はじめまして。この4月から芸工大、歴史遺産学科に赴任してきました佐藤です。
といっても昨年度一年間、非常勤として1年生・2年生の授業を担当していましたので、新2年生・3年生の皆さんで授業を取っていただいた方にはおなじみと思います。もちろんそうでなかった方も、どうかよろしくお願いします。竹原先生とともに歴史学(文献史学)を担当します(私は戦国時代以前の古い方)。
実はブログというもの、初体験です。
いろいろなことが書いてあり、「歴史遺産学科のすべてがわかる!?」という感じでしょうか。楽しく読んでしまいました。そうしたら竹原先生の一昨日の記事と出会い、「そうだ。投稿しなきゃ」と思った次第です。
どうかよろしくお願いします。
で、どうやって投稿するんだろう?あべさん教えて!
いや〜桜が満開で見事ですね!!
今日の午後から雨の予報が出ているようですので散ってしまわないように祈るばかりです・・・。
さてさて、そろそろ本題に!なんと我らが入間田宣夫大学院教授が、岩手県平泉町の魅力に迫る旅番組「東北復興祈願!ぶらり平泉 世界遺産の旅 甦れ!黄金の極楽浄土!!」に出演されます!!なんと、俳優の高橋英樹さん、フリーアナウンサーの小林麻耶さん、タレントの福田彩乃さんと平泉町にある世界文化遺産を回りながら、周辺のグルメ、観光情報を紹介する番組です〜ぜひご覧下さいね♪
◎番組概要
放送日時:2012年4月28日(土)10:30〜11:25
放送局:YBC山形放送局(日テレ系列)
番組名:東北復興祈願!ぶらり平泉 世界遺産の旅 甦
れ!黄金の極楽浄土!!
出演:高橋英樹、小林麻耶、福田彩乃
制作:テレビ岩手
はじめまして。竹原ゼミ3年 KUSSY です!
この度、歴さんブログデビューです。うれしいです!これから次々と竹原ゼミ3年がブログデビューですので皆さんお楽しみに。
さて、本日は初のゼミ授業でした。前回はガイダンスと軽いお話でしたので、今回から本格的に文献史学のいろはを学んでいきます。ドキドキですね!わくわくですね!
今回は先生の提示した史料を、図書館に行って辞書を使い悪戦苦闘しながらどうにか訳そうとゼミ生で頭を抱えました。結果、最終の話し合いでは予想外の展開を見せ充実したゼミでした。すんなり解決は出来なかったのですが、ゼミ生の取り組みに先生も満足そうでした!
ゼミ気合い入れていきますよ!
本年度から歴史学の課外活動を実施することにしました。
古文書調査もくずし字を読むのも大学の講義や演習だけではどうしても限界があります。ホンモノの古文書に触れてみたい! くずし字が読めるようになりたい! といった学生にはぜひ参加していただければと思っています。
参加者は随時募集しますが、とりあえず4月24日(本日…連絡が遅くてすみません…)17時から本館509(竹原研究室)でガイダンスを行います。
経験不問です。学年も学科も越えて楽しく勉強できるところにできればと思っています。
約3ヶ月ぶりの歴史学からの更新です。
気がつけば人類学・民俗学にも差がつけられ、考古はもう見えないくらい遠くに行ってしまいました。
本年度からは歴史学もゼミが2つになったので巻き返しがはかれればと思っています。
さて、2年前から取り組んでいました尾花沢市鶴巻田にあるお宅の古文書調査の成果がようやくできあがりました。『歴史遺産研究』という学科の紀要に掲載されましたが、写真もカラーで見た目も良いです。
学生が主体的に取り組んだ古文書調査がカタチになるのは、これがはじめてだと思います。こんな感じのモノがこれからも作成できればなぁと思っています。
そしてもうひとつは、一関市博物館にある古文書の調査報告書です。古文書約4500点に名前を付けるという気が遠くなる作業でした。これもいろいろなかたちで学生が手伝ってくれました。
古文書調査は、歴史学という学問のためだけではなくて、地域の人が伝えてきた大切な歴史遺産を守る活動でもあります。ナマの古文書に触れながら歴史遺産を守る活動にたくさんの学生がかかわってくれると良いなぁと思います。
ということで…
春休みに、以前から行きたかった安東河回マウルに行って来た。
2010年、慶州の良洞マウルとともに、世界遺産に登録された民俗村である。良洞マウルは2004年3月に民俗のK先生と一緒に行った。チャンドクテー(庭先の味噌甕置き場、10〜20の大小の甕が置かれている)にある古いタンジがほしくて、おばちゃんに懇願したら、中のテンジャンを別の容器に移し替えて譲ってくれた。しばらくテンジャンの匂いが残っていたが、今も我が家の床の間に鎮座している。
ともに朝鮮時代の氏族村で当時の農村風景や習俗をよく残している。ここはあの韓流スター柳時元(リュウ・シウォン)の出身地としても知られ、観光客に分かるように真新しい表札がかかっていた。
村は大きく蛇行するナクトンガン(洛東江)に囲まれるようにあり、両班(貴族層)から庶民までが氏族村を形成する。韓国らしく教会もある。路地を歩くと朝鮮時代を思い起こさせる風情はあるが、修理した真新しい塀はなじむのにもうちょっと時間がかかりそうだ。そんな路地に立つ欧米風の街灯はちょっと興ざめする。なぜ?
世界遺産効果で世界各地から観光客が押し寄せている。
伝統的な生活をしている村がそのまま世界遺産になったという点では日本の五箇山・白川郷とよく似ている。一度その現状を見ておきたかった。
村に入る前にガイダンスもかねた仮面劇の劇場がある。満員立ち見の盛況だった。
見終わると村の中をぶらぶら歩き、1軒の旧家に飛び込んだ。縁側に腰をおろしハラボジから話を聞いた。
自分は村の小学校、安東の中学、高校を出て、テグの大学を出た。それからソウル支庁で公務員の仕事を務め、定年してから村に戻ってきたという。村は昔は300軒あったがいまは110軒に減った。空き家もずいぶん多い。この家は築250年。さほど古いほうではない。村の伝統的な秋祭りは保存会をつくってなんとかやっているが、昔と違って見せる内容に変わってきたという。
世界遺産になっていいことあった?と聞くと「なんもないさ」という。よくよく聞くと、年1回の藁屋根の葺き替えや建物の修理は全部国がやってくれるのが助かるわ。
一番困ったことは?
観光客が中に勝手に入ってきて、敷地にある農具やチャンドクテーの甕の蓋をあけることだという。中にはテンジャンやカンジャンの味見していく輩がいるそうな。このお宅の門をくぐって最初に気付いたのはチャンドクテーが無いことだった。そういうわけでお母さんの家に全部もっていったそうだ。
ドキッとした。そんなことをする奴はけしからん…と思いつつ、身に覚えがないわけではなかったから。でも私は主に声をかけて許可を得てからやっているから・・・・
同様の苦情は観光公害として五箇山などでもよく聞く話だ。気をつけよう。
村では多くの家が民泊(民宿)できる。大きな部屋で100,000ウォン(8,000円ほど)何人で泊まってもいい。安上がりだ。小さな部屋だと4,000円ほど。日本の大学生も時々泊まりにくるそうだ。若者と語らうのが楽しいのだともいってくれた。
西日が差し込む縁側で、もちこんだマクワウリをかじりながらハラボジと長々と話しこんでしまった。夜通し語りたくなるくらい心地よい時間だった。
村を出る最終のバスに乗り遅れると駐車場まで相当歩いていかないといけない。あわててバス停に向かった。
お正月、3月にまた来るよ!っていって別れたSさん、Uさんを訪ねてD村に行って来た。
ポター達は異口同音に今年はめちゃくちゃ忙しいという。ポターが減ってきたのに反比例して土器需要が増えたのだ。ここ2〜3年で40名から20名ほどに減った。
新たな土器需要の原因は、現金収入の手段として始める人が多いヤンパラ(パラゴムの木の栽培)だ。苗木を買って、水遣りをして5〜6年たつとゴムが採取できる。苗木の水やりに使われるのが村で作っているモーケンという小型なべ。周辺村落からも注文があるという。
D村のJさんは昨年9ライ(1ライは1,600?)に800本あまりを植えた。1本は65バーツだ。水遣り用のモーケンを300個買ったそうだ。
土器は器壁から水が徐々に染み出すので水遣りには最適なのである。
割のいい収入を得るために土器作りをやめて行うゴム栽培に、土器が多数必要になるというパラドックス・・・・
ウボン空港からバンコクスワンナプーム空港へ。そして深夜便で成田に帰ってきた。
乗り継ぎ時間が短かったのと、空港が込んでいたので「プレミアムレーン」と書かれたカードをもらって、近道させてもらった。世界各国の航空会社のパイロットやスッチーがずらりと並んでいた。こんな短時間に短距離で出国できるのなら、これからはギリギリにしよう・・・・と考えたが、これがいつものトラブルのパターンだと、思い直した。
東京からの帰路、山形新幹線からみた置賜盆地は真っ白だった。
BAN・PAAOは鋳造の村だ。いまでも伝統的な方法で寺院の仏具やお土産物の鈴などをつくっている。
カヨームの木からとったキスーという樹脂を上手に使う。
昔は男だけの仕事だったが、今では家内工業的に女性や子供も手伝っている。
本体と紋様はすべてキスーでできている。内型・外型は粘土。大きいものだと籾殻をまぜる。型ごと焼いてキスーを蒸発させ、銅(真鍮)を流し込むと製品ができる。
帰りは陸路で国境をこえる。ラオス側ワンタオからタイのチョンメックへ。道路舗装がいきなり良くなり、右側通行から左に変わる。タイに入ると「帰ってきたな」としみじみ思う。一気に安心感が漂う。
ウボンラチャタニーで泊まる。やっぱり今年は蚊が多い。洪水のせいだろう。C先生家族と夕食をいただく。奥さんは大学の数学の先生、高校生の長男はX-JAPANのファンだという。妹は食事中携帯をいじっている。どこの国も一緒だ。
翌日、友人と郊外ワリンチャムラップのCM村を訪ねる。1月に予備調査した土器作り村である。かつて土器をつくっていたお婆さんが3人(新たに1人見つかった)かろうじて残っている。うれしいことがあった。洪水で道具が流されてしまったよといってたおばあちゃん(85歳)があれから土器を2個作ってくれていた。
この日村のお寺の仏日。村の入り口で酔っ払いの男と女にからまれる。顔に泥を塗り、音楽をかけてノリノリ。村の中を通る車や人をみな止めて、祝儀をいただく(奪う)。
新たに見つかった高齢のおばあちゃんに土器作りの話を聞いていたら、件の酔っ払いが娘だと判明した!彼女は土器作りの経験があり、今度作るのを見せてあげるよと。しらふでも本当に覚えてるんだろうか?
村を一回りする。かつて作られていたモーナム(蓋付の新型)と無高台のモーウナムがまだあちこちの庭先に残っていた。
タイでは叩きの際の内面当て具を「ディン(土)ドゥ」が呼ぶのが一般的である。この村では「ヒン・ドゥ」と呼ぶ。以前、ウボンから1時間30分あまりのアンプ―・ケマランのS村で「ヒン・ドゥ」と呼んでいたのを思い出してノートを見た。この村では10年前に最後のポターが90歳で亡くなり土器作りは途絶えてしまった。
息子さんの話だと母親はワリンチャムラップの土器作り村から来たという。その時に記録した土器とCM村のものを比べたら形はそっくりだった。合点がいった。
村人たちが集まり、お別れの会を開いてくれた。
村長が別れの呪文(祝詞?)を唱える。厳粛な感じ。
一通り終わると、健康と再会の願いを込めてみんながミサンガをまいてくれる。すさまじい勢いであっという間に手首が包帯のようになった。
それから壷酒を酌み(吸い)交わす。水が危ないなどとは言ってられない。アルコール消毒してるからいいんだと誰かが気休めを言う。どぶろくは薄めにのばしてくれていたので助かった。濃いところは自分たちで飲む作戦か・・・この時ばかりは男たちが顔を出す。
女たちも我々がおみやげに持ち込んだビアラオを一緒に飲んだ。村中の老若男女があつまる。今度会う日まで、お互い達者でいましょう。