歴史遺産調査演習B最終日5日目の様子をお伝えします。
5日目は島根県出雲市の古代出雲歴史博物館と出雲大社へ行ってきました。
始めに、島根県立古代出雲歴史博物館へ向かいました。島根県立古代出雲歴史博物館では出雲大社の歴史や出雲国風土記などの古代文化や、石見銀山やたたら製鉄といった島根の人々の生活と交流が紹介されています。中央ロビーに展示されている巨大柱は出雲大社境内から出土したもので、直径1.3mの杉を3本束ねて柱にしていたそうです。この柱は鎌倉時代の出雲大社本殿を支えていたものだそうです。
続いて、出雲大社へ向かいました。出雲大社は縁結びの神様である大国主大神を祀る神社です。対人関係から仕事まであらゆる良縁を結んでくださるそうです。境内や境内前にある神門通りは参拝者で賑わっていました。出雲大社へ向かう参道ですが、下り坂になっていました。下り参道はめずらしいそうです。出雲大社の拝礼方法は二礼二拍手一拝ではなく、二拝四拍手二拝でした。神社によって様々な特徴があるようです。
昼食は出雲そばを食べました。昼食後は神門通りを散策。お土産屋や食べ物屋が並ぶ中、勾玉を扱うお店も多くあり、古代出雲文化の地であることを改めて考えました。
帰りは出雲空港から大坂・伊丹空港経由で仙台空港へ。
5日間の歴史遺産調査演習Bでは、実際にその土地を訪れることで、その地域に住む人々の暮らしや、事前調査では知り得なかった新たな発見を得ることができました。
以上、歴史学分野、歴史遺産調査演習Bの様子でした。
四日目は世界遺産・石見銀山を見学。今回見学したのは、世界遺産となっている石見銀山の三つの地区の内、鉱山時代の坑道やかつての代官所である「熊谷家住宅」などが残る柵内・大森地区です。
午前中に世界遺産センターを見学し、午後はガイドツアーからスタート。鉱山時代に石見銀山の繁栄が祈願されたという神社や製錬所跡を見て回りながら、現在唯一公開されている間歩(坑道)、「龍源寺間歩」に向かいます。
【清水谷製錬所跡】
坂道を上り龍源寺間歩の入り口に着くと、周りにシダ植物が生えていました。ガイドの方によれば、シダ植物は鉄分を含む土壌に生えるので、かつては鉱脈を見つける目印にもされたそうです。
間歩は入口が最も脆く崩れやすいため、頑丈に補強されています。
中に入ると空気がひんやりとしていて、雨が降っていたせいもあり寒く感じました。内部は所々ライトが設置してありますが、それでも暗く、狭かったです。間歩の内部は鉱脈に沿って掘られた道が上下左右にいくつも伸びています。
【縦に彫られた坑道】龍源寺間歩の全長は約600mですが、公開されているのは約273mです。この先も道は続いています。
ここまで見終わると、出口へと進みます。この出口は龍源寺間歩公開のために後から作られたもので、壁には間歩に関する説明版がいくつも設置してあります。
龍源寺間歩を出て、出発地点に戻りツアーは終了。次は代官所などが残る大森町を見て回ります。
大森町はかつての行政の中心地で、多くの武家屋敷が今も残っています。
その景観を守るため、民家や商店はもちろん、あらゆるものが町並みに合わせられています。
郵便局や銀行、電力会社などに加えて消火設備や自動販売機まで周囲の景観に合わせられています。
こうした景観を守るための取り組みは、世界遺産登録以前から官民協働で行われている他、文化財保存会や地元小学校の少年団など多くの地域住民の活動によって支えられています。
大森町の町並みを見て回った後は、町の一番奥にある石見銀山資料館に向かいました。
石見銀山資料館は平成19年に世界遺産登録された石見銀山に関する資料を展示している資料館です。この館は、昭和51(1976)年に地元有志が開館し、具体的には、絵巻物や古文書、銀鉱石や精錬関係の道具などが展示されており、石見銀山の歴史を追体験することができます。
この資料館は江戸時代に機能していた大森代官所跡にあります。江戸幕府は17~19世紀半ばまで石見銀山と周辺地域150余村を支配するために代官を派遣していました。現在の代官所跡の敷地内には明治35(1902)年に建てられた邇摩(にま)郡役所という建物があり、石見銀山資料館として一般公開されています。そしてこの地区には前述した代官所周辺に役所や御用商人の郷宿が置かれていたため、武家屋敷や商家が現在でも混在しています。
資料館は鉱山や鉱石関係、生活関連などテーマごとの展示室が分かれており、現物資料や一般の人に理解しやすいパネル展示が充実していました。更に、資料館自体が明治時代の役所をそのまま活用しているため、明治時代の建物の造りも知ることができました。