5月17日(土)、この日の石碑と古道研究会は瀧山登山を行いました。
参加メンバーは、学生9名と佐藤先生、東文研の中村さん。
山には朝から雲がかかっていて、山頂が見えず、不安を抱えたまま出発…
西蔵王まで車で向かい、西蔵王放牧場入口から登山スタート。
今回私たちが歩いたのは【姥神(乳母神)コース】です。
登り始めてすぐに、うがい場と水神の石碑。
石碑はいつもの道具を使ってしっかり計測しました。
順調に登っていくと次第に急斜面になり、ロッククライミングのようなところや、ロープを伝わないと登れないようなところなど、予想以上にハードでした。
また、途中にはコースの名前の由来にもなっている姥神さまが。ここでようやくコースの半分。
前日の雨で地面が滑りやすくなっていて、何度も足が掬われそうになりながら、スタートから2時間ほどで頂上に到着しました。
登っている途中は暑かったのに、山頂に着いて落ち着いた頃には、あまりの寒さに凍えていました。(おそらく気温は5℃以下…)使わないだろうと思っていたカイロをみんな一斉に開けました。それでも寒かったです…。
しかし、山頂からの景色は最高でした。素晴らしかったです。市内を一望することができました。蔵王温泉や笹谷峠も。この絶景を見れることが登山の醍醐味なんですね。晴れていたらなお良かったです…。
山頂で昼食を食べ、しばらく休んでから下山。登りがとても急だった分、下りはさらに斜面の角度がきつく感じました。足場をよく選んで慎重に下りていきました。あまりの急斜面に「こんなところ登ったっけ?」と思ってしまうほどでした。
麓に到着すると、放牧場の牛たちが帰りを待っていてくれました。
この登山で大きな達成感を味わうことができました。
参加したみなさん、お疲れ様でした!
瓜割丁場での興奮が冷めやらぬまま、陽気に誘われて沢福等(さんぶくら)の山を歩いた。
最後に機械切りが入った丁場からはじまり、5か所の角石丁場と山じゅうに点在する間知石丁場、鍛冶小屋跡を歩いた。機械切りが入った場所を除くと、沢福等はもう廃絶して50年ほどたつ。つわものどもが夢のあと。木々が生い茂るなかにも往時のにぎわいを感じることができる。
「和」「昭和三十三」「弘」「御盆記念」「大正拾」「○に三」、壁面に刻まれた文字。貴重な資料だ。
足元に注意:水に足を落とすキャラ・・・誰ですか。沢福等丁場
瓜割丁場にて
日曜日、高畠の石工さん(78歳)が山から石を下ろす伝統の技を再現してくれた。
山で切った角石(300kg)を一本棒に乗せて石降ろし道を滑らせる。文章で書くとただそれだけのこと。けれども、あり合わせの材料と簡単な道具でそれを成し遂げる。その知恵と身体技能には驚くばかりだ。いいものを見せてもらった・・・・・。
平地で使う土ゾリ。接地面に廃油を塗った橇を曳く。ばた薪の上を面白いように滑る。
こんにちわ。
歴産2年の菊池です。
今月の17日土曜日に、芸工大グランドで企画部長こと檜野泰巳(3年)さん幹事の、歴産ソフトボール大会が開催されました。
懸念されていた雨も降らず、晴天と強風の中白球を追いかけました。
その写真をあげておきます。
連休明けの2日間、考古ゼミの学生が木材の樹種同定の手法を学びました。
講師は考古ゼミの卒業生、㈱パレオラボで活躍している小林克也さん。慣れないカミソリで指を切る学生が続出しました。切りとった細胞(切片)をプレバラートにのせてそれぞれ顕微鏡で観察しました。
当日は美文(保存科学・立体修復)の学生たちとの合同授業としました。
考古学では先史古代の人々が自然をどのように利用しながら生きてきたのか。そんな問いが不可欠です。樹種を言われてもピンとこない学生がほとんどです。日頃から身の回りの自然、樹木、用材に関心を寄せましょう。
このたび、日向洞窟の資料を使って、2日間に渡って映像学科屋代ゼミと歴史遺産学科長井ゼミの合同ゼミをやりました。
学科間のコラボによる学生交流を目的として、考古資料を題材とした映像実習を計画しました。
考古学では発掘現場の様子や出土資料を撮影して、1次情報を記録した発掘調査報告書を作ります。考古学といえども、一定の写真撮影の技術が必要となります。そこで今回は、日向洞窟遺跡の現地と出土資料を題材として、写真撮影の技術を2日間学びました。
1日目は「風景撮り」実習です。まずは長井先生が映像学科の屋代先生を発掘現場に案内。途中、鳥上坂で白竜湖を撮影しました。それから、日向洞窟の周辺で撮影スポットを探します。快晴に恵まれて、光の按配も申し分なし。映像学科が所有する広角レンズを使って日向洞窟周辺の地形を広く撮影しました。学生たちは、三脚の立て方に始まり、カメラ操作の基礎から様々なことを教わりました。今回撮影したデータの一部はphotoshopでパノラマ画像に変更する予定です。次は撮影した写真の編集についてのゼミが企画されるかもしれません。
2日目は「物撮り」実習です。こちらは昨年発掘した土器や石器を撮影するというものです。長井ゼミの歴史遺産研究の授業の一環として行いました。3・4年生中心です。講師には、屋代先生の配慮により、プロのフォトグラファーである藤山武先生をお招きしました。屋代先生とゼミ生たちは初めて見る縄文時代の土器や石器に興奮のもよう。映像学科のゼミ生たちには長井先生が遺物の説明をしました。歴史遺産学科の学生たちには藤山先生がカメラ台セッティングの手法について説明、その後全員で出土遺物を撮影をしました。
初めての考古遺物の撮影にプロの藤山先生もやや動揺。しかし、さすがにプロの技術。素晴らしい写真を次々と撮影されました。最後には、撮影が難しいとされる黒曜石の有舌尖頭器(こちらは長井先生作のレプリカ)にも挑戦していただきました。黒曜石は天然ガラスともいわれます。光沢が目立つためにライティングの高度な技術が求められます。これには藤山先生もやや手こずった様子でしたが、藤山先生の技には参加者から感嘆の声も。
私たちも初めて入るスタジオで少し緊張しましたが、機材の扱い方や照明の当て方など詳しいところまで教えていただくことが出来ました。
学生一同、今後、教えていただいた技術を自分たちのものにし、後輩にも伝えていけるようにがんばりたいと思います。
<映像学科のブログでもこの講義の様子が紹介されました。>
→ 映像学科ブログ 5月13日の写真演習の様子
先週の土日は1年生の研修旅行がありました。
4月に入学して以来、泊りがけでのフィールドワークは初めての経験です。
今回の行先は茨城県。
2日間かけ、「茨城県自然博物館」「筑波山」「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター(虎塚古墳・十五郎穴)」「茨城県立歴史館」を回りました。
さすがに移動時間も長く、バスの中ではなんとなく眠そう。
しかし見学地に着けば、各々自分の興味のあるものを見つけ、熱心にメモを取っていました。
個人的に一番おもしろかったのは筑波山です。展望台から見下ろす平野はとても壮大でした。
どのあたりが古い集落なのだろうか?
あの集落はどういった人々が住んでいるのだろうか?
あの場所はどういった経緯で造られたのだろうか?
風土が違えば、歴史や住む人々も違ってきます。
遠く、霞んではいますが、霞ヶ浦と思しき湖(?)も見ることができました。
先生方は霞んで見えるから霞ヶ浦なんじゃないか、なんておっしゃっていて、それにもなんとなく納得してしまうような風景。
実際のところ、霞ヶ浦の名前の由来ははっきりしていないようです。
ちなみに山形市内にある霞城(=山形城。現在は霞城公園となっている)ですが、これは上杉勢が山形に攻めてきたとき、市内の西にある富神山あたりから城の様子をうががうも、霞によって山形城の位置がわからなかったとされることが由来とされています。
富神山(とかみやま)も、山に登って山形城を伺ってみたが、霧が晴れず、十日登ってみても見えない、十日見(とおかみ)山から来ているらしいとか。
機会があれば山形の山々にも登ってみてくださいね。
ちょっと脱線しました。
ともかく、なかなか濃い2日間でしたね。
座学とはまた違い、自分で歩き、見て、聞くことで、自分なりの「問い」が発見できたのではないでしょうか。
どんな「問い」を見つけたのか、「問い」にどのような答えを見つけるのか、楽しみに思います。
1年生、2日間おつかれさまでした。
準備室からでした。
一山越えて国見石(福島県伊達郡国見町)の里を訪ねました。
ゼミの学生二人と某女子大のO先生が一緒でした。
まず役場で職員から福島県産石材のレクチャーを受け、それから車で町内を案内していただきました。国見石は近代の史料のなんと多いことか。羨ましい限りです。
私たちの車の中は異様な興奮に包まれました。石蔵や石塀がそこらじゅうにあったからです。一番驚いたのは同乗していた役場の人たちだったかもしれません。小坂では戦前と戦後の蔵が仲良く並んでいました。
ある石屋さんのお宅には大正6年建造の石蔵や図面が残っていました。栃木県の大谷から昭和40年ごろに導入した整形用の機械が今も現役で活躍。表面加工のローラーは2種類あって、それぞれ見たことのある痕跡だったので、「これだったのか!」と納得しました。
これに乗って削れられる石の気持ちになると、身が細る思いです。機械導入によって石の表情が一変しました。年代の基準になるので石蔵の時期を知るのに役立ちます。
石の町にもそれぞれ個性があって興味がそそられます。国見がなぜこれほど蔵が多いのか。国見は大谷の影響を色濃く受けているのに、なぜ高畠はほとんど受け入れなかったのか?
2年間高畠をあるいてきた学生たちが比較する「定点」を持っていることは強みです。
中国産間知石。こうやって入ってくるんだ~
4月29日火曜日にゼミの時間を使って、佐藤先生と佐藤ゼミの3・4年生とで山寺に行きました。
この日は天気が良かったのですが、風が強く少し寒かったです。今回は石段を登って妙法堂まで行ってきたのですが、修行者の参道ということもあり、山道を登って行くのは大変でした。
山寺に着いて一番始めに対面石を見ました。この石の上で山寺を開いた慈覚大師とこの地域を支配していた磐司磐三郎が対面したとされるそうです。
登っていくと修業の岩場がありました。この危険な岩場を通ることによって、お釈迦様のみもとにいたるという行場だそうです。
こんなに高いところには怖くていけないですよね。
今回、山寺に行き様々な歴史を感じるものを見ることができ、良い経験をすることができたと思いました。