く阿古屋さんとレッツゴー!
最初は奈良国立博物館近くの春日大社に向かいました。
鮮やかな朱色が印象的な社殿には奉納されたたくさんの燈籠が並んでます。
その中に「直江山城守兼続」が奉納した燈籠を発見して思わず上がる二人のテンション。
キャー!直江ー!というよりは旅先で親戚に会ったような「なんだ直江か」という心境でした。
次は強い日差しや修学旅行生のタックルや野良鹿に負けずに東大寺。
使い捨てカメラ「写○ンです」で南大門を激写する中学生に遠い目になりました。
懐かしいと思いかけましたが、記憶を反芻すると私が中学生時代にはデジカメありました。
間近から初めて見る東大寺は何から何まで縮尺がおかしい!
南大門・金剛力士像・盧舎那仏像のサイズにはただただ唖然と見上げるばかりでした。
願いがかなうなら盧舎那仏像の手のひらに立って孫悟空ぶってみたいです。
武道館ライブならぬ東大寺ライブしたがるミュージシャンの気持ちが分かりました。
最後の有名な阿修羅像がある興福寺には相変わらず迷いながら到着。
興福寺の金堂は勿論ながら宝物館に展示された仏像群は素晴らしかったです。
興福寺の宝物館は自分たちの所蔵する仏像の魅力をしっかり把握しているように感じました。
阿修羅像は手足がほっそりして女性的なのに、顔は凛として確かにかっこよかったです。
舞妓体験と和装体験の後は自由行動です。
私は、人力車にいっしょに乗る有志を募っていた阿古屋さんに同行しました。
三年坂をずんずん下って阿古屋さんが感じがいいと言う人力車のお兄さんのところに。
そこでお兄さんのおすすめの三年坂〜八坂の塔〜ねねの道の10分コースをお願いしました。
初めての人力車は思ったより揺れなくて乗り心地がよかったです。
私たちを退屈させない接客トークに光るプロ意識。楽しかったです!また乗りたい!
その後はすすめられた小路を通って八坂神社や祇園へ。
私と阿古屋さんの間では「アイヤ、ニーハオ、ニーハオ」という挨拶が流行。
びっくりしたり、感動したり、楽しかったりすると二人でアイヤ!と叫んでいました。
ぜひおすすめしたいのは八坂神社の東側に立つ美御前社(うつくしごぜんしゃ)
ご神水の「美容水」を肌につけると美人になると人力車のお兄さんから教えられました。
阿古屋さんはこの美容水を頬につけてから肌がつるつるになったそうです!
興味の向くまま二人でふらふらしていると案の定迷子になりました。
アイヤ、困ったなあ、と言いながらカップルがメートル間隔で座る鴨川沿いを散策。
迷子のくせにのんびりと水分補給をしていると、人目を憚らずに喧嘩する男女を目撃。
何故わざわざ鴨川で喧嘩を…? いや、鴨川だからなの…? アイヤー…。
こういうことを気にするから二十代にして迷子になるのだと思いました。
阿古屋さんが駅員さんに尋ねてくれて無事に京都駅に戻ることが出来ました。
清水寺周辺の三年坂で各自昼食を取った後は舞妓体験&和装体験です。
今や京都のイメージキャラクターとなっている舞妓さん。
だらりの帯、ぽっくりの鼻緒、花簪などの美しい衣装の舞妓は見る者にタイムスリップしたような感動を与えてくれます。
舞妓は独立した職業ではなく、芸妓になる前の修行期間中の存在で、現在は15〜20歳くらいの少女がなれるとされています。本物の舞妓さんが着る衣装は10キロ近くあると言います。それに独特の日本髪は自毛で結います。
今回は少女と呼ぶには少々とうが立った(?)戊辰戦争・日本髪・阿古屋が体験しました。
はじめは襦袢のような肌着に着替えた状態でお化粧。
いい匂いのする水おしろいを顔面から肩にかけて塗られました。気分は聖魔伝?のデーモン小暮閣下かDMCのクラウザー?世。水おしろいは肌に触れると冷たくて笑い出しそうになるのを我慢しました。
次に、目尻や唇に紅を差して、眉には眉墨の後にちょっと紅を足して描かれます。目を開けてはいけないと言われたためにあとはじっとしていました。
最後にカツラと着付け。女性に着つけて貰いましたが、しっかり足に力を込めないとたたらを踏むことになります。本物のだらりの帯ではないのに凄いどっしり感。約150センチの私は結構歩行が困難で、生まれたての小鹿のようなおぼつかない足取りになりました。
全員集合の写真は今度お見せしたいです!
台風接近の予報に怯えながら9月7日は京都の清水寺に向かいました。
清水寺の創建は西暦778(宝亀9年)の奈良時代の末頃。
延鎮上人が音羽山麓の滝のほとりに千手観音像を祀ったことが起こりとされています。
思い切った行動をすることを「清水の舞台から飛び降りる」と言いますね。
過去に願掛けのために飛び降りた人の85%は樹木がクッションになって助かったらしいです。
良い子、悪い子、普通の子、真似しちゃ駄目!戊辰戦争おねえさんとのお約束!
次に目指すは三つの筧から流れる霊水ごとの御利益がある音羽の滝。
音羽の滝に通じる階段を下りていると中国人のおじさんから呼び止められました。
英語と中国語と身ぶり手ぶりで懸命に何かを伝えようとしている様子。
階段の段数をカウントしながら自分の手のひらに「108」の数字を書いて見せてくる。
これはいったい何の暗号!?
困惑する私と同じ動作を繰り返す中国人のおじさん。
ただならぬ膠着状態にいると隣にいた島流しさんが全ての謎を解明しました。
「この階段は108段あって、階段を下りることで煩悩を消すんだよ!」
目から鱗が落ちました。
日本語が分からないはずなのに心なしか満足そうな中国人のおじさん。
中国人のおじさんは何故日本人に日本の名刹について教えてくれようとしたのでしょう。
とりあえず中国語検定四級を活かして「知道(分かりました)」と伝えました。
中国人のおじさん…まだ話し足りなそうでした…。
京田辺市で今年最高の39.9度を記録した翌日の9月6日。
私が小学生の頃に「39度のとろけそうな日♪」という出だしから始まる歌がありました。
子供心に「ねーよ!」と思いましたが、それが現実になろうとは、恐るべし!ラニーニャ現象!
ちなみにちょっと語感の可愛いラニーニャはスペイン語で「女の子」という意味です。
飛行機の座席は八人中六人が「緊急事態に殺到する乗客を止める席」になりました。
顔を見合わせる日本髪、戊辰戦争、雨乞い、阿古屋、島流し、病気の一同。
このメンバーでパニックに陥った集団を止めることが出来るのか!?
幸いなことに、そういったハリウッド的展開はなく、無事に伊丹空港に到着しました。
飛んで火に入る夏の虫とばかりに猛暑の京都に上洛した我々。
1933年に40.8度の山形が相手だ!と心の中でファインティングポーズ。
意外や意外、時刻が15時を回っていたせいか、それほど猛烈な温度は感じませんでした。
35度を超えると「暑い」というより「あったかい」と感じてしまう不思議。
文献ゼミの皆さんは京都の気温をどんな風に感じたのか今度聞いてみます。
ホテルに荷物を置いた後は予定通りに二条城に行くことになりました。
二条城は徳川慶喜が大政奉還を行った江戸時代の平城。
その歴史、その城郭、その庭園から京都が誇る世界遺産登録された名所になっています。
だけど最終入城時間が16時!!
私たちがバスに乗って辿り着いた時間は15時58分。
タイムリミットが刻々と迫っているというのに何故かのんびりと歩く文献ゼミ一同。
痺れを切らしたのか由利十二頭くんが急に走り出しました。
速い!速い速い速い!受付に行って戻ってくる!(日本ダービーっぽく)
帰還した彼の手にはなんと文献ゼミ全員分の入城チケット。
しばらくの間は「偉いよ!由利十二頭くん!」の歓声が止みませんでした。
無事に入城を果たした我々は二の丸御殿や庭園を鑑賞することが出来ました。
こんにちは、お久しぶりの文献ゼミの「戊辰戦争」(仮)です。
歴産ブログ界の真○かをり発言は忘れてください。
北海道・四国・伊豆諸島など本州脱出傾向にある今年の研修旅行。
文献ゼミの預かり知らぬところで本州抜けカルテルが結ばれていたのでしょうか。
そんな中、我ら文献ゼミは多数決によって、京都と奈良メインの関西に行くことになりました。
最初は伊勢や出雲など昨今パワースポットとして騒がれる地が候補に挙がっていました。
そこは動かざること山の如しの文献ゼミ生クオリティ。
飛び交う意見は「移動が…ねえ?」「乗り換え疲れるんだよねえ」「島根って何県?」などなど。
先生から「若いんだからキリキリ動けよ」(超訳)と言われて、気付くと関西中心に決定。
阿古屋さんが旅行会社に足繁く通って計画してくれました!ありがとう!
計画としては、
【9月6日から9月10日の四泊五日間】
1日目:仙台空港→伊丹空港→京都→二条城と京都駅周辺を自由行動
2日目:清水寺周辺→舞妓変身と着物体験→自由行動
3日目:奈良駅→奈良国立博物館→自由行動
4日目:信貴山(奈良)→古代の幹線道路の山の辺の道周辺(奈良)
5日目:京都→伊丹空港→仙台空港
という流れです。
自由行動は各ゼミ生たちが自分の体験談でブログ記事を賑わせてくれることでしょう!
私は文献ゼミの研修旅行の大まかな流れを更新していこうと思います。
田口ゼミのかくたです!
ぶり返すように八丈島で食べた料理たちを自慢します(^u^)
※注意・・・食事と一緒に画像も添付したかったのですが、なんせ
文章で感じていただければ幸いです。
では出発の日から・・・・
21日!
夜の9時に東京竹芝桟橋に集合し、カメリア号という船に乗り込み、中ではハイボールとチューハイ片手に宴会を始め、東京湾にさよならしながら就寝しました。船からみた東京湾はとてもきれいでした・・・・・!
さよなら本州(>_<)さみしいよーーーー!!
しかしそのとき私たちは知る由もなかった・・・・
八丈島が最高の島だということを・・・
ということで22日!
着いたら、まずご飯!という事で、朝飯兼昼飯を底土港の海の家で食べました。
やきそば、岩のりがたくさん入っていてうまし…!海の家のご飯!という感じでした〜
かき氷食べたいなぁ…
そしてその後ペンションサマービーチさんから車でロッヂまで送っていただき、さっそく海水浴へ!!!
車がなかったので徒歩で海水浴場までいったのですが、日ごろの運動不足が祟ってもうね!ゲキアツでした!しかも海水浴場結構遠かった(笑
最初に行った海水浴場は、岩肌の隠れスポット的な海水浴場でした。
うきわでプカプカを2時間!
海がとてもきれいで、足元に魚が泳いでいるのをみんなでずっと見ていましたー(*^_^*)
私たちはそこで体力を使い果たした・・・・。
そこで晩ご飯は買い物が厳しいので、小国町小玉川地区の熊祭りの時、帰りに立ち寄った石楠花祭りで当たった山形そば(笑)を煮て食べました。ここに来て山形の食べ物…
とまあこんな感じで八丈島でどんな食べ物を食べてきたのかをつらつら書いていきたいと思います。
あ、ちなみに八丈島だからといって特殊な食べ物はあまり出てきません・・・・。
自炊なので。ただの自慢です。
八丈島のちゃんとしたブログは
ジョンの書いた八丈島の歴史民俗資料館ブログ
と、もうひとつ私が更新する八丈島の景色についてのブログをご覧ください。では!
23日の話ー
朝飯は八丈ストアという八丈島唯一のスーパーマーケットでお弁当と、八丈島の特産物である島寿司を食べました。が、画像・・・・。無いです・・・・・。ググってください。お願いします。
島寿司は八丈島の特産「島唐醤油」のづけにしたものです。
島唐醤油はピリッと辛い八丈島の唐辛子を使った醤油で、しょっぱすぎず甘すぎず、いいお味(●^o^●)
島寿司はピリッと辛くておいしかったです!
そしてレンタカーをゲットし、また海水浴へ!
今回は底土港の海水浴場です。そこでまたまた浮き輪でプカプカ・・・・していたのは私だけです。ほかのみんなは普通に泳いでました。シュノーケルをつけて海を覗くと、本当に海が透明で青々としていることがわかります。
だって海底が見えているのに足が全くつかないんだもの!
足元でクマノミやらピンクと緑と青の魚が泳いでいるんだもの!!きききき綺麗だあああああぁぁぁ
休憩時間、おやつにかき氷を食べました。
女子3人でキャラメル、マンゴー、シークァーサーを食べました!
皆違って皆旨い。
海水浴を楽しんだ後は、晩飯♥
自炊なのです!私たちは!
しかし田口ゼミ3年に料理ができるのか?
これができるんですねぇ〜
晩御飯はシーフードカレー、かつおのたたき、豆腐です。
カレー頑張った(^.^)
どや・・・・・・・・!!!!!
シーフードカレーとかつおのたたきの旨さ異常…!!
田口先生も絶賛!なんて料理が得意なんだろう私たち!
たたきは田口先生のおごりです・・・!刺身をつくったのも田口先生です。おいしすぎ(;_;)
ありがとうございました!
シーフードカレーには半熟の目玉焼きを乗せました!旨そうだろう!!!
なんつてビギナーズラックなんですけどね・・・
田口ゼミ3年の村です。
少し日が経ってしまいましたが、8月9〜12日に行ったオープンリサーチ事業について書かせていただきます。
調査先は秋田県戸賀湾です。秋田県の形が右を向いた人の横顔だとすると、ちょうど鼻の頭の当たりになりますかね。
田口先生、鈴木さん、森本先生と、3年生3人、1年生2人の少数メンバーでした。
オープンリサーチ事業としては3回目の調査で、日本で唯一現存する丸木舟の実測、集落図作成は終わっています。
というわけで今回は古写真の収集と集落図の修正が主な活動になりました。
大学を9時すぎに出発し、休憩を取りつつも着いたのは夕方5時頃・・・。長時間の運転、先生本当にお疲れ様でした。
1日目は移動で終わってしまいました。
2日目から調査開始。午前中は先生方から話を聞きながら、全員で集落を周りました。
歩いていると船着き場の広場で5〜6人の現地の人々とお会いしました。話を聞くと漁業に使う網を綺麗にしているとの事。網を見てみると確かに細かい藻のようなものが絡んでいました。3か月くらいでこうなってしまうそうで、皆で暑い中掃除なさっていました。
私はその辺りから暑さによりくらくらしてしまい、先生のお気遣いにより、皆でお昼御飯&休憩タイムへ・・・
黒は光を集めるといいますがここまでの暑さだととんでもないですね・・・油断していました。申し訳なさでいっぱいです。フィールドワークでは自己管理も大切です!
午後からは先生方は以前の調査で宿泊させていただいた三浦荘という民宿に古写真があるという事で、お話を伺いに。
学生は2日目の午後と、3日目は集落図修正を行いました。前回2月の調査がとんでもない寒さだったため、涼しいかと思ってみたらとんでもない!買ったばかりの飲み物はバックに入れても1時間でぬるま湯に・・・。
そして調査内で大切なのは地元の人との触れ合い。
海水浴客の車がたくさん通りすぎる中で、リュックを背負って帽子を被り、家々の周囲をうろうろしている若者がいると、やはり興味をもたれます。
この時、話しかけて警戒心を解いてもらうよう働きかける事は結構勇気がいります。でも話しかけてみると、多くの人々が優しくしてくださり、非常に心が暖まります。こういった喜びがフィールドワークの醍醐味だと私は個人的に思っています。
3日目の午後、丸木舟について地元の方にお話しを聞かせてもらう事になり、私を含む3年2人は引き続き集落図修正、他のメンバーはその方を訪ねてお話を伺いました。
2,3日目の夕方は三浦荘の方に誘われて、心太や寒天、アイスや飲み物を頂きました。暑かった後の甘いものはとても沁みますね。
台風が近づいているという情報を得て、4日目は朝から大学へ向けて出発。帰り道ものすごい雨でした。
今回は聞書きもほんの少ししか出来ず、満足のいく結果にはなりませんでしたが、引き続き現地へ赴き調査を続ける予定です。
来年にはブックレットを出す予定ですのでお楽しみに!