みなさんこんにちは。謝ゼミ三年のbawdiesです。八月二十七日に謝ゼミで山寺へ行ってきました。
今回の学外活動はゼミ生がそれぞれ目的地を設定し、企画してきたもを皆で話し合い決めました。メンバーは謝先生、bawdies、SDK、KZ、TD(今度三人のHNを決めます)。
雨男のbawdiesがいたのに土曜日は快晴で、みんなで汗だくになりながら奥の院目指し登って行きました。山寺では多くの寺院があり、土曜日ということも影響してか大勢の観光客でにぎわっていました。各寺院を巡った後にはお昼にし、皆でソバの美味しさと山寺談議に花を咲かせました。
今回は山寺ということでSDKの計画でしたが、後期には他のメンバーの企画で学外へ出てみたいです。ちょこちょこではありますが、謝ゼミでも活動報告を中心にアップしていきますので、こうご期待!
昨日、4年生の卒論中間発表会が開かれた。
考古学ゼミでは博物館実習中の2名を除く6名が発表した。この1週間の発表準備でずいぶん考えがまとまり、研究の筋道が立ったように見えました。ひとまず御苦労さま。でも今年は例年より1カ月遅い中間発表。卒論提出日は変わらないので、このあとも気を緩めずにゴールを目指してください。
また3年生2名が、それぞれ韓国留学、韓国への短期研修の成果を発表した。いいお土産を持って帰ってきた。経験で得たものを言語に置き換えられるようこれからも努力してください。
ようやく前期の授業が終了した。
月曜日から大江町長畑遺跡の発掘が始まり、今年も考古ゼミは2現場体制で夏休みをむかえる。
戸塚山は一足早く土曜日に3年生がそろい、本格的に始動した。院生も4年生もいない現場は10年ぶり。
真新しいゼミTを着て、気合いが入る・・・・。
赤鬼が休みの土曜日、今日は「たかはた家」のランチ。和洋中それぞれ味は抜群、盛りも赤鬼に負けない・・・ここも育ち盛りの学生にはうれしいお店だ。
今日は午後からずっと雨。時折土砂降りとなるなかで、黙々と羨道を掘った。足の踏み場がなく、身動きできない体勢で掘るのは結構つらい。ようやく側壁が見えてきた。
帰ってきたら4年生が真剣な(@_@;)で仕事をしていた。
3年生、院生からアドバイスをもらって明日のレビューの準備をしているようだ。いい雰囲気(*^。^*)・・・・の演習室。
。。。。。
しかし土壇場でないと力が出せないのは考古の悪い癖(>_<)
今週は前期授業の最終週。授業の合間を縫って現場に通う日々。
現場周辺は蚊や虻や蚋の宝庫。帰り、車のドアを開けたすきに蚊が何匹も車内に入りこむ。帰路の車中、しばらくは蚊との格闘が続く。
今日は車のフロントガラスにアマガエルと虻が1匹ずつしがみついていた。虻は左右の足を交互に上げながら余裕をかましていたが、1kmほど走ったところでリタイヤ。
アマガエルも余裕をみせていたが、一瞬ジャンプして着地したところの足場が悪く、踏ん張りきれずにやがて空に消えた!
4年前まで掘っていた高畠町高安窯跡では、毎日たくさんのこおろぎが車にたかった。やはりほとんどが1km以内で振り切られていたが、ある日山形市内までがんばった一匹がいた。みんなで称え賞賛の拍手を送ったのだった。
旅する虫たちの物語である。
今日、仙台市博で「東日本大震災による城郭の被災」(第6回北日本近世城郭検討会)がひらかれた。
3.11の本震、4.7、4.11の余震により福島県、宮城県の近世城郭は石垣を中心に大きな被害を受けた。今後、どう復旧していくか、現存する石垣をどう保全していくか。議論の前提となる情報を共有し、問題点を整理するために文化財、土木工学、技能者、コンサル、まちづくり関係者、市民が集まった。
地震動(加速度・時間・周期)で石垣が崩壊、変形するメカニズムは、あれこれ理由があげられるが、どうも単純ではないらしい。各城郭ごとにこれからの調査で明らかにされて行くはずだ。
各地の事例発表を聞いていて感じたのは、石垣は裏栗石や背面地盤、基礎地盤も含めた「柔構造」物だということ。全体で揺れを吸収し、崩壊に耐える。五重塔の建築にも通じる。どこかを重点的に強化しようとすると、かえって全体のバランスを崩したり、異素材の結合部を簡略化するとそれらの「縁」を切ってしまい、ズレやひずみが生じてしまう場合がある。最近のビル建築も剛構造から、免震、制震の柔構造に転換している。
石垣には寿命がある。若い石垣は地震によく動くが振動を吸収する体力がある。しかし、たびたびの振動や風雪に耐えてきた老年の石垣は柔軟性に欠ける。大きな地震で大けがを負った石垣やもともと不健康で成人病を患う石垣もある。そしていつか崩壊する。
私たちはまだ寿命や健康状態を適切に診断するすべを持たない。今回の被災石垣はそのことの必要性を強く訴えかけている。
ところで我々は「石垣」の価値をどうとらえ、何を後世に伝えようとするのか。あたらためてそれが問われている。
?石垣遺構を残すこと、?石垣積みという土木技術(近世的な空石積み、石や土に対する自然知)、技能者を残すこと、?石垣のある景観を残すこと、?伝統的な石積みのあるまちなみや暮らしが良いと思う価値観を醸成し伝えること
こんなところだろうか・・・・・
?は史跡としての歴史的価値。現状保存が望ましい。できるだけ解体しないで「本物」あるいは「現物」を残したい。
?は無形の価値で、時代とともに変化してきた。城石垣の技術は文禄・慶長〜寛永期に一定の完成をみ、その後、時代とともに変容してきた。城の機能が変わった明治時代以降は、近代工法が導入され現在に至る。
石垣の保存には技能者そのものの継承、生計基盤の確立が不可欠だ。解体修理事業や?はその役割を果たすだろう。
史跡の石垣の修復は近代工法を駆使した崩れない「石垣」をつくることではなさそうだ。現代の我々が後世に伝えるべき(「歴史遺産としての」)技術とは何なのか。?を優先するとこの議論はおろそかになりやすい。強度、安全とのはざまでそのことをしっかり問わないといけないように思う。でないと、土木技術者にとって現代的な意味で擁壁として機能しない「石垣」は価値の無いものとなってしまうだろう。
石垣は崩壊してしまうと?の価値が一気に失われる。傷んだ石垣を放置すると、そういう目にあう。そのために診断と現況記録の必要性がようやく認識されてきた。
かといって安全・強度といって次から次から解体修理していくと平成の石垣ばかりで「本物」は無くなってしまう。?を重視するとそうなりかねない。
余談だが、崩れそうな石垣を新たな石垣(ハバキ石垣という伝統工法もあるが)や土で埋め込んでしまうと石垣は保存されるかもしれないが、本来の遺構プランや景観が損なわれてしまう。
一方で空積みの「石垣」は崩れるものだという認識を失ってはいけない。江戸や明治の技能者たちは崩れない石垣を目指して施工する一方、どこかでその限界を知っていたと思う。
崩れる石垣と共存していくというスタンス。過剰なまでに崩れない石垣を希求する姿勢、近代土木技術への盲信はその危険性への認識を薄め、そのメンテナンス意識や距離感(園路整備・防災)を狂わせかねない。「想定外の災害」むなしい言葉だ。
自然へ畏敬の念を失わず、自然災害と共存できる暮らし。石や土(木火土金水・日月−陰陽五行)と身体がリアルに向き合う技術。津波堤防や原発の安全神話崩壊に接し、我々が先人の暮らしぶりから学んだことの一つだろう。
今日の現場
前庭部から周溝が検出されました。
羨道入り口との接合部がどうなっているのか。今後の課題です。
今年も「尺ちゃん」(尺取り虫)が元気です。大小、毎日体についてきます。今日はラーメン屋に一匹置き去りにしてきました。
金曜日といえばカツカレー。考古ゼミのソウルフード。いわずと知れた「赤鬼」の金曜ランチだ。盛りは半端でない。
卒業生もみんなこれを食べて発掘を頑張った。今年はどんなドラマが待っているのか。
羨道部と前庭部にトレンチを設定し、掘り下げを進める。
須恵器や土師器片が出土しだした。やはり、羨道の天井石はすべて取り外され持ち出されていた。
米沢市教委の一行が朝から支援に来てくださった。草刈り機、チェンソーで倒木、下草が綺麗に刈り払われた。ありがとうございました。
例年、いまごろは現地説明会に向けて昼夜の作業が続く頃である。
お盆が過ぎた今日、ようやく発掘調査が始まった。
暑さは昨日で峠を越えたように思えたが、今日の現場は異常に湿度が高かった。汗が頭皮からも噴き出し、瞼につたって目が痛い。
今年は昨年度測量した106号墳の前庭部と羨道部を調査する予定だ。初日、4人で羨道部の調査を開始した。羨道の天井石がすでに持ち去られ、側壁が大きく傾いていることが判明した。天井石がないのは調査しやすいので一安心。ただし、側壁は崩壊の危険性が高いので要注意。
周囲の雑木林ではナラ枯れがまた広がった。クリなどほかの樹種にも上部が枯れてしまっているものがある。薪炭林を伐採していた時代と違い、人の手が入らない森は明らかに弱っている。
最上川河畔にある古代水駅想定地の発掘調査。
スイカの収穫を待って今年も県教委が調査を進めている。
過去3次の調査で遺跡が予想以上に広範囲におよぶことが判明した。今年は全体計画の折り返しの年。
関係者が集まって検討会を開いた。
一つのトレンチに注目が集まった。なにやら核心に迫っているような期待が・・・・
実習二日目。
入道雲がもくもくとわきあがり、気温がどんどんあがっていく。今日も暑い一日だった。
お昼休憩で立ち寄る「賜の湯」の冷水足湯が一時の涼。
4班に分かれて実施した2基の古墳の測量が無事終わった。2日間ご苦労様でした。
3・4・院生+福田先生班は、お昼休憩のあと炎天のなかを戸塚山山頂へ登山した。こちらもお疲れ様。