歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2011-11-26

雨中の山城


今日も目まぐるしく変わる天気。あめ、あられ、はれ、くもり・・・・
そんななか、戦国期から近世初期の山城を歩いた。
能登の要衝−七尾城だ。能登畠山氏の居城で、上杉が落とし、豊臣政権期に前田が入ってやがて廃城となった。
中世山城で、かつては土の城との見方が主流だったが、近年の調査でおびただしい数の石垣が見つかった。
戦国期と近世初期の石積みが混在しており、石垣の多義性や発展過程を知る上でとても貴重な例といえる。急峻な斜面を登っては降り(滑り)、降りては登り、当時の土木工事の大きさを知る。普段は近世城郭を歩いているので中世山城のスケールの大きさに改めて驚く。何度歩いても新発見の連続で新鮮だ。


朝、金沢から七尾まで普通電車で1時間30分。何十年振り?車窓の懐かしい風景を見ながら、沿線で掘った遺跡の数々を思い起こしていた。

帰路は北陸線でトワイライトエクスプレスの車両故障、奥羽本線の普通列車の車両故障・・・・。二つ遅れが重なって家に帰ったら日付けがかわっていた。行きは金沢まで片道7時間、帰りは8時間30分の電車の旅だった。

2011-11-23

石垣の復旧


 この石垣と対面するのは4度目になる。震災で大きな被害を受けた白河の小峰城。近世以降、かつて誰も経験したことのない未曾有の石垣崩壊が眼前にある。市ではこれから長い復旧事業にとりくむため、その準備を進めている。
どんな被害があったのか。なぜ、崩れたのか、崩れなかったのか。現状把握と原因の究明からスタートする。
 今回の「文化財の修復」は我々に様々な問題を問いかける。スピード感も大切だが、関係者とともに粘り強く議論を続けたい。

 国の3次補正予算が通り、これから調査、工事が本格化する。人間は自然とどう向き合うのか。この姿をしっかり目に焼き付けておきたい。

白河の市街地を流れる谷津田川の流域には米を搗く水車が多数存在した。この河川は度重なる水害対策のため近年改修されたが、その際に発掘された遺構(石臼・水路)の一部が復元され、展示されていた。
河川改修では河床を掘り下げ、流量を確保しつつ、護岸には風景になじむ割り石が積まれている。流れの中に置かれた飛び石や堰も白河石だ。味気ないコンクリの三方張りよりははるかにいい。復元された水車小屋はふと町の歴史を思い起こさせる。

白河藩墓所。
藩祖丹羽長重廟や松平結城家などの墓所がある。震災で灯篭や墓石が多数倒壊し、修理が進められている。白河石で作られた石造物はどれもすばらしい。ここは山形同様、譜代や親藩の大名が次から次と入れ替わり、共通する大名もいる。


2011-11-21

色紙短冊積石垣


一気に寒くなってきた。
強風、鉛色の空、雨が降ったりやんだり目まぐるしく変わる天気。北陸の冬だ。

雨にぬれた石の色が際立つ季節。
切ったままの石面は鮮やかな色合いをもつが、長い年月をかけて風化する。エイジング・・・・年相応の面構えは時の流れを感じさせて味わい深い。
発掘では、数百年の眠りから覚めた真新しい石の色が現れる。忘れ去られた往時の姿が甦りハッとさせられる。滝壺には能登半島各地から運ばれた景石が置かれていた。

金沢城跡玉泉院丸庭園の滝つぼ石垣。この石垣を江戸後期の穴太は「色紙短冊積」と名付けた。

ほぼ垂直に切り立った石壁の上部にV字形の石樋(黒色)が埋め込まれ、水が落ちる仕掛け。

色紙(しきし)は四角い石、短冊(たんざく)は長方形の石。赤と青は色紙(いろがみ)に通じる。

2011-11-19

豆穀類を調理する


最近、故あって雑穀類の調理を頻繁にやっている。今日はお客さん、学生とともにさまざまな豆穀類の調理実験をした。
ハトムギ、タカキビ、オオムギ(2種)、ダイズ(2種)、アズキ(2種)。

タカキビは脱粒しやすい。籾すりがしくにく粉食が一般的といわれるが、殻付きのまま炊いても食べられた。焦がすとパチバチはねてさながらミニポップコーン。在来種にちかい白アズキとドライフラワー用?という小さなダイズを調理した。このダイズが大方の予想を裏切り、めちゃめちゃおいしい。なんと後味がサツマイモの食味。癖になりそうだった。

市販のオオムギ、マルムギは焦がすと丸ごと炭化した。しかし、大型のハトムギやダイズは調理では丸ごと炭化することはない。遺跡から発掘される炭化種子は圧倒的にオオムギが多いそうだ。どうもこれはそれぞれの穀類の大きさや固有の調理方法と関係があるらしい。ハトムギの炭化穀粒がほとんど出土しない理由がわかってきた。

豆穀類の炊飯では、それぞれ固有の粒状コゲ痕跡ができると踏んでいた目論見はそう単純ではないことが分かった。同じ穀物でも吸水度の違いでコゲのつき方が違うのだ。逆にコゲパターンや炭化穀粒から調理方法がある程度推定できるかもしれない。奥が深い・・・・が、面白い!

2011-11-18

雪の六十里越え


もうひょっとしたら根雪かも知れないと管理事務所のおじさんに言われてあわてて現場に走った。10月に測量調査した西川町六十里越街道の石畳。補足調査に行ってきた。

弓張平の公園は冬季閉鎖に入り、街道の小川にかかる木橋がはずされていた。しかたなく川に降りて道を先に進んだ。かつての旅人は初冬の街道をどう歩いたのだろうか。シーンと静まり返った古道に、雪をはねるススキの音だけがひびく。獣の足跡が点々と並び、真新しい糞が落ちていた。

実測を終え、忘れ物の5寸釘1本と垂球1個、どんぐり少々を拾って帰ってきた。

2011-11-16

歴史資料演習・フィールドワーク特別演習 最終日



遅ればせながら、歴史資料演習・フィールドワーク特別演習、最終日である5日目です。

この日は、全員で目録作成を行いました。

最終日で目録作成が終了するか不安でしたが、

みんな手際よく進められたため目録を完成することができました。

目録作成後、目録と史料を照らし合わせ、

コンテナの数などを確認して蔵に史料を戻して、今回の作業全て終了です。

今回の演習は2年生も3年生も初めての作業が多く、戸惑いながら作業を進めていきました。

ですが、5日間の作業の中でチームワークがうまれ、無事に終了することができました!

2011-11-05

高畠まちあるき−石切り場編−


秋晴れの下、第6回高畠まちあるきが開催されました。本日はいよいよ石切り場に突入です。

石の会からは伊沢会長以下、遠藤さん、古川さん、引地さん、井田さん。そして細工石の丁場で富樫さんが合流。午前中は瓜割山丁場で最後の伝統的石切職人−後藤初雄さんから丁場割やその歴史、石キズ(バクハ、ス、クサレ、カナダマ)、石材運搬の方法などを学びました。いまみる最終形態ではなく、職人たちでにぎわっていた時代の石切り場の風景をできるかぎり復元したいという思いで、後藤さんの言葉に耳を傾けました。
ここの石は赤(黄)と青があり、赤はまちなかでもよく目にすることができる。高畠駅舎がその代表。
今日は山麓から山頂めがけて石引道と山道を登り、別の丁場や巨岩に彫られた磨崖碑なども見学した。

続いて、味噌根丁場。谷筋の石引道を上ると大きな丁場が現れる。随分早くに閉じられたようで、内部で木が大きくなっていた。石質は白色系で、瓜割に比べ風化しやすいようだ。上部には羽山から尾根伝いに遊歩道が整備されていた。歴史公園からも道があると見学しやすいので、今後活用を検討してほしい場所だ。気温が上昇したうえ、急な斜面を立て続けに上り下りしたせいで、みな大汗をかいた。石の会の年輩の方々には負けていられない。

次に羽山丁場。個人のお宅の裏山にお邪魔して見学する。石材は白色系で味噌根に似る。機械掘りに使用した切断機がもの悲しく放置されていた。

今日の最後は細越の細工石丁場。ここも個人のお宅の裏庭。灯籠の火袋など、精巧な加工が必要な製品に用いる石材である。実際に石材を見ると、粒子が細かい。反面、風化には最も弱い。神社には大量の石造物が集積されており、一つの岩塊の上面を階段のステップと鳥居の甕腹を削り出して利用したものが興味を引いた。拝殿の棟には桐と卍、菊の紋の入った切石・鬼石がのせられていた。

 初夏から始まった高畠まちあるきはこれで6回を数えた。もう秋も深まり、今年度はあと1回で終わりとなる。街並み編、石造物編、石切り場編と当面は3本立で続けていきたい。先は長いが、活動の中でたくさんの人の交流が生まれ、そこで何かが始まればいい。







2011-11-03

野焼き場


今日、チュートリで土器の野焼きをした。春以来久しぶりだった。

焼いたのは1年生が作ったものが中心。2・3年生は指導しながら、ハトムギの炊飯実験、お米の蒸らし実験をした。4年生・院生は懸案だった縄文の複式炉を作った。

近頃、野焼きの回数が減ったせいか、みなが火から遠ざかっている。調理の火はだいぶコツをつかんできた。もっともっと火と友達になろう。

昨年から実験している弥生炊飯のオキ火上蒸らし。今日の炊飯で、細長い弥生土器にはこの蒸らし方がよく合っていることがわかった。



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