竹原ゼミ最終日は、飛行機の時間が11時ということで、ホテル近くの福岡市動植物園に行きました。
朝早くで眠そうな動物たちを走るように見ました。それでも、見切れないほどなかなかに広い動物園で、植物園は割愛しました。残念…
それから急いで福岡空港へ。ダラダラとガソリンスタンドを探したり、道に迷っていたら、いつの間にか飛行機の時間が迫っていました。「本当に間に合うのか?」という不安にかられながらもギリギリ到着。レンタカー屋さんのご好意もあり、スピーディーに手続きをして、何とか飛行機に乗れました。
今回は、とにかくゼミ内の結束が固まったことが一番の収穫でしょうか。運転手が疲れて眠る中、毎晩夜中まで語り合っていたようです。
この結束がこれから良い方向にあらわれることを期待します。
※動物やゼミ生を写した画像が行方不明になりました…
なので、今回の個人的なお目当て場所の画像をのせておきます
どーも。フレームinマツジュンこと(□_□)です。ずいぶんと遅くなりましたが、ゼミ旅行の更新します。
4日目は、地獄と博物館と神様を見に行きました。終盤ですが、結構過密なスケジュールです。
まず、最初は地獄に行きました。別に死んだわけではなく、別府にある珍しい温泉噴出口のことです。奈良時代の「豊後風土記」にも記載されているそうです。8カ所あるうち、血の池地獄と鬼山地獄に行きました。
血の池地獄は、文字通り血の如く赤い温泉が湧き出ている地獄です。赤くなる理由は、説明すると長くなるので端折ります。
鬼山地獄は、約99度近い熱湯がまさに噴出している地獄です。この温泉熱を利用して、日本で初めてワニの飼育を始めたことからワニ地獄とも呼ばれています。まさにワニでした。
次は、いよいよ九州最後の県、福岡突入です。その移動中、地獄で妖気を吸いすぎたのか、鬼太郎が「寝ます!!」と高らかに宣言しました。
福岡の最初は、博物館に行きました。ただの博物館ではありません、「九州国立博物館」です。東京・京都・奈良の国立博物館も有名ですが、九州にもあるんです。他の国立博物館が美術系であるのに対し、こちらは歴史系博物館として設立されたそうです。展示も面白かったのですが、体験コーナーでやった、中国の変わった独楽が楽しかったです。
次は、神様を拝みに行きました。福岡で神様と言えば、全国の受験生の味方、学問の神様・菅原道真を祀っている太宰府天満宮です。「遊んでばかりじゃ駄目、学業も大事!」ということで神頼みに。全国にある天神様(道真)を祀る全国12,000社の総本山だそうで、年間を通して受験合格や学業成就などを祈願する参拝客で賑わっています。が、着いたところで生憎の大雨で観光客も疎らでした。それでも、お参り、絵馬奉納をしっかりして、おみくじも引きました(大吉でした)。
福岡で見るべき場所をクリアしたので、道路事情に戦々恐々としながらホテルへ。そして、お土産を買いに福岡の街へ出ました。仙台や東京とは違った雰囲気の都会でした。次の日には、帰ってしまうので打ち上げをしました。みんな気が抜けたのか、結構飲んでました(鬼太郎が特に)。
次はいよいよ最終回。最後の〆は誰でしょう。あの人か?あの人なのか?宜しくお願いしま〜す。
ゼミ旅行から帰り、今日は群馬県下仁田町荒船風穴(世界遺産暫定リスト)の石垣解体調査に行って来た。
あいかわらずの残暑。いつものように半袖シャツで出かけたが……
現場に着くと?みなさん長袖のジャンパーを着ている。
このところバタバタしているせいか、想像力が欠如していた。ここは荒船風穴。夏でも2〜3℃の冷気が噴き出す場所だ。今日の遺跡の外気温は18℃。石室の中に入るとまるで冷蔵庫の中にいるよう。
石積みの観察をはじめてすぐ、雷鳴とともに土砂降り雨となった。冷気の中でずぶぬれになり震える時間だった。
それはともかく、解体調査の結果は思わぬ事実だった。
表面からみていた石垣の積みはお世辞にも上手と言えるものではなかった。1号風穴は明治40年代に施工されたものだが、不揃いな割り石を隙間だらけに積んだ石垣で、よくいままでもったといえるシロモノだった。
ところが、解体してみると背後には木端石の裏込め層があり、さらに背後には自然の巨大岩塊の隙間を埋めるように石積み壁が存在した。岩塊の奥から噴き出す冷気を石室内に取り込むようにあえて粗い割り石を積んで隙間を作っているのだ。石材の尻には摩擦を増すための「介石」を詰め込んで構造の安定をはかっている。
山側の冷気の出口は粗い石積み、谷側は冷気を閉じ込めるために密に積み上げ外からは漆喰を塗りこめる。石材加工と積みを場所によって使い分けている。
いつも城石垣を見ている立場から、これまでは近代の稚拙な石積みという先入観で見ていた。やられた!という感じだった。
壁面の崩壊の理由もある程度明らかになった。上部の小屋掛けが無くなって、裏込め層に土砂が流入。目詰まりを起こし、上部に厚い裏込め層の荷重が石垣にかかり孕みを増していったのである。水分を含んだ土等の凍結膨張も要因の一つである。
石垣修理ではこれらの技術的特徴、崩落要因を踏まえて設計・施工する予定である。
先人達は冷気が噴き出す山(自然)を熟知し、養蚕という生業技術と組み合わせることで、この遺跡を形成した。石積みのワザといい、当時の人々にとっては当たり前のことだっただろう。
自然と関わりながら暮らす人々の「日常」。それが私たちの辞書であり先生である。繰り返し紐解き、学んでいきたい。
補足:解体調査を担当しているのは卒業生の佐野君。私が山形に来た時、4年生だった。不思議な縁である。
あれえぇ、めちゃくちゃ更新に間が開いてしまいましたね;;
お久しぶりな佐藤ゼミのラクガキ担当ボーダーです。
みなさん、まだまだ暑いからといってクーラーとかガンガンにしちゃいけませんよ、ガンガンにしちゃいけませんよっ!
…大事なことなので2度言いました。決して私がそれで体調崩してたとかそんなんじゃないですからn
そんなことよりも
今回で佐藤ゼミのゼミ旅行レポも最終回。長かったようなそうでもなかったような(長く感じるのは更新に間が開いたかr)
四日目最終日は朝から電車に揺られ乗り継ぎ石山寺へ。
みなさま石山寺ご存知ですか?私はこの旅行の事前調査するまでしりませんでした(ちなみに私が担当でした)
紫式部やその著書である「源氏物語」がお好きな方はよく知ってると思います(ちなみに私は苦手な文学ジャンル…)
お寺ということでみんなの脳内には二日目の長く険しい山登りが浮かんでいましたが、実際はそんなこともなく。
歩きながら読む「源氏物語」なんて企画展もあり真剣にパネルを読むメンバー。
御本尊の如意輪観音様の手と繋がってる結縁の綱を握りひたすら『就職活動がうまくいきますように』とお願いしていた私ですが他のみんな何をお願いしたのでしょうか。
また、多宝塔としては日本で最古というものをすごく間近で見ることも出来ました。うおおおお本物やあああああ。
(そのすぐ近くにあった芭蕉庵に反応してたのは私です)
今回の旅行では、なかなかスムーズに事が運ばないこともありましたが、「ホンモノ」に出会うことができそれぞれがいい体験をして帰ってこれたんじゃないかと思います。
少なくとも私は貴重な体験をしましたから。
関係ないことで分かったことは、山登りをしていると体力はなくなってもテンションはすごく上がるという事ですかね(※二日目の私とパーカーさん)
そして、そんな人たちを先頭にすると道に迷うという事ですね!(※私とパーカーさn)
あと、私事ですが。先生含めゼミのメンバーのみなさま。
あのような表紙になってしまったことを深くお詫び申し上げます(焼き土下座)
竹原ゼミのゼミ旅行ブログも中盤です!大分県担当の鬼太郎こと KUSSY です!3日目は、熊本から大分の田染荘周辺までの移動時間が3時間という旅行中最長の日でした。毎夜の馬鹿騒ぎで寝不足な人or寝てる人、牛乳が祟って腹痛な人、割と元気な人、不慣れな土地の交通事情にガクブルな先生、ガイドな私…etcをのせて楽しげにBOXYは走りました。
大分県で最初に訪れた場所は、日本三阿弥陀堂のひとつに数えられる富貴寺です。現存する九州最古の木造建築物で国宝指定を受けています。高校時代の教科書に取り上げられていて富貴寺のことは写真では知っていたのですが、実際に目の前にしてみると、緑と静寂の中佇む大堂の姿は美しいの一言に尽きました。大堂の中に入ると本尊の阿弥陀如来座像が暗闇の中ライトに照らされ目の前に現れました。その幻想的で静かにこちらを圧倒する様に、一同暑さも忘れて息をのみました。
そして、本日のメイン!田染荘小崎!!2年時に岩手県一関市骨寺荘園遺跡を学んでいたので、先生の発案で訪れました。というのも、「北の骨寺、南の田染」と並列で語られるほど2つの荘園遺跡は、古い形の水田景観が保持されていることなどの特徴を同じにします。バットタイミングなことに現地ガイドさんを諸事情により付けられなかったので、田染の代表的な視点場、間戸の岩屋へ…不安定な足場&急勾配をのぼる!ノボル!登るっ!!やっと辿り着いた山頂の絶景は格別でした。みんなの「わぁー」という感嘆の声と曲線の田園風景はいい思い出です。
そのほか、真木大堂と熊野磨崖仏を訪れました。真木では仏教芸術心を打たれ、熊野ではまたもや行く手を阻む不安定な足場&急勾配にもめげずに登り切り石仏と対面することができました!
さらに!この夜の宿は湯布院!ルンルン気分で乗り込んだのは良かったのですが、思わぬトラブルが旅の仲間BOXYに発生。ゼミ生と先生の力で乗り切りました。みんなで笑ったり、楽しいことしたり、ぶらっと散歩したりはもちろん良い思い出ですが、顔を蒼くしたり、焦ったりな場面もまた旅の思い出。先生、お疲れさまでした。
次はフレームinが得意技の福岡担当、大内です!乞うご期待!
前回に続き熊本です。
ちづるんが十分熊本の楽しさを伝えてくれたので、さらりと。
【熊本城】
夏目漱石内坪井旧居のあとは熊本のメイン!熊本城!
いやー、想像以上にでっかい!さすが日本三名城のひとつ!
自然の地形を利用した石垣は、敵に対する備えでもあり、その美しい曲線から「清正流石垣」とも呼ばれるそう。
これは50日もの籠城に耐えられるはずですねー。攻めたくなくもなる!が、主要な建物は火事で焼失してしまったそうです。なんてこった。けど忠実に復元された天守閣、本丸御殿は見ごたえありです。
暑さ&グラバりすぎでへろへろになっていた私たちを迎えてくれたのは…誰だっけ‥。なんか城の主、清正様の家臣だそうです。空気の読めない観光客ですみませんでした。お互いにつらかったですね。有難うございました。
夕ご飯は熊本城近くの飲食物販施設「桜の馬場」で。頑なに「焼き肉くいてぇ」というO脚は完全無視です。ビュッフェレストラン「ぎんなん」でしゃぶしゃぶ&惣菜食べ放題!追加で熊本名物馬刺しも注文して豪華なディナー!綺麗なもの見て美味しいもの食べて…なんて贅沢な旅なんだろ!熊本さいこー!次は大分ですね。くっしーばとんたっち。
二日目は熊本。熊本を案内する担当はキュアチヅルンとあかねちゃんが分担しました。あかねちゃんと内容がかぶることがあったらすみません。楽しかったんだもーん!
私が熊本で担当したのは蓮華院誕生寺奥之院と夏目漱石内坪井旧居です。(その後、あかねちゃん担当の熊本城に行きました。)
【長崎から熊本へ】
まず、長崎から熊本まではフェリーで行きました。初フェリー!水平線!直前まで車酔いしてた私ですが、こんなきれいなものを見たら具合悪いの吹っ飛びました。海を見てると、頻繁にエチゼンクラゲを見かけました。赤いやつ。本当にいっぱいいて、みんなで「きもいきもい」言いながら探してました。
熊本についてからは、エイコさん(竹原先生のおばさん)にお会いしました。すごく優しくて天真爛漫な、素敵な人でした。美味しいパンとフルーツをお昼にいただき、熊本旅行についての相談に乗ってくれました。エイコさんがくれた矢印つきの地図のおかげで、結構な山道もすいすい走って迷わずに蓮華院まで辿り着きました。
【蓮華院誕生寺奥之院】
今回の旅行で熊本を担当することになった際、熊本のどこに行こうか、と、あかねちゃんと一緒に悩みました。悩みすぎて、
「パワースポットに行きたい!熊本旅行にも自然要素を取り入れよう!」
と、高いテンションで決めました。そこでネット検索したところ、この蓮華院誕生寺奥之院がヒットしたわけです。
蓮華院誕生寺奥之院はけっこー広いお寺。敷地内にいろんな建物がありました。護摩堂、仁王門、五重の御堂、相撲道場…ほんとにたくさんありました。蓮華院のこと舐めてたので、想定していた時間では全て回り切れませんでした。
五重の御堂に上って、おみくじ引いて、展望所に行って、少し散歩して、天気もすごく良かったので、気持ち良かったです。神社とお寺の違いがよくわかんないけど、蓮華院に来てみてさらにわかんなくなってしまいました。宗教ってなんじゃい〜どっせーい!
【夏目漱石内坪井旧居】
蓮華院の後は、夏目漱石内坪井旧居。ここは熊本で漱石が教師をしていたころに住んでいたお家です。小さいお家なので、ガイドさんいなそうだなーと思ってたんですが、受付にいた職員の方が案内してくれました。運が良い!
夏目漱石の骨格をもとに作られた声を聞きました。美声。漱石の生い立ちなんかも聞きました。けっこー壮絶でした。あと、漱石の奥さんの話も聞きました。奥さんも大変そうでした。
漱石は小説家としては10年ぐらいしか活動していなかったようです。死んでしまったので。それでもお家を遺族でもない人たちが大切に残してきたのが、私は不思議でした。この件に関しては、大分の夜、みんなと共有したので、みんなも思う存分、悩むがいい。
熊本の記事はこんな感じで。次回はあかねちゃんが熊本の続きを書いてくれます。
今回この研修旅行を通して、いつもの授業じゃ見えてこないような、素のみんなが見えてきました。そして素の自分も。普段は自分の満足よりも他人の満足を考えがちなみんなだけど、やっぱり5日間もずーっと一緒にいると、みんなといることに、慣れます。自分のこと、きちんと相手に話すようになりました。その中で、ほんとはこの子こういう子だったんだ、みたいなこともたくさんありました。
この旅行で、一緒にいるのが嫌だと思うことは一度もなく、私なんかは寝ちゃうまでずっとみんなと喋ってたいと思ってました。もっとみんなと話したいです。うぇい!楽しかったよー。私はもっと君たちと友達になりたい!らぶ!
そんなキュアチヅルンでした。
一日目長崎担当の佐々木です。
行きと帰りで一番イメージ変わったのはO脚後藤だと思っています。
長崎で一番最初に行ったところは長与専斎旧宅です
「日本の衛生の父」と言われる人物の旧宅です
ここでみんな蚊に刺されます
↑わたしは九州で14カ所ほど刺されることになります
熊本あたりでかゆみに苦しめられるとは…
次に古田山疱瘡所跡へ
専斎の祖父に関係する場所です
ここでキュアチヅルンに「せつこ」というニックネームが。
一番定着したニックネームです
その後一度ホテルにより出島へ
旅行クラブをバカにしていた私。
途中出島とは正反対の方向へ歩こうとしてました
出島は江戸時代の頃の建物が復元されていました
やはり商館長カピタンの部屋が豪華でした
カピタンにも会えました
そして路面電車に乗り、大浦天主堂・グラバー園へ
大浦天主堂はゴシック調の国内現存最古の教会堂です
一番行きたかった所なので大満足!
中にずっと座っていたいくらいでした
ライトアップされたところもとても綺麗でした
グラバー園では
鬼太郎トラップの鯉が。餌をあげて満足そう。
その様子を私たちはドックハウス2階から眺めていました
グラバー園でも蚊に刺されます
もう10カ所超えでした
途中グラバっちゃいましたが夜ご飯を食べに中華街へ
頼みすぎて食べきれないんじゃ…と思いましたが
先生とまさかの小食せつこが頑張ってくれました
長崎はこんな感じでした〜
二日目は熊本県です
私はくまもんに大ハマりします。
ゼミ旅行3日目担当のstagです。2日目の弁慶に引き続き3日目の出来事を書いていきたいと思います。
3日目は竹生島と小谷城戦国歴史資料館を巡ってきました。
竹生島では、宝厳寺観音堂、弁才天堂、三重塔などを見てきました。
竹生島は、島全体が一枚の花崗岩で形成しているそうで、個人的には、そちらの方に興味がいってしまいました。
小谷城戦国歴史資料館では、浅井亮政から山中与三左衛門に宛てられた書状や、笏谷石製のバンドコ(行火)や五輪塔が展示されておりました。
では最終日の方にバトンタッチしたいと思います
歴史遺産調査演習B担当の後藤です
とりあえず序章なので
九州に行くまでの過程を書いていきたいと思います
あれは、5月、6月頃のことでした
ゼミのあとに時間がちょっとあまったので調査演習Bでどこに行くかっていう話になりました
先生「どこに行きますか〜?」
みんな考え中・・・
鬼太郎「熊野神社にいきたいです」
(妖気を感じるから)
まつじゅん「四国かな」
だれか「あ〜四国いいね」
後藤「九州は?」
だれか「あ〜九州もいいね」
だれか「島は?」
後藤「島行って何すんの」
まつじゅん「ふんっ(笑)」
まぁ最初はこんな感じでした
そして何日か経って九州に行くことになりました
んで屋久島に行きたいってことになり、当初は九州の南に行く予定でした
しかし、台風や洪水など自然の脅威にビビった私たちは、なぜか九州の北に行くことになりました(すでにるるぶの鹿児島は買っていた)
このときにはもう7月に入っていたのでやべ〜って感じでした
先生はいつも
先生「旅行クラブに入れないぞ!!」
といっていました
もう口癖になっていました
この毎回の一言が、竹原ゼミの生徒たちの心に火をつけました
彼らはみんな負けず嫌いだったのです
(正直みんな旅行クラブをバカにしていました)
ここから彼らの逆襲が始まります
寝る間も惜しんで頑張りました
〜略〜
そしてようやく調査演習Bの5日前に旅行のしおりが完成しました
ちょうどその頃フィールドワークなんとかもあったので彼らの団結力も深まっていました
そして、旅行前日興奮して眠れません
私は、あまり眠れなかったので早く目覚めてみんな準備してるときに電話してやりました
まだ準備終わってねーのか
ざまーみろってね
しかし神様はみていました
冷蔵庫にあった牛乳の賞味期限が危うかったので出発前に一気飲みしました
↑これが彼の旅行を狂わせることになろうとは・・・
九州へは仙台空港から飛行機で伊丹空港に行き伊丹空港から長崎空港にいきました
まぁ序章なのでこんな感じにしておきます
ちょっと長くなりすぎました
この旅行ではみんなの本性がどんどん暴かれると思います
またみんなに変なニックネームがついていきます
楽しみに
では、ここらへんで次の人にバトンタッチ