歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2011-09-30

土壇場を乗り越えて


 8月のお盆明けから始めた発掘調査が所期の目的を達し、予定通り今日完了した。約1ヶ月半、短い夏休み期間をまるまる費やしたことになる。その間、発掘以外のことがほとんどできなかったに違いない。季節はいつのまにか夏から秋に変わっていた。

 この1ヶ月半の時間はそれまでの日常とはちょっと違ったはずだ。物理的な時間の長さではなく、その間をどう過ごしたかという質的な時間が重要である。日々せまる課題に向き合い、土を観察し、掘り、測り、描き、考える。その繰り返し。後半は先輩や先生からプレッシャーをかけられ、あの賑やかな車のなかが何度か沈黙した。夢にも見た。自分の担当する仕事を確実にこなす。指示待ちではいられない。少しずつではあるが先を読み動けるようになった。
 発掘の1日のなんと短いことか。1ヶ月半はあっという間だった。そんな濃密な時間を蓄積していくことが人の成長や幸福感にとって大きな意味をもつように思う。
 そういう意味であなたたちはかけがえのない経験をしたのだと信じたい。人生からみればほんのわずかな時間だが、学生であるこの時期に集中して何かに打ち込んだこと、そこで得られた達成感や確かな教訓を今後の財産にしてくれたらいい。

最終日のドキュメント
 朝、3陣に分かれて出発した。石室実測班は始発電車、お掃除写真撮影班は7時、埋め戻し精鋭部隊兼応援隊は8時。
 朝から雨が降っていたが、写真撮影は今日しかない。9時前に掃除を終え、なんとか撮影を完了した。午前中は精鋭部隊が前庭部でだめ押し調査と最後の実測を行った。
 土壇場で米短の吉田先生と学生たちが見学に来てくれた。歓先生「歓」声で迎えられ相変わらずの人気者ぶりだった。ブドウの差し入れありがとうございました。それから川西町の里山と下小松古墳群を愛する会7名の見学もあった。

 そして今日はシーズン最後の赤鬼。おばちゃんたちと恒例の記念写真。食堂には毎年増える写真立てとゼミTが所狭しと飾られている。壁面を侵略してちょっと申し訳ない気もする。4年間赤鬼に通った4年生への卒業祝いもかねた滝沢屋の豆腐プリンとホットコーヒーを全員が御馳走になった。小雨降る中、外まで出て手を振って見送ってくれた。いつもながら切羽詰まった終盤にすさんだ心を和ませてくる。本当にありがたい。
 
 午後からいよいよ前庭部の埋め戻しにかかる。遺構面にその保存と発掘層位を明示するため山砂を敷く。そののちに高く積み上げられた土のうの山を1袋ずつ崩し、開封しては埋めていく。土のうの中から回収したもの。スプーン1、移植ごて1、竹べら1、竹串数本、土器片2。まあまあというところか、例年並みだった。

 土のう祭りには小雨が良く似合う。いい具合に小雨が降るなか、作業は進む。次第に訳のわからない言葉や唄が飛びかう。自我の崩壊がはじまった。
 16:00、雨が上がりブルーシートを外す。赤鬼のおばちゃんたちが食べやすいよう皮をむいて切ってくれたリンゴをほおばりながら作業に汗を流す。空腹と乾いた喉にしみいる。
 17:00、いったん埋め戻しを中断し、足元が見えるうちに撤収機材を駐車場まで運搬する。
 17:45、あたりが暗くなり、照明に灯がともる。いよいよ土のう祭りのクライマックスだ。石室からも奇声が聞こえる。南の山(通称・戸塚山城)はオバケ土のうだらけ。さすがに最後は握力がなくなり、運ぶ足がもつれてきた。詰めた本人なので文句は言えない。仕上げに埋め戻し部隊が整列し、一斉に足踏みで圧をかけた。 
 19:05、ついに埋め戻し完了!続いて19:15石室実測班も作業終了。早朝から12時間狭い石室の中で作業をした。床面の敷き石がでこぼこしていてお尻が痛かったはずだ。身動きできない石室内に1週間籠って実測するのは足腰に負担がかかる。痛みによく耐えた!・・・最後の粘りを称えたい。
 19:25、一同埋め戻しを終えた前庭部に集まり、棟梁の掛け声で一本締め。各自、空土嚢を詰め込んだ袋を両肩にぶら下げ、暗闇の林を抜けて車にたどり着く。

 20:00、高畠駅でジャンプ!ジャンプ!いったい何回飛んだことか。こんなふうにみんなバラバラで一緒がいい!
 そして、最後の車のなかはやっぱり♪ポルノグラフィティだった。

 今回の発掘調査、多くの方々のお世話で成し遂げられたことを忘れないでほしい。地権者、調理師専門学校、市教委、地元の方々、卒業生、先輩たち、見学に来てコメントをくれた方々・・・・。感謝します。ありがとうございました。
 
 さあ、これからは第2幕。遺物整理、さらには報告書刊行へと続く。しばし休息せよ。そして、この経験を就職活動に生かすのだ・・・・・















2011-09-29

ラス前


今日は全景写真撮影日。朝から清掃し、雲をまったが、夕方まで全く来なかった。ここ数日秋晴れ続きで作業ははかどるものの写真が撮れない。天気はきまぐれ、うまく付き合うしかない。明日は最終日でいよいよ埋め戻しだ。朝から雨との予報。土のう祭りにはうってつけの天気だ!

2011-09-28

研修旅行2日目〜宮島〜


研修旅行2日目は、フェリーに乗って宮島へ向かいました。

通称「宮島」で広く知られる「厳島」は、日本の瀬戸内海に浮かぶ周囲約30?の島で、1996年に世界遺産に登録されました。
最近では、次の大河ドラマの舞台としても注目を集めています。


宮島に到着すると、たくさんの鹿が出迎えてくれました。
「こっち向いて〜」「可愛い!」と、鹿をカメラに収めるのに必死になっていたら、某ゼミ生のファイルが鹿によって食い千切られる(!)という事件が発生しました。

鹿と一通り触れ合った後は、天然記念物に指定されている弥山へと行きました。
弥山は、古くから信仰の対象だった宮島の主峰であり、手つかずの自然は「弥山原始林」として厳島神社とともに世界遺産に指定されています。
台風の接近の影響からか、予想以上の悪天候で山頂付近へは行けなかったのですが、ロープウェーの移動中に見た原始林、展望台から見た瀬戸内海は迫力があり、素晴らしかったです。

次に、ゼミ生全員が学芸員課程を履修していることもあり、宮島水族館へと向かいました。
個人的には宮島水族館のアイドルこと、スナメリが印象的でした。愛くるしい表情と、観客に寄ってきてアピールしてくる(ように見える)様は、流石アイドルだと思いました。

水族館で癒されたら、宮島のメインとも言える厳島神社へ。
厳島神社は日本最大の社殿群であり、その始まりは推古元年、佐伯鞍職によって創建されたと伝えられています。12世紀に平清盛の厚い庇護により盛大に造営され、今なお平安時代の面影を残す社殿群の基礎が形成されました。
世界遺産ということもあり、海外からの観光客、修学旅行生の姿を多く見かけました。また、鮮やかな朱の回廊はどの角度から見ても素晴らしく、圧倒的で見入ってしまいました。

最後に、「広島と言ったらもみじ饅頭!」という事で、メインストリートである表参道商店街へと向かいました。
もみじ饅頭は、かの伊藤博文が宮島を訪れた際、茶屋の娘の可愛い手を見て「もみじの形をした菓子を焼いて食べたら美味しかろう」と戯れで言ったのが発祥だとの一説があります。
表参道商店街には数え切れないほどのお店が並んでいて、見ているだけでお腹いっぱいになりそうでした。
とあるお店の人曰く
「例えば同じこしあんのもみじ饅頭でも、店によって味も食感も大分違ってくる」
とのことだったので、財布と胃袋に余裕があれば、各店のもみじ饅頭を食べ比べしてみても楽しいかもしれません。

3日目に続く!


2011-09-28

研修旅行1日目〜広島県竹原市〜


こんにちは!文献ゼミ3年のasnです。
HRに引き続き文献ゼミ研修旅行一日目の様子を紹介したいと思います。

一日目はお昼過ぎに仙台空港を発つ飛行機に乗り、広島空港に到着後、車で竹原市に向かいました。

竹原市は広島県沿岸部のほぼ中央に位置し、瀬戸内海の豊かな自然と温暖な気候に恵まれた地域といわれています。
平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄えた歴史から「安芸の小京都」と呼ばれてきました。
特に上市・下市には、江戸時代後期に製塩や酒造業で栄えたお屋敷や由緒あるお寺のある街並みが今もそのままに保存されています。

道の駅たけはらに到着後、地元のガイドさんと合流し、竹原の町並み保存地区を案内していただきました。

竹原の町家の特徴は、一軒一軒に工夫が凝らされたさまざまなデザインの格子が見られるところです。これらは「竹原格子」と呼ばれ、一階部分には出格子、中二階には虫籠窓や武者窓と呼ばれる塗格子などがあります。また、竹原は過去に幾度か火災に見舞われており、そのため家を土壁にしたり、袖壁を設けたり、家と家の間に蔵を作ったりといった町並みとしての防火対策を見ることができました。





散策を終えた後は、保存地区内にあるお好み焼屋さんで夕食をとりました。皆で鉄板を囲んで食べた広島のお好み焼きはとてもおいしかったです。

ホテルに着いてからは、ホテルの建物を囲むように広がる日本庭園に皆で夜のお散歩に出かけました。ちょうど雨が上がったところで夜風が気持ちよかったです。その後、温泉で疲れを癒し、研修旅行一日目を終えました。



研修旅行二日目〜宮島〜に続きます!

2011-09-27

ぷち早出

今日はぷち早出。
いつもより30分だけ早く大学を出た。ほんのわずかでも1時間足らずの通い道、見慣れた風景が違って見え、早朝の現場の空気がすがすがしく感じられた。
最近は夕方、真っ暗になるまで仕事をしている。蛇行する林の中の小道は明りがなくても勘で歩けるようになった。1日2往復をもう30回以上歩いた。

9月13日に設定した第1トレンチの調査が今日ほぼ終了した。大雨で水没し苦労したが、あすにはいち早く埋め戻しにかかる。開発工事に伴う緊急発掘調査では、調査終了後、事業者に引き渡すので「埋め戻し」という段階がない。学術調査ならではの仕事だ。あれこれ悩んで、苦労して掘ったトレンチを(底に山砂を敷き)一気に埋め戻す。このときの感覚はなんともいえない。虚しさとともにやりとげた達成感を味わう。

さああと3日間。ほかの調査区も逃げ遅れないようにがんばろう!もたもたしていると背後から土のうが迫ってくるぞ・・・

今日は専門学校の理事長らが見学にきてくれた。生徒たちにみせたいとのこと。赤鬼では芋煮のサービス。定食食ったのに、おいしくておかわり続出。


2011-09-27

歴史遺産調査演習B

こんばんわ。

歴史遺産文献史学ゼミ3年のHRです。

今回文献ゼミでは、今月19日から23日まで歴史遺産調査演習Bことゼミ旅行に行ってきました。

4泊5日で広島(竹原市・宮島)、島根(太田市・出雲市・松江市)を巡りました。

台風が列島接近という中で向かったので、前半は想像以上に天候は悪化しましたが、充実した5日間を過ごすことができたと思います。

ゼミ旅行の詳細は、ゼミの皆さんがいろいろと書いてくれますのでご期待ください!

2011-09-26

ちょこっと大学祭


 こんにちは、準備室です。
 先週からだんだんと気温が低くなってきました。風邪をひきやすい季節になってきましたので体調管理にはご注意ください。

 さて、今月の24日・25日に芸工祭が開催されました。
 わたし自身こっそり出店していたため、あまり見て回ることはできませんでしたが、食べ物や雑貨のお店、各サークルのパフォーマンス等が行われていました。

 当日の歴産の学生の様子を少しだけご紹介します。
 下の写真は文化財サッカー部の屋台、餃子屋鈴木の様子。今年の芸工祭では焼きそばを販売していました。
 文化財サッカー部は私が学生の頃からある部活。今回もたくさんのOB・OGの方々が応援に駆け付けていました。
 この日、屋台で働いていた学生の半分くらいが考古学を学ぶ学生。連日、発掘現場に出ているにもかかわらずとても元気で、驚くと同時にうらやましくなりました。


 
 他のブースでも学科の学生たちが働いていたのですが、残念ながら写真を撮り忘れてしまいました。来年の芸工祭ではもっと学生たちの様子をご紹介できるよう頑張りたいと思います。

2011-09-26

集中すること


ピーンと張り詰めた緊張感。集中力が高まる。忘れかけていたあの頃の感覚がW君、T君とともによみがえってきた。

現説が終わって今日ようやく前庭部の床面がみえてきた。祭祀土器が羨道から南西に傾斜しながら帯状に出土。小刀も出土した。昨日検出した木棺墓?の遺構も全貌を現した。
1トレの土層堆積もやっと分層ができた。
連日、みなが平面図、土層断面図に追いまくられている。図面を描くことは遺構・遺物を観察し解釈することである。発掘とはすなわち「実測」することなのだ。遺物整理・報告書作成を通してその意味を知るだろう。

写真撮影のわずかの合間に食べたリンゴがやけに美味しかった。赤鬼のおばちゃんの差し入れ、やさしさが染みていた。

いよいよ土壇場にさしかかった。最後の力を振り絞ってやり遂げよう!

2011-09-26

3年生のがんばる姿

大学祭も終わり、また月曜になってしまいました。

ブルーマンデーな北野ゼミ4年しまです。

去る9月23日土曜日。

私たち北野ゼミが昨年から引き続き調査を行っている米沢市戸塚山古墳群106号墳において、現地説明会が開催されました。

現場での作業ももちろん大変ですが、現地説明会の前は大学に帰ってきてからやることもたくさんあります。

当日の資料に載せる原稿や図版作りはもちろん、展示する出土品のクリーニングや接合などなど・・・

それぞれの役割を果たして本番に臨んだことでしょう。

30日の埋め戻しまでがんばって!

頭と心の捻挫にお気をつけくださいね



2011-09-24

時を越えて受け継がれる信仰のコスモロジー


戸塚山古墳群は山頂に5世紀後半の前方後円墳と作りだし付き円墳(帆立貝式古墳)がある。

現在調査中の106号墳を含め7世紀後半〜8世紀初頭の群集墳は、その西麓にあり約180基の円墳で構成される。

この両者の間には200年ほどの開きがあり、直接的な系統関係をたどることはできないが、7世紀の人々の墓域の設定に、かつてこの地を支配した王の眠る山という歴史、信仰が深くかかわっていたのではないかという説がある。

ところでこの戸塚山は中世においても信仰のハヤマだった。
東麓には修験にかかわる道場跡や墓地が知られ、西麓にも墓地が確認されている。一昨年、米沢市が調査した34号墳(金ケ崎支群)では古墳を改造して、逆F字型の石室と墓道をもつ方墳が作らていた。中からは2基の木棺墓が検出された。このように古墳の石室を中世の墓地として利用する例は珍しくはない。

現在調査中の106号墳でもその痕跡が見つかった。石室の前庭部に木棺墓とみられる遺構が存在した。底には平らに石を敷き詰め、棺の上面に石を置いている。前庭部がかなり埋まった段階で掘りこんでおり、中世の可能性が高い。

古墳群から600年、700年後の人々もこの地を祖先の眠る聖なる空間、場所として認識していたのかもしれない。

今日も朝から2人の卒業生が調査に参加した。「背中で仕事をする」そんなメッセージを後輩たちに送っていた。明日は大学祭2日目、しばし現場を忘れて楽しんでもらいたい。

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