地域の姿に、歴史の舞台にリアリティをもとう!
これが歴史遺産学科のモットーです。
5月27日(日)上山城に集合し、博物館を見学した後、上山宿のあった城下町から楢下宿を目指して歩き始めた。片道10km。二里と半
番所のあった矢来橋(上図)を渡ると一直線に街道が延びる。江戸期以来の町屋の地割がやがて消え、武家屋敷整備のために移転した旧長清水村に至る。沿道には村山地方で発達した丸石積みの石垣が続く。
途中、「大場装蹄所」の看板にはっ!とする。もしや楢下の大馬喰-大場小次郎家の末裔では?と思い、訪ねてみるとやはりそうだった。小次郎三男の分家だという。長清水では古文書がたくさんあるという旧宅で「救荒蔵」をみせてもらう。消火栓やあちこちの家に御幣が掛けられているのをみて不思議に思っていたら、古峰ケ原の火伏せだとわかった。今も講組織があり、代参しているという。道草を食いながら1時間遅れで米沢方面と羽州街道の追分ー三本松に着く。
それから左に折れて羽州(本庄)街道へ。ひたすら楢下を目指すはずが、途中、関根、三上、皆沢の各集落にはあちらこちらにトラップ(神社や観音堂など)があって思うように進めない。
なかでも「馬乗り馬頭観音」は大きな発見だった!茨城県に集中する馬頭観音信仰の石碑である。
結局、1時間半遅れで楢下に到着。
山田屋で市教委の方やばあちゃんズくらぶ、羽州街道「楢下宿」研究会のみなさんの出迎えを受け、昼食となる。初物のサクランボや地元の豆腐、山菜味噌汁、つけものをいただく。昼食後は地元の研究会のみなさんから保存活用の取り組みと課題、生の声を聞くことができた。
帰路は17世紀初の羽州街道といわれる牧野街道の旧道を通って上山城をめざす。ここは古道らしく中世の板碑やその他石碑が集中している。また、昭和3年の昭和天皇御大禮(即位式)を記念して建てられた道標(追分石)が辻々にあることに気が付く。
金生からスカイタワーの下を通って上山城まで、一直線に旧道が残っていた。区画整理や道路改良で一部廃道になっており、車で通っていては気が付かない道だった。