発掘調査は地権者や地域の方々のご協力によって成り立っている。感謝の意もこめて現地説明会を開催した。米沢市教委による第1次から今年度の第3次調査まで、3年間の調査成果を総括し、出土遺物も一堂に展示した。
説明には4人の3年生があたった。発表原稿を練り、前夜には大きな解説パネルを作って古墳の構造を説明した。するどい質問にたじろぐ場面もあったが、つつがなく発表を終えることができた。人に伝えることは大事だ。自分が何を知らないかを知ることができるから。
駐車場から現場までは山道を10分足らず歩く。何度か降った大雨で道のぬかるみがひどい状態となった。自前で若干の道普請をしたものの、湧水の激しい箇所はいかんともしがたかった。当日朝、市教委の発掘作業員の方々が道普請し、あっという間に長靴なしでも通れるようになった。その仕事ぶりに惚れ惚れする。一昨年の土のうの掘り出し、昨年の環境整備やトレンチの越冬養生など、ずいぶんお世話になっている。
赤鬼もしかり。
学生たちには日々辛い作業が続く。終盤は昼夜とわずで心身とも追い込まれていることだろう。が、周囲の支えがあってはじめてこのようなかけがえのない経験ができるのだ。感謝の気持ちを常に忘れないでほしい。
来たる日向洞窟遺跡の調査では堆積環境の解明が鍵を握ります。
そこで今回は、堆積物の観察眼を高め、目的の調査を実現させるために、地形学をご専門とされる菊池強一先生(岩手県立大学)をお招きして、ゼミ生と有志を対象に礫の散状計測の実習を行いました。
まず、堆積物を原位置で記録することの重要性について、菊池先生よりご説明をいただきました。それから、大学近くの須川に赴き、クリノメーターの使い方について実習を行いました。ここでは礫のインブリケーション(=覆瓦状構造)も確認しました。
二人一組となって、計測の練習を行いましたが、各々がクリノメーターを使った礫の走向傾斜の計測法について、一通りのことは理解できたようです。
ここでの経験を現場のスキルとして生かして欲しいものです。
戸塚山の現場は14日も二人の卒業生が訪ねてくれた。のどを潤す差し入れを持参して・・・もくもくと働く後輩たちを見守る温かい目が印象的だった。それぞれのあつい夏を思い出したことだろう。
夜中に群馬の高崎に降り立った。駅前の温度計29℃、予想通り暑い!
下仁田の畑は特産のネギの移植が終わり、こんにゃくいもが元気に葉を広げていた。
先ごろ日本がユネスコに世界遺産登録の推薦書を提出した「富岡製糸場と絹産業遺産群」。その構成資産の一つ「史跡・荒船風穴」にやってきた。
上信国境の内山峠近くにあるこの遺跡。外気温は30℃超と真夏だが、風穴はひんやり。涼を求めて観光客がたくさんきている。
来るたびに少しずつ整備が進む。蚕種(種紙)を貯蔵した上屋はもうないが、在りし日の古写真を印刷した透明のアクリル板。文字情報が多い解説版より安価で環境になじむ。
真夏でも風穴上部で24℃、中に下りるとひんやり。1.6℃。石積みの内部はー1.1℃。石の隙間には氷がきらきらひかる。数字ではなく、理屈抜きで冷風を体感できるところがいい。
明治末~大正期、年間一定の冷温を保つ風穴に隣接して3つの石室を造り、上部に小屋掛けした。石積みは裏込めを持つ本格的なものだが、冷気を室内に取り込むため背面構造に工夫が凝らされている。全国から受託した蚕種を貯蔵管理、適宜出荷して絹糸の生産量の向上に寄与した。
山形県とのかかわりも深い。庄内藩士族の授産施設として造られた鶴岡市「松ヶ岡開墾場」。男はこの下仁田で養蚕を学び、女は富岡製糸場で製糸を学んで帰った。
この秋にイコモスの調査が入る。周辺整備に多々課題を残すが、自然を利用する生業の知恵が生み出したこの傑作は大方の共感をよぶことだろう。
風穴のあとに、日本最初の洋式牧場として明治20年に設立された「神津牧場」にいった。北海道の広大な牧場と違って、谷が入り組む自然地形をそのまま利用した環境に優しい牧場だ。牛は牧草地を移動しながら放牧されているため、どこにいるのかわからない。道路には変な看板が・・・・牛の行列が通る時間が表示されていた。創業以来一貫して濃厚なミルクや黄金バターができるジャージー種のみを飼育しているという。
ソフトクリームが有名だ。
世界遺産に登録されようとしている史跡がひっそりとあるのと対照的に、こちらは元気な親子連れでにぎわっていた。http://www.kouzubokujyo.or.jp/