震災でダメージを被った二本松城跡の石垣。
いよいよ復旧が始まった。平成にはいってから解体修理して整備した石垣だった。おかげで地震に耐えた所がある一方で、持病の古傷(歴史的に何度も修理されてきた箇所)はまたしてもやられた。なんとか耐えたが寿命が縮まった部分も少なくない。これからの健康診断が欠かせない。
修理個所の解体調査では原因究明が第一である。
石垣は柔構造、ほんとうに生き物のようである。
法隆寺が世界遺産に登録される際、イコモスの委員は、この木造建築は何度も修理されてきていて真正性がないと疑問視した話は有名である。
しかし、オリジナルであることに真正性を求める「石の文化」に対して、朽ちることを前提に、適切な修繕を行い、資源を有効に使い持続的に作り替える行為こそに真正性があるという全く異なる価値観を提示して、登録にこぎつけた。
いまではむしろこのような有形の世界遺産のなかにある無形の価値の重要性が高まっている。石見銀山が登録されたのもそうだ。
近世城郭の石垣はどうだろう。
確かに石の文化遺産である。しかし、石垣は寿命のある記念物であり、日本の国土にある以上、地震や大雨は避けられない。石垣は修理し続けないと存続はしえない。江戸時代からそうやって今に残ってきた。
オリジナルの真正性を残すことを第一にしつつ、同時に修理し続ける姿勢や技術の中に、倫理や伝統技術の価値(自然と人との関係−自然知・持続可能な技・身体技法)を引き次いでいく真正性が求められなければならない。
震災で崩れた城郭石垣はいま一斉に解体・修理が始まっている。
一連の修理工事を通して、東北の人々が災害と共存しながら、歴史的遺産をどう引き継いで新たな社会や価値観を作っていくのかが問われているような気がする。
世界遺産をめざす佐渡金銀山の遺産。鶴子銀山代官所跡と鉱山集落−荒町遺跡の調査が始まった。
400年前の鉱山町と代官所がひっそりと山の中に眠ってきた。遺構の保存状態はきわめて良好。
荒町は国史跡上相川の鉱山町の原型をみるよう。階段状に造成された町とその頂部に鎮座する神社跡(大山祇?)。水場や道路跡は往時の町の姿を彷彿とさせる。
こんばんは、佐藤ゼミのトマトです。
7月も目前になって私の番が回ってきました、ドキドキします。
これで佐藤ゼミ全員が歴さんブログデビューを果たしました。おめでとー
さてさて、今週の佐藤ゼミも発表でした。タイトルの通り、全員2回目の発表が終わりました。
今回も上杉が登場しましたよ。確か。
ゼミ旅行についても、宿が決まって宿係の人に予約をお願いしました。
飛行機も決まりそうです。…確か。
なぜこんなにあやふやかというと、今週はパーカーちゃんと私の発表だったのですが、
緊張で全部吹っ飛んでしまいましたごめんなさい。緊張をほぐす方法を知りたいです。
そういうわけで、今回はこれで終わりたいと思います。
佐藤ゼミのみんな、来週から3巡目がんばりましょう。あとごめんなさい。
こんにちは、準備室です。
今回は昨日行われた民俗・人類学基礎演習1の様子を少しだけご紹介します。
この日の授業内容はスケッチ。演習室でスケッチのレクチャーを受けた後、大学の敷地内で各々好きなものを描いていました。
山形も近頃は夏まっしぐらで、暑い日が続きますね。みなさんこんにちは、謝ゼミ4年のBawdiesです。
さて、今回は先日の6月18日に行われた2年生の演習にお邪魔してきたので、その様子をアップしていきたいと思います。このたびの演習では山形大学付属博物館を見学してまいりました。
今回、お邪魔した山形大学付属博物館は、山形大学の小白川キャンパスの図書館内にあります。
旧制学校時代から山形の古文書や民俗資料、土器、自然科学に関するものなどを収集し、現在は収蔵しているものを展示しています。
この山大付属博物館なんですが、なんといっても学芸員さんが面白い!そして親切な解説!といった印象を受けました。2年生の皆さんも気になったことを質問し、勉強になった様子です。
今回は山大付属博物館へお邪魔しましたが、とても学芸員さんの説明や展示品からは参考になることばかりでした。
これからは暑さも増し、夏本番!卒論の中間発表や夏のオープンキャンパスがあり、イベントも増えていきます。体調管理や多くの体験をし、充実した学生生活を送っていきましょう!
以上、謝ゼミの熱血漢Bawdiesがお届けしました。長文ありがとうございました。
上州下仁田といえば、ねぎとこんにゃく。
高崎駅から上信電鉄の電車にのって下仁田に行ってきた。
高崎から下仁田までは20駅、1時間で到着する。始発の高崎駅では、途中に大学もありおしゃれな若者とお年寄りが混在する微妙な雰囲気。1時間はやや短いが上州路の風景を堪能できる。
開業が明治30年と古いのには驚いた。我が故郷の北陸本線よりも早いとは。
銀河鉄道999のキャラクターが描かれた車両が人気のようだ。
「男おいどん」や「大四畳半」シリーズ、わが青春のアルカディア・キャプテンハーロックにはまっていた遠い昔を思い出しながらローカル線に揺られていた。
下仁田はいま、世界遺産(史跡荒船風穴−蚕種貯蔵施設)とジオパークの町としても売り出そうとしている。
こんにちは、準備室です。
今回は学科1年生の必修科目である考古学基礎演習1についてご紹介していきたいと思います。
今年の考古学基礎演習1では、土器の作成から土器調理実験の使用痕観察までを通して行います。
パソコンの前の皆さん、こんばんわ。
佐藤ゼミのstagです。
無事、私の2周目も終了し、昨夜は約12時間爆睡していました。ブログを更新している現在も眠気が襲ってきています。誤字脱字がありましたらご了承下さい。 大学に入った頃は、完徹とか当たり前だったのに。
さて、今週のゼミですが、上に書いた通り、私の番でした。佐藤ゼミの皆さんはご存知だと思いますが、「青苧」というワードにピンときました。そういえば、前々回の発表のなかでも青苧が出てきました。というか、結構同じワードがでてきて、そのたびに私は興奮しております。
1周目のわたしの発表の時に大きく転びましたので、多分、来週にはテーマ決めないと間に合いませんね。これから、発表の方々は頑張ってください。
ゼミ旅行は、宿が決まりつつあり、予約?を宿係の方が連絡してくれるそうです。あとは、行きたい場所とかツアーみたいな感じで考えております。出発は仙台空港なので、山形組(というか男)は前日からカラオケで盛り上がろうと目論んでおります。…多分、無理です。
ネタがなくなり、眠気もやばいので、この辺でパソコンを閉じることにしま……あ、ニコニコ見なきゃ。皆さん、夜更しはほどほどにしましょう。
第9回高畠まちあるき。二井宿街道を歩く旅はようやく駄子町に入った。梅雨の雨が心配されたが今日もお昼前から青空が広がった。
今日一番興奮したのは「万力台」、次いで「藁打ち石」。
この万力は自転車店をはじめた現在の御当主Cさんの先代が購入されたもので、もう70年近く使っているらしい。屋外に設置してあるため表面は錆びているが、油はさされており普通に使える。
そして、ただの万力ではない。ここは高畠。近所の石工のYさんが高畠石と合体させて多機能な万力台に仕上げた。自転車のフレームの矯正などにも使えるように細工され、地面に埋め込まれしっかり固定されている。
現在の万力台は2代目。現当主が作業場を新築した際に、Yさんの息子さんが新たな石材で万力台を作ってくれたのだという。これまでもさまざまな生業と関わる高畠石のあり方を見てきたが、この万力台はわたしの「一押し」である。
江戸時代以来続く伝統櫛の作業台に「石馬」という多機能成形台がある。江戸前では土台は石製なのだが、庄内田川では重量感のある木が用いられている(昨年卒業した設楽さんの卒論から)。
万力台は普通は木だと思うのだが、ここでは石なのだ。そこが高畠らしくていい。土地の資源と伝統の道具をコラボし、大切に使い続ける人の姿がここにもあった。
自分が何に惹かれるのか・・・・。あらためて知る出会いだった。
Cさんのお爺さんはなんと「細越」最後の石工Cさんの父親と兄弟だったということが判明。お二人は越後西蒲原からきた船大工だったとのこと。意外なところで人と人がつながってくる。これもまちあるきの楽しみだ。
Aさんのお宅は現代的なコンクリ基礎の住宅。玄関脇に何気なく直径50センチぐらいの厚みのある石が置かれていた。
聞くと、これは15年あまり前に解体した旧宅の土間に設置されていた「藁打ち石」だという。地面から頭を10センチほど出し、残りは地中に埋めてあった。藁打ち石は縄ないなど、冬仕事に欠かせない道具である。
旧宅を解体した際、わざわざ掘りだして保存しているそうだ。石臼などもあった。引き込み線の元をカバーするのに陶製の酒樽(かつてはどぶろくを作っていた)を埋めているのも粋である。