歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2014-01-17

タイルー・ビレッジと西双版納系の土器作り

12月23日 ルアンナムターの朝の気温は5℃。町は深い霧に包まれていた。7:30に出発する。

 

 

  朝食を食べて近郊のBT村を訪ねる。10年前には5~6軒は作っていたけど、もう誰も作ってないよ。朝から焚火で暖をとっていた人たちが集まってきた。ここはユアン族の村。Kさん(65歳)から道具と土器を見せてもらいながら往時の話を聞く。

 もう作らないのかと思ったら、5年に1回、1月のタンブンの時にのみ土器を作るという。1月の第3週目に2軒が作るそうだ。昔は自由に田土をとったが、今はクレイソースが黒タイ族の土地に割り当てられたので採掘には許可が必要になった。

回転台を使い、多様な器種を作る。まだ土器はかなり残っていた。ここにも平底モーナムがあり、野焼きは牛フンを使う。

 

 

 BT村を出て一路、ウドムサイを目指す。10:30ごろから気温が上がり霧が晴れてくる。あいかわらずカーブの連続で山はとうもろこしとゴムとバナナ。道路には中国語の標識がかかり、中国資本のとうもろこし工場などが点在する。国境の町ボーテンの手前まで来た。もうすぐそこは中国だ。お昼をとうに過ぎてからウドムサイに着く。

 遅い昼食をとり、情報のあった土器作り村を探す。河川に添った段丘上にバナナのプランテーションが延々続く。これでもかと密植し、房を覆う青いビニール袋が連なる。

 

町から1時間あまり。突然目に飛び込んできたのは「Welcome to Ban Yor」「The Tailue Cultural Village,・・・・・」道路脇に大きな看板とモニュメント。いったいこれは…

 

看板のとおりタイルー族の村で、元はポンサリー県Yor村から移住して来たそうだ。50~60年前、最初は5軒で移住したという。周りにもタイルーの村があり、かつては他の4つの村でも土器を作っていたことがわかった。タイルー・コミュニティーを形成しており、親村も含めて通婚圏になっている。

 

 

 看板に添って土器作り「工房」を訪ねる。土器をつくる夫婦がいて聞いてみると、政府の援助で窯と工房ができたという。3年前にできた地上式レンガ造窯の横に、ちらりと地下式の窖窯が見えた。もしや、これは!と思いあわてて見に行くと、どこかで見たような形態。聞くと、去年ルアンパバンから職人が来て作ったという。明らかにこれはバンチャンの窯だ。一昨年調査に行った村だった。

 もともと女性たちの土器作り村だったところに政府の援助で男性の焼き締め陶器の技術が参画し、融合している。道具や土器、昔の話をきくとやはり西双版納系の土器作り技術だった。

  工房では赤ちゃんをおんぶした女性が金属製の回転台で土器を作っていた。聞くと昔の伝統的土器作りをできるおばあちゃんがまだ3人いるらしい。昔の回転台と技術で作ってほしいと頼むと快く引き受けてくれた。そして、明日は朝から中国人の団体が見に来るんだよ????

 

 

  庭先で綿糸を紡いでいる女性に聞いた。綿は山の斜面で作っている。自分たち用に布を織るが、綺麗に洗って糸を売るのもあるよ。今の時期、トウモロコシの収穫がちょうど終わり、倉の中は脱穀した芯でいっぱい。この寒い時期の暖房用に焚く。薪資源の節約だという。

 

村から近いムアンベンという小さな町に泊まることにした。GHが2軒ほどあった。1軒をのぞくとおばあちゃんが店番。お金数えられないよ・・・・・う~ん。

あたりは真っ暗で食堂は少ない。聞くと、もうご飯はなくなったよ!まあいいか。

 

2014-01-15

真新しいフレンドシップブリッジ4を越える

12月21日 いよいよメコン川を越え、怒涛の北ラオス紀行が始まる。

 今月11日に開通したばかりのフレンドシップブリッジ4を渡る。近所の住民の話では、車の国境通過申請書に貼る印紙が郵便局でないと買えないらしい。今日は土曜日。郵便局は閉まっている。別の店でも買えるよという情報があったので朝から探すがどこも閉まっているか「ないよ」。まあ国境に行けはあるだろうとたかをくくって行ってみる。ところがイミグレーションの係官に聞くとないよ!もしや月曜日までここで待機か・・・・

 

 ボーダーで1時間ぐらい右往左往していたら、困った様子を見ていたドライバーがたまたま余分があるやるよ、と印紙をただでくれた(20B×10枚)。いつも国境を行き来しているドライバーらしい。困った時、必ず助けてくれる人がいる・・・。

 出国手続きを終えて、さあ出発とタイ側のイミグレーションを出たら同行のタイ人が宿に忘れ物をしてきたと。その旨告げると係官は即座に「じゃあ、行って来い」。車はUターンして30分後にまたボーダーにもどってきた。この辺の対応が臨機応変でありがたいのがこの国だ。

 

 橋の手前で車は右側通行に変わった。フレンドシップブリッジ4は中国とタイの援助ででき、イミグレーションの建物も中国の援助でできている。ダイヤモンドをかたどった立派な記念碑が建っていた。すでに供用されている1~3に関わったオーストラリアや日本、イタリアに比べ自己主張が強い。中国の南進にかける強い意欲が感じられるモニュメントだった。(どこだったか、日本の支援で建てられた小学校の小さな看板がひっくり返って放置されていた・・・)

 

 

 ラオスのイミグレーションを抜けたのが11:00。やはりここにも自転車で国境を越えてきたファランがいた。彼らはいったいどんな体力をしているのだろうか。

国境の町ファーサイで昼食をとり、180km先のルアンナムターを目指す。

 

 

途中食堂のおばさんから教えてもらった土器作り村(NT村)を訪ねる。中国から南下してきたタイルーたちの村だった。20年前に土器作りは廃れ、最後のポターは5年前に止めたという。回転台を使う格子叩きの平底モーナムが特徴的だ。Sさん(54歳)ら元ポターから話を聞いた。村の中に残っている土器も少なくなってきた。やがてそんな伝統があったことは忘れ去られるのだろう。

 

 

 ファーサイからルアンナムターまでの道路は雲南省・昆明から続くアジアハイウエー3号線。中国の援助でつくられた素晴らしい道路だ。アップダウンやカーブの連続だが、コンクリ打ちの側溝があり路盤がしっかりしているので穴ぼこはほとんどない。ただ山の中では時々崖から落下した大きな角礫が転がっているので危ない。2連式のフルトレーラーや大型コンテナを積んだトレーラーが時々のろのろと坂道を登っていく。これらを追い越しながらいけば時速70~80kmでは走れる。おそらくラオスでは最も整備された道路のひとつだろう。

途中、昆明発ルアンパバン行きの国際バスとすれ違う。ビエンチャン行きもあるそうだ。3日かけていく。通行する車の数は少ないが、「云」ではじまる中国雲南省ナンバーの車と何台もすれ違った。

 もともと点在していた山村の中を高速道路が突き抜けていくような感じだ。道端で無邪気に遊ぶ子供たちや路肩を延々と歩く薪運びの女性たちの姿が印象的だった。そして一番驚いたのは、山々の斜面が軒並みゴム林のプランテーションにかわっていたことだった。おそらく昔は多様な作物を移動しながら栽培する焼畑地だっただろう。10年前にルアンパバン県北部の村を訪ねた時は確かにそうだった。ゴムは6年ぐらいたつと収穫できるが、大半は収穫前の若木だった。

 その夜、中国、ミャンマーと国境を接するルアンナムターに着いた。中国式のゲストハウスや食堂、カラオケ・・・・。ファランが多いせいか目立たなかったが、よく見ると中国資本の店だらけ。その傍らにはマンキャオやジンジャーなどの農産物、工芸品を売るアカ族の女性たち。ここはゴールデントライアングル。かつての麻薬覚せい剤の密造地帯だ。

 

 

 

 

2014-01-14

なぜこんなに寒いの?

恒例の年末年始ラオス-タイの土器作り村調査。

今年の目的地は、前半がラオス北部。あいかわずノープランで出たとこ勝負。ローラー作戦で土器作り村を探す。後半がタイ東北部のウボン。間にタイ北部チェンマイをいれた。

 

 

12月20日、学生たちの卒論提出を確認して深夜便で羽田からバンコクへ飛んだ。

バンコクは思ったより涼しかった。そのまま早朝便で北タイのチェンマイに移動。ここで同行の日本人2人、タイ人2人と合流。

町を出ると道路脇に刃物を売る露店があったので発掘用スコップ(掘り棒)を買いこむ。店番のおばさんがついでにこれどう?と大きな刀を振りかざしてきた。ちょっと怖い笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラオス国境を目指して車を飛ばす。チェンライまで250km。途中、悲惨な交通事故現場を目撃して一同青ざめる。

気を取り直したのはチェンライの入り口にあるワット・ロンクン(Rongkhun)というお寺。タイの芸術家が私財をなげうって建て始めた白亜の殿堂。サグラダファミリアほどではないが、10年前から建設がはじまりまだ途上である。入口には「地獄」絵巻のアートがあってタイの寺らしい。なんとなくテーマパークに見えてしまうのは日本人だからか。

 

 

 

チェンセーンからメコン川沿いを進み国境の町チェンコーンに入った。この時期ラオス国境にはファラン(欧米人)がたくさんいる。本格的なサイクリング自転車でいくつも山を越えてくる人が少なくない。

夜になって急に冷え込んできた。気温は10℃を下回っている。こちらのゲストハウスのベッドはうすいベッドカバーのようなものが1枚あるのみ。クーラーはあっても暖房はない。もちろん車も。この12月、東南アジア大陸部はどこも寒い。異常気象なのか。一昨年のルアンパバンで寒い一夜を震えて過ごしたのに懲りて今年は寝袋を持ってきたのが功を奏した。

2014-01-05

2013ラストの石碑調査

あけましておめでとうございます。

ごたごたしていて去年中に更新できませんでした、申し訳ありません。

今年の目標は、「崩し字をもう少し読めるようにする」です。

石碑の文字を読む際に、多々苦労することがあったので。

 

2013年最後の石碑調査を飾るのは、土坂観音堂。

そういえば、敷地内に遊具がありましたが、調査地で遊具を見かけるのは二度目です。

神社の広い敷地は、子供たちの遊びの場にはうってつけなのでしょう。

 

今回の写真は、この神社を調査している際に妙に目についたものです。

なんじゃこりゃ、と思ってよくよく周りを見たら…

「畜魂碑」

ああ、なるほど。

妙に変な形をしていると思ったら、これは牛をかたどったものだったんですね。

こうやって見ると、なかなかかわいい。

 

作業自体は、基本恙なく進みました。

流石に一年調査をし続けましたからね。

もう雪も降ってしまいましたし、恐らく今年度は外に出ての調査は終了かもしれません。

 

追伸。

この石碑調査の成果を冊子にまとめることになりました。

こちらの作業も、大学がある間は隔週で行われるはずですので、興味がある方はお気軽にどうぞ。

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