こんにちは!文献ゼミ3年のSSK48です。
研修旅行から随分と日が経過してしまいましたが、研修旅行4日目の出雲に引き続き、5日目(最終日)の様子を紹介したいと思います。
4日間かけて広島と島根の歴史的名所を駆け巡った研修旅行ですが5日目の広島の松江城が感動のラストです。
松江城は天守閣が国の重要文化財となっている国の史跡です。
慶長12年から足かけ5年の歳月をかけてに築城され、一度も戦乱に巻き込まれることもなく明治維新を迎えました。明治4年に廃城が決まり、利用できる釘や鎹などの金物が目的の入札が始まります。木材や石材は壊されるしかなく松江城の本来の形は完全に失われる寸前までになりましたが、高城権八と勝部本右衛門の交渉と懇願により天守閣だけは残り、現在も当時の姿を私たちに見せてくれています。
実は5日目の松江城は最初の研修旅行行程の予定には無かったのですが、時間的に行けそうなのでは?ということで旅行先で行くことが決定しました。なので事前調査をせずに行ってしまったわけですが、なんとか知識不足で乗り込むようなことにはなりませんでした。
なぜ知識不足にならなかったかというと松江城はかなり観光地化が進んでおり、敷地内にはいたるところに城に関する説明文があった為です。これで一般的な松江城の知識はOKでした。
見学して気になったのは先ほども書きましたがこのお城の観光地化が積極的に進められている点です。
堀川茶々丸「ブログもやってるでござる。」
この他にもイベントをしていたりして、歴史にあまり興味のない人でも来て楽しめるような模索がされているように感じました。
しかし、松江城は歴史が好きな人が楽しめる要素も満載でした。ライトからヘビーまで松江城はターゲットにしています。
個人的に実物の天守閣の内部が見れたことがよかったです。
「石落とし」(2階と3階の間に作られた石垣に近づく敵や上ってきた敵に対して石や熱湯をかけて攻撃する為に壁に作られた横長の穴。構造的に外から発見されにくい。)や、「寄木柱」(一本の柱の外側に、板を揃えて寄せ合わせ、これを金輪で締めて太い柱が作られている。普通の柱より力学的に強い。)など当時の人々の工夫を垣間見ることができました。
又、当時の人ってこのお城でどういう風な事をしていたのか?ということを想像していると分からないことだらけですごく興味がそそられました。
今回文献ゼミは広島と島根の様々な歴史的名所を事前調査した上で巡ったわけですが、実際に現地に行って実際の景観、町並み、建造物、現地の様子・空気感など文面では感じる事のできないものに触れて学ぶことは多かったです。
実際に行ってみることの重要さを感じました。
この経験、しっかり生かしていきたいです!
最後に竹原先生!5日間車の運転、本当にお疲れ様でした。
研修旅行4日目は、前半3日間とはうってかわって快晴となりました。
この日は、島根県出雲市にある出雲大社と古代出雲歴史博物館、日御碕へ行きました。
はじめに出雲大社をみて回る予定でしたが、ガイドが始まるまでかなり時間があるとのことで、先に古代出雲歴史博物館を見学しました。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社のすぐ隣に建っている博物館です。
出雲大社関係の展示は勿論、3日目に訪れた石見銀山やたたら製鉄、風土記神話、青銅器など、島根県全域に渡る歴史と文化を紹介しています。
ガイドが始まる時間までに一通りみて回れると考えていましたが、展示物がとても多く、私は常設展示室の半分もみることができませんでした。
チケットがあれば再入場できるとのことなので、博物館はひとまず置いといて出雲大社へ。
出雲大社は、大国様こと大国主大神を祭神とする古社です。
現在、出雲大社では「平成の大遷宮」が行われており、御本殿を囲む荒垣内が立入禁止となっています。
ガイドさんと共に神々の宿舎である十九社など、現在みることができる場所をまわりましたが、やはり御本殿をみることができなかったのは残念でした。
しかし、大遷宮が終わるまで大国主大神の仮住まいとなっている御仮殿で、皆しっかり御参りしてきました。
出雲大社で参拝するとき、拝礼は二拝・四拍手・一礼となっています。
ここで四拍手するのは「しあわせ」とかけているからだとガイドさんが言っていました。
昼食をとった後は、再び古代出雲歴史博物館へ。
館内の常設展示を一通りみて、特に印象的だったのは、やはり出雲大社関係の展示でした。
平安時代の出雲大社の模型は予想よりも大きく、驚きました。
次は、日御碕まで車で移動です。
根半島の最西端にある日御碕では、日御碕神社や出雲日御碕灯台に行きました。
日御碕神社は、『出雲國風土記』に「美佐伎社」と記されている古社です。
楼門を入ると、天照大神を祭る下の宮と須佐之男命を祭る上の宮とに分かれています。
楼門や回廊を含む14棟が国の重要文化財となっていて、鮮やかな赤塗りがとても綺麗でした。
出雲日御碕灯台から少し歩くと鳥見台があり、そこから国指定天然記念物であるウミネコの島、経島を一望できます。
とても景色がよく、写真撮影会になったのですが、CDジャケットのような写真が撮れ、面白かったです。
余談ですが、最終日のホテルはとても豪華で皆はしゃいでいました。
5日目に続く!
10月2日は半年遅れの卒業式でした。
久し振りにあった卒業生たちはとても大人びた顔つきをしていて、学生の頃よりもずいぶんと成長しているようでした。
卒業生全員に会えなかったことと、あまり話す時間が取れなかったことが心残りですが、無事卒業式を迎えることができて本当によかったです。
卒業おめでとうございます。
こんにちは!文献ゼミ3年のティラミスです。
宮島に引き続き研修旅行3日目の様子を紹介したいと思います。
この日は島根県のほぼ中心部に位置する石見銀山遺跡へ行きました。石見銀山は正徳5年(1526年)に九州博多の豪商、神屋寿禎(かみやじゅてい)によって発見されて以来、1923年の休山まで約400年にわたり採掘されてきた日本を代表する鉱山遺跡です。
そして自然を破壊せず、環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」であることが評価され、2007年に世界遺産に登録されました。
この日は天候に恵まれず、当初の予定を変更して龍源寺間歩と鉱山町をじっくりと見学することに。またちょっとしたトラブルもあり、私と先生は石見銀山の坂道を走って移動しました!
はじめに銀山遺跡13所の1つである龍源寺間歩へ向かいました。「間歩」とは鉱山の堀口のことです。ここは1715年に開発され、江戸時代の開堀の長さは600mに及んでおり、大坑道で良質の銀鉱石が多く掘り出されました。
内部はノミで掘った跡が当時のまま残っていました。また古文書の石見銀山絵巻が電照板で展示してあり、当時の坑内の様子を詳しく知ることができました。
次に大森町(鉱山町)へ行きました。大森町は近世に銀山の行政・通商機能をはたしたところで石見銀山とともに育まれた町です。現在の大森町の町並みは寛政12年(1800年)の火災後の再建ですが、街道ぞいにくねくねと伸びる町の特徴は当時の面影をわずかながら残しています。
また大森町を散策していると武家屋敷は切妻造・平入りの平屋で町家は二階屋が多いということ、屋根は桟瓦葺で、赤褐色の石州瓦が使用されていることがわかりました。
実際に現地に行って見ることで当時の職人の技術と心を身近で学ぶことができました。
4日目へ!